”揺れる魂”を感じられる人

”揺れる魂”を感じられる人は、この世にどれくらいいるのだろう? 岡本太郎のように、”自身の芸術の源”を活字に置き換えることのできる人は稀である・・彼を有名にした一つの理由。 ほとんどの芸術家は活字で説明することをしていないし、出来ない。 だから、美術館などへ行けば、「作品の評論・案内」が長々と記されている。 来場するものは、その活字を見て分かった気になれる。 ここで、ひとつの”真実”が見えてくる・・解ることよりも、解った気になれることがより重要なこと。

ピカソを理解できる人はそれくらいいるだろうか? マティスはどうだろう? 写真の話に戻せば、アラーキーがなぜアラーキーなのかを分かる人も少ない・・正直なところ、僕にもよく解らない・・・一貫したポリシーがあることだけは分かるが。

”人間の機微に触れる”作品に・・

・・このようなことは、映画でも言えることで、”作り物”だからこそ、本物以上の”本物”に見せる必要がある。 作品撮りのモデルに関しても、人以上の”人”になってもらいたい。 ドキュメンタリーなら、在りのままでよいが、フィクションなればこそ、普段は見せない”人間の機微に触れる”作品にしなければならない。

異常な体験

モデルの気迫と心意気は見ての通りだが、写真家の”美に対するこだわり”も同時に見えるだろうか。 肉体の外側だけでなく、”内臓”まで撮りに行ってるような気がする。 ここに見るような”異常な体験”は、このモデルとは共有出来ててるような気がする。