fragrant flowers

古代ギリシャのような時代がやってくると考えている。

全人口の3分の1は(労働力としての)奴隷が社会・経済を支え、

聖職者、貴族、市民、兵士は直接民主政治に参加していた。

(高度経済成長期にあった)いかにして生きるか?ではなく、

何のために生きるか?が問われる時代がすぐそこまで来ているように思う。

 

労働のほとんどはロボット・AIが担い、人は人生をいかに生きるか?

余暇をどのように過ごすか?により多くの時間を持てるようになる。

ロボット・AIが雇用を奪うのではなく、新たなサービス業に人の雇用があてられる。

「勝ち組・負け組」という構図は、1980~2010年位までで、

2020年以降はこれまでの「勝ち組」と言われる人たちはいなくなる。

なぜなら、企業の中枢を担う勝ち組と言われる人たちの仕事が

AIに取って替わると思われるから。

 

ところで、この画像について・・・

自分の中の新たな美意識の結晶を垣間見ることが出来たように思える。

大きな節目となる「作品」になっていると良いのですが・・

 

 

AI 人口知能

数十年後、数百年後にはアートの領域さえ、人工知能が勝る時が来るのだろうか。

創る方はともかく、評価する方は人工知能が優れている・・という時代になるかもしれない。

スポーツにおけるビデオ判定のように。

 

それを創るのは人間なのだから、その人間を超えていくことはあり得ない・・

という、楽観論はあるだろうが、

車の運転に関して言えば、数年後には僕よりAIの方が運転は上手なのでしょう。

この時点で、既に人を上回ってる。

膨大なデータをインプットすれば、数秒後には的確な答えを導く。

”判断”という人間の聖域さえも危うくなる。

 

人間の労力でされていたことのほとんどはAIとロボットが取って代わる。

失業者が増え、富の格差がますます広がるのではないか?

ほんの一握りの金持ちに巨万な富が集中する。

一部の金持ちと多数の貧困層が生まれる。

・・・知性的人たちはこのような悲観論を唱える。

このままではいけない!と。

 

でも、僕はそんな心配はいらないと考えている。

現在のような事態は産業革命以来初めてのことで、

力仕事や人の嫌がる仕事のほとんどはロボットやAIがしてくれることで、

多くの人が時間を持て余すようになる、

余暇が増えるということ。

 

また、貧しい者の生活が脅かされる事態にはならない。

なぜなら、社会の秩序を維持するために富める者が富の分配を図る。

歴史から学んだ英知とはそういうもの。

現代はその過渡期なので、ある種の危機感はありますが・・

 

 

 

 

写真いろいろ・・

僕は、基本、人物しか撮らないけど、

ポートレイトと言っても色々あって、

”記録する”というスタンスを通してる写真家は多い。

数十年に渡って、一人の人を(見続けて)記録していく。

老若男女を問わず、より個性的な人たちを被写体に。

 

そこには人類愛というか、人への尊厳というものがあるように思う

写真は真実を語り、その真実を写し撮っているだろう”合意”があるからなのでしょう。

撮る側にも、見る側にも。

背景なども含めて、人それぞれの人生に反映される”想像力”が欠かせません。

そこには、創り手と鑑賞する側の”共有”できるものを通しての

一体感のようなものがあるかもしれません。

 

ここに見える写真には、そのような”一体感”は期待してません。

「こういう写真、どうですか?」と提示しているにすぎません。