僕が、ヨーロッパで展示会が出来た理由

僕はギャリーや展示会場にお金を払って展示したことがありません。

国(都市)や写真協会の招待であったり

モデルさんを介しての参加であったり

ギャラリーからのオファーで展示会へ参加してきましたから。

会場で作品が売れれば、

そのお金を、写真家、キュレイター(仲介者)、ギャラリーで

一定の比率で分けることになります。

今回、パリでの展示会開催に迷っているのは

僕の体力もありますが、

ギャラリーからのオファー(要請・同意)が前提となります。

・・・オファー(要請・同意)があれば、ギャラリーを借りる費用は発生しません。

・・ということは、どういうことか?といえば

売れる作品でないとギャラリー側は展示の話を受けないということです。

売れる作品かどうか?は

キュレイターとギャラリーの判断になります。

キュレイターによると・・

コレクター(顧客・写真収集家)向けのルートには載せられそうですが、

ギャラリーもしくはサロンでの展示会開催となると、

僕の一存では決められません。

ギャラリーを借り切るだけの財力はありませんから。

ヨーロッパに10日間滞在し、設置準備すれば

少なく見積もっても100万はかかります。

(お金の)持ち出しにならないためには、

何枚売れればよいか?と考えちゃいます。

パリでの展示会を検討してます

先日お伝えした通り、パリのキュレイターの方から「作品販売」のご提案をいただいています。

天麻音 ひぃ ☆ さんの作品にも関心を持っていただいているようです。

また、可能であればパリでの展示会開催についても検討していますが、体力・気力・資金面の問題もあり、現在のところ慎重に考えている段階です。

展示作品については、これまでにご紹介した天麻音 ひぃ ☆ さんや、kuroneko koyomi さんの作品をすでにキュレイターへ共有しています。

キュレイターの方はブログ全体をご覧になっているようですので、他のモデルさんの作品も対象となる可能性があります。

なお、展示候補に挙がった作品については、該当カテゴリーを一時的に非表示にする場合が多々あります。 これは、展示予定の作品が事前に公開された状態になるのを避けるためであり、作品の評価によるものではありませんので、誤解のないようお願いいたします。

また同様の理由から、原画データのお渡しは控えさせていただいております。 絵画と違って、写真は原画があれば無数に刷れてしまいますので、販売対象の作品原画はお渡しすることは出来ません。 ・・以上のこと、ご理解ください。(販売を前提とする海外での原画管理における考え方は、日本とは違います)

保存をご希望の場合は、画質は落ちますが、ブログ掲載の画像をご利用ください。

なお、展示に使用されないと判断された画像データについては、多くのモデルさんへお渡ししています。 メモリーをご持参いただき、その場でコピーしてお持ち帰りになる方もいらっしゃいます。

トランスジェンダーとは・・

「トランスジェンダー」という言葉は、正しく理解されているようでいて誤解も多いテーマです。シンプルに整理すると、次のような考え方が基本です。

■ トランスジェンダーとは

「トランスジェンダー」は、生まれたときに割り当てられた性別(戸籍上の性など)と、自分自身が感じている性別(性自認)が一致しない人を指します。

■ よくある誤解と正しい理解

①「特別な人」ではない
トランスジェンダーは珍しい存在ではありますが、「異常」ではありません。人の多様性の一つです。

②「見た目」や「手術の有無」で決まらない
外見や服装、また手術をしているかどうかは本質ではありません。
あくまで重要なのは「本人の性自認」です。

③「性的指向」とは別の概念
トランスジェンダーは「性別の認識」の話であり、
誰を好きになるか(異性愛・同性愛など)とは別です。

■ 関連する考え方

  • 性自認(Gender Identity):自分がどの性別だと感じるか
  • 性的指向(Sexual Orientation):どんな相手に恋愛感情を持つか

これらはそれぞれ独立した要素です。

■ 社会的なポイント

  • 本人が望む名前や代名詞を尊重することが大切
  • 決めつけや詮索(「本当にそうなの?」など)は避ける
  • 理解しようとする姿勢が重要

ヨーロッパでのコレクター(顧客)向け販売

:

今までも、ヨーロッパでの写真販売はしてきましたが

コレクター(顧客)向けの販売で

展示会をして販売するのとはちょっと違います。

表には出てこない”販売網”みたいなルートはあって、

再度、そのルートに乗せることになりました。

販売対象になった作品のモデルをされた方々には

その都度お知らせするようになります。

the Transgender Artmodel

model : すきら Skhilla

X : @Skhilla_the_TA

:

トランスジェンダーの人を撮影するって・・

初めてのことで・

駅で待ち合せる時点で緊張が始まりました。

写り込み方が今までにないことだったので

気合は入りましたね。

ここのブログの貴重なジャンルが出来そうです。

“見てはいけないものを、見てしまっている”

「見てはいけないものを、見てしまっている」

シャッターを切るという行為は、単なる記録ではない。むしろそれは、世界の表面を一枚めくり、その裏側に触れてしまうことに近い。写真家という存在は、日常のなかに溶け込んでいる“違和”や“裂け目”を、無意識のうちに見つけてしまう。そして一度それを見てしまえば、もう元の世界には戻れない。

たとえば、ありふれた街角。誰もが何気なく通り過ぎるその場所に、ほんのわずかな歪みがある。光の差し方が不自然だったり、影の長さが時間と合っていなかったり、あるいは人の表情が一瞬だけ“空白”になる瞬間。普通の人は気づかない。いや、気づいても無視する。しかし写真家は違う。その違和を拾い上げ、フレームの中に閉じ込めてしまう。

問題は、その瞬間に「見てはいけないもの」を見てしまうことだ。

それは心霊や怪異といった大げさなものではない。もっと静かで、もっと現実的なものだ。たとえば、人がふと見せる“本当の顔”。笑顔の奥に沈んでいる疲労や諦め、あるいは言葉にされない孤独。カメラはそれを容赦なく写し取る。そして写真家は、その事実から目を逸らすことができない。

レンズは嘘をつかない、とよく言われる。だが正確には、レンズは「隠されていたものを暴く」。そして暴かれたものの中には、本来なら見ないほうがよかったものも含まれている。

だからこそ、写真家は時にためらう。シャッターを押すべきか、見なかったことにするべきか。その一瞬の逡巡のなかで、自分が何を選ぶのかを問われる。記録するということは、暴露することでもあるからだ。

それでも、多くの写真家は結局シャッターを切る。

なぜなら、「見てしまった」という事実からは逃げられないからだ。一度認識してしまった違和や真実は、もう消えない。ならば、それを形にするしかない。写真として残すことでしか、その重さに耐えられないのかもしれない。

そして出来上がった一枚の写真は、見る者に問いを投げかける。

「あなたは、これを見てもいいのか」と。

写真とは優しい記憶装置ではない。それはむしろ、世界の深部に触れてしまった者の証言であり、時に小さな告発でもある。静止した一瞬の中に、時間も感情も矛盾もすべて封じ込められている。

写真家だけが知る世界。それは特別な場所ではない。どこにでもある日常の中に潜んでいる。ただし、それを“見てしまう目”を持ってしまった者にだけ、その姿を現す。

そして一度でもその世界を覗いてしまえば、もう二度と、ただの風景には戻らないのだ。