
AIが写真を基にして描いた日本画



はい。かなり増えています。しかも2025~2026年は、「AIで作った音楽をYouTubeで聴かせる」こと自体が一つのジャンルになりつつあります。
ただし、「AI制作と思われる」というだけで断定するのは危険なので、以下では①運営者がAI利用を明示している、②チャンネル説明でAI制作を明示している、③外部資料でAI音楽チャンネルとして確認できるものを中心に挙げます。
| チャンネル | AI利用 | 特徴 |
|---|---|---|
| AI MUSIC JAPAN | 明示 | J-POP、アニソン、K-POP、アンビエント、ダンスなど幅広い |
| AI Music Re:Born | 明示 | J-POP・歌謡曲・洋楽をAIでカバー/アレンジ |
| K SIMON | 明示 | 人間の音楽経験+AIによる制作 |
| Takako_AI_Sound | 明示 | Sunoなどを使ったオリジナルAI音楽+MV |
| DAJI – AI Music Channel | 明示 | AI音楽+VTuber、24時間型 |
| AI Music Studio | 明示 | AI作詞・作曲+AIシンガー |
| AI Creative Music | 明示 | AIによる80~90年代風シティポップ、AORなど |
| AI Music Video | 明示 | 音楽・映像ともAI制作 |
| hirokiSTYLE【AI music】 | 明示 | AIオリジナル曲+MV |
| Funny J-POP | AI+人間 | AIを使ったJ-POP再解釈 |
たとえばAI MUSIC JAPANは、チャンネル自身が「最先端のAIが生成する」音楽を扱うと明記しています。J-POP、アニソン、K-POPからアンビエントまで扱っています。(YouTube)
AI Music Re:Bornは、J-POP、歌謡曲、洋楽をAIでカバー・アレンジするチャンネルで、2026年8月時点で登録者約1.5万人と確認できます。(ビットスターデータベース)
これは単純な「AIに全部作らせました」というチャンネルとは少し違います。
K SIMONは、40年以上ドラムを演奏してきた音楽経験者で、「AIだけに任せるのではなく、人間とAIの協働によって音楽を作る」という考え方を明確にしています。2026年時点で約6.7万人の登録者が確認されています。(Creator Contacts)
これは今後のAI音楽の方向性を考えるうえで、非常に興味深いモデルです。
AIが作曲家を完全に置き換える
ではなく、
人間の音楽家+生成AI
という方向です。
海外ではさらに顕著です。
AI音楽クリエイター向けの2026年のチャンネル紹介記事では、808Plist、unnie memo、Elymiar、salang log、heaven hazy、midnight haru、napseaなど、AIで作った楽曲を中心に投稿するYouTubeチャンネルが多数紹介されています。コミュニティでは、これらの多くがSuno AIを使っている可能性が指摘されています。(Reddit)
ここで面白いのは、
「AI音楽を作るチャンネル」
と
「AI音楽を聴くためのチャンネル」
が分化し始めていることです。
2026年に日本で急速に注目されているのが、AIを使った昭和・平成J-POPの再構成です。
たとえばNorinori CoreというYouTubeチャンネルは、1970年代から2020年代までのJ-POPを、AIを利用した非常に特徴的なリミックスにしています。
日本の音楽メディアでも2026年7月に取り上げられ、AIによるJ-POPリミックスの新しい潮流として紹介されています。(The Japan Times)
これはかなり重要です。
AIによって、
「あの曲が、もし1980年代のシティポップだったら?」
「この曲をAORにしたら?」
「昭和歌謡を現代的なR&Bにしたら?」
という**音楽的なif(もしも)**を大量に作れるようになったからです。
YouTubeを見ていて、
「これはAIで作っているのでは?」
と思った場合、次の特徴があります。
毎日数曲、あるいは1日に何本も投稿。
これは生成AIとの相性が非常に良いです。
例えば、
というテーマを大量に展開。
作詞・作曲・歌唱・伴奏・MVまで全部デジタル。
特に、
美しい女性+夜の街+ネオン+映画的背景
というパターンは非常に多いです。
AI generated
AI music
Suno
Udio
AI singer
などの記載がある。
個人的にはここが非常に面白いと思います。
現在のAI音楽では、
City Pop
AOR
Jazz
Neo Soul
Lofi
R&B
昭和歌謡
との相性が非常に良い。
特に日本の場合、
「存在しなかった1980年代の曲」
をAIで作ることができます。
例えば、
「1986年、東京・六本木の夜に流れていた架空のシティポップ」
という設定で、完全オリジナル曲を作る。
これは単なるAI音楽ではなく、
を作ることができます。
先ほどの料理YouTuberの話とつなげると、とても面白いです。
料理では、
料理研究家 → YouTube → 個人チャンネル
という流れが起きました。
音楽では、
作曲家・歌手 → DAW → 生成AI → YouTube
という流れが起きています。
つまり今後は、
「AI音楽YouTuber」
という新しい職業・カテゴリーが成立する可能性があります。
そして既に、AI MUSIC JAPAN、AI Music Re:Born、K SIMON、Takako_AI_Sound、AI Creative Musicなど、その先駆けとなるチャンネルが出ています。(YouTube)
もし目的が**「実際にAIで音楽を作ってYouTubeに投稿して、収益化できるチャンネルを作りたい」ということであれば、次はかなり具体的に、「2026年に伸びているAI音楽YouTubeチャンネルTOP20」+「使用AI(Suno/Udio等)+登録者数+再生数+ジャンル+収益化の可能性」**まで調べると、チャンネル作りの参考になります。

「暴走族暗黒史」という切り口なら、単なるチーム名や抗争史ではなく、なぜ暴走族が生まれ、なぜ巨大化し、暴力・犯罪・死亡事故・少年非行と結びつき、そしてなぜ衰退したのかを見るのが本質です。
1950年代のカミナリ族には、純粋にバイクの速度や改造を楽しむ若者もいました。
しかし1960~70年代になると、仲間集団が強固になり、
バイク → 集団走行 → 威圧 → 地域の縄張り意識 → 上下関係
という構造が生まれていきます。
ここから暴走族は単なるバイク文化とは違うものになっていきました。
1970年代の東京では、数十人規模どころか数百人規模のグループが存在しました。
警察白書によれば、1973年10月末の東京では213団体、5,921人が把握されています。
この巨大化を支えたのが、
でした。
つまり暴走族は、一種の若者の閉鎖的な社会になっていきます。
ブラックエンペラー、スペクター、ルート20、極悪など、名前そのものが「ブランド」になりました。
特攻服、旗、ステッカー、改造車などが、
「俺たちは何者なのか」
を表す記号になったのです。
そのため、他のグループとの衝突は単なる喧嘩ではなく、
「族の面子」
をかけた争いになりました。
1970年代半ばになると、暴走族同士の抗争が深刻化します。
警察白書によれば、1974年には暴走族同士の対立抗争が86回発生しています。
武器が使われるケースもあり、
こん棒
鉄パイプ
刃物
火炎びん
などが登場します。
ここまで来ると、
「バイクで暴走する若者」
ではありません。
組織的な少年・青年犯罪集団
という側面が強くなります。
1970年代の東京で特に象徴的なのが大井ふ頭です。
広い道路、工業地帯、夜間の交通量の少なさなどから、暴走族が集まりやすい場所になりました。
1977年には、大井ふ頭でスペクター約1,300人に対して別グループが襲撃するという、大規模な抗争が記録されています。
これは1970年代東京の暴走族文化が、いかに巨大化していたかを象徴する事件です。
暴走族の暗黒面で最も重いのは、交通事故による死傷者です。
高速走行、信号無視、集団走行、追跡、無免許運転、飲酒運転などが重なり、
本人だけでなく、同乗者や一般市民まで巻き込む事故
が発生しました。
したがって、
「本人たちが危険を承知で走っているだけ」
では済まなかった。
暴走族が社会問題として強く取り締まられるようになった最大の理由の一つです。
一部の集団では、
暴走
↓
恐喝
↓
傷害
↓
窃盗
↓
薬物
↓
暴力団との接触
という犯罪への連鎖が問題になりました。
もちろん、暴走族=全員が犯罪者ではありません。
しかし、暴走族の人間関係が犯罪グループへの入口になるケースがあったことは、警察資料でも問題視されています。
ここが「暗黒史」の核心です。
ここを「不良だから」で片付けると、歴史を誤ります。
警察白書の分析では、暴走族への加入には、
学校の仲間
地元の友人
先輩・後輩関係
などが大きく関係していました。
つまり、
「居場所」
だったのです。
家庭・学校・社会に居場所を感じられない少年が、
「族に入れば仲間がいる」
と感じる。
そして、
仲間 → 組織 → 上下関係 → 忠誠 → 抗争
へ進んでいく。
この構造こそ、暴走族問題の社会的な暗部でした。
特攻服には、
名前
所属
地元
族名
刺繍
などが入りました。
これは現代的に言えば、
「所属するコミュニティを身体に表示する制服」
に近いものです。
だからこそ、他グループの特攻服を着た人物が敵対地域に入れば、挑発と受け取られることもありました。
大きな転換点が、
1978年12月1日の道路交通法改正
です。
「共同危険行為等禁止規定」が設けられ、集団暴走そのものを取り締まりやすくなりました。
これによって、1970年代型の大規模暴走は大きく抑え込まれていきます。
しかし――
完全には消えませんでした。
1979年以降、暴走族は再び増加します。
全国では1980年に、
754グループ・約39,000人
が警察に把握され、過去最大規模となりました。
東京でも、
ブラックエンペラー
スペクター
ルート20
極悪
みなごろし
キラー連合
など、多くのグループが活動しました。
この時期になると、暴走族と非行少年グループ、チンピラ集団、暴力団周辺との境界が曖昧になるケースも現れます。
1990年代になると、
などが重なり、巨大な暴走族組織は急速に縮小します。
かつての、
数百人が一斉に走る
というスタイルは、次第に成立しにくくなりました。
私は、暴走族の歴史を単純に
「昔の不良少年は怖かった」
という話にしてしまうのは、もったいないと思います。
むしろ、
戦後日本の高度経済成長の裏側で、都市化・核家族化・学校社会・地域社会の変化の中から、若者たちは「地元」という新しい共同体を作った。
その共同体が、
仲間意識 → 組織化 → 上下関係 → 排他性 → 対抗意識 → 暴力
へ変質していった。
これが「暴走族暗黒史」の核心だと思います。
そして東京の場合、新宿・渋谷・城東・城南・大井・多摩・町田・八王子などで、それぞれ違った暴走族文化が形成されたことが非常に興味深いところです。

写真は町田市境川にて・・
私がなぜ「暴走族の歴史」を調べるに至ったか?
それは、町田市に住めばわかりますが、夜な夜な族らしき連中がうるさいのです。
東京都の暴走族史は、単に「昔、バイクで走っていた若者たち」という話ではなく、1950年代のカミナリ族 → 1970年代の巨大グループ化 → 1980年代の抗争・非行集団化 → 1990年代以降の縮小・分散化という流れで見ると非常に分かりやすいです。
警察白書などの公的資料と当時の記録を照合すると、東京は全国でも特に大きな暴走族文化の中心地でした。昭和48年(1973年)10月末の警察把握だけでも、東京213団体・5,921人とされています。(警察庁)
暴走族の直接の前身は、1950年代に登場したカミナリ族です。
警察白書によると、昭和30年(1955年)頃から、スピードとスリルを求めてオートバイを乗り回す若者が現れ、消音器を外して大きな音を出しながら走るようになりました。1959年頃には「カミナリ族」という呼び方が定着していきます。(警察庁)
東京では、
など、都市部の道路そのものが若者たちの舞台になりました。
この時代はまだ後の「暴走族」のような巨大な組織ではなく、バイク好きの若者の集団という性格が強かったと考えられます。
1960年代後半になると、東京のカミナリ族はさらに大規模化します。
1969年には、新宿副都心に毎週土曜日、約200人のカミナリ族が集まる状況が生じ、警視庁は大規模な取り締まりを実施しました。(ブラックエンペラー)
そして1970年代に入ると、
二輪車だけではなく自動車も加わる
ようになります。
警察白書は、1972年頃から二輪車だけでなく四輪車も使用され、集団走行・見物人・騒音・危険運転などが組み合わさって「暴走族」と呼ばれるようになったと説明しています。(警察庁)
ここが歴史上の大きな転換点です。
1973~74年頃になると、東京では暴走族が巨大なグループ・連合組織へと発展します。
代表的な名前として、
などが記録に登場します。
1973年10月末の警察把握では、東京だけで213団体・5,921人。(警察庁)
これは現在の感覚からすると驚異的な規模です。
東京の暴走族史を語るうえで、避けて通れないのがブラックエンペラーです。
特定の一つの地域だけの小規模チームというより、複数の支部を持つ大きな組織へと発展しました。
一方で、
スペクター
ルート20
極悪
ジョーカーズ
なども東京各地に勢力を持ち、地域・学校・友人関係などを基盤にグループが形成されました。
警察白書によると、当時の暴走族は数人から数百人規模まであり、平均すると約40人。大きなグループは支部を持つ構造になっていました。(警察庁)
つまり、
「○○というチームがあった」
だけではなく、
本体 → 地域支部 → 地域のメンバー
という組織構造が形成されていたわけです。
この時代になると、暴走そのものだけでなく、グループ同士の抗争が社会問題になります。
警察白書によれば、1974年には暴走族グループ同士の対立抗争が86回発生し、火炎瓶・こん棒などが使われるケースもありました。(警察庁)
東京でも、
ブラックエンペラー
vs
スペクター
vs
ルート20
vs
極悪
など、複雑な対立関係が生まれます。
1977年には東京・大井ふ頭で、スペクター約1,300人に対して極悪側が襲撃するという大規模な抗争が記録されています。(ブラックエンペラー)
この頃の大井ふ頭は、東京の暴走族史を象徴する場所の一つです。
ここは、以前お話しした**町田の「ピエロ」「みなごろし」**にもつながります。
1978年7月15日、警察の記録には、
東京・町田市で「ピエロ」約150人と「アリーキャッツ」約150人が乱闘
とあります。(ブラックエンペラー)
つまり町田は、東京西南部の単なる「周辺地域」ではなく、1970年代の暴走族文化の重要な地域の一つだったことが分かります。
また1978年には、
ルート20
スペクター
みなごろし
ピエロ
などの名前が町田・多摩・神奈川方面の動きと関連して記録されています。(ブラックエンペラー)
これは、町田が地理的に
東京23区 ← 多摩地域 ← 町田 ← 神奈川
という交通・人的ネットワークの接点だったこととも関係しています。
1978年12月1日、道路交通法が改正され、**「共同危険行為等の禁止」**が新設されました。
これが非常に大きかった。
警察白書によれば、その後、暴走族の活動はいったん大幅に減少しました。(警察庁)
ところが――
完全には消えませんでした。
1979年頃から再び活動が活発になります。
1980年には、警察が把握する全国の暴走族が、
40グループ・3,585人
に達したと警視庁が発表しています。(ブラックエンペラー)
全国でも1980年11月時点で、
754グループ
約39,000人
となり、構成員数は過去最高を記録しました。(警察庁)
東京では、
など、多数のグループが活動していました。
実はここが重要です。
警察白書によると、1970年代後半には、
二輪車:約35%
四輪車:約65%
という構成になっていました。(警察庁)
つまり、
「暴走族=バイク集団」
というイメージは、実態の一部にすぎません。
自動車による集団走行がかなり重要になっていました。
1981年の警察白書は、東京の暴走族について非常に興味深い分析をしています。
暴走族は、
中学校時代の仲間・番長グループ
などを母体として形成されるケースが多く、出身中学校を中心とした人間関係がその後の暴走族加入につながっていたとされています。(警察庁)
東京では特に、
城東
下町
城南
などで暴走族構成員が多かったと警察白書は分析しています。(警察庁)
つまり、
「バイクが好きだから集まった」
だけではありません。
地元の仲間意識・学校・地域社会・上下関係
がかなり重要だったのです。
1980年代後半になると、警察の取り締まり強化、道路交通法の改正、免許行政、少年補導、車両規制などによって、1970年代型の巨大暴走族は徐々に力を失います。
さらに、
などが重なります。
「数百~千人規模で一つの場所に集まる」
という1970年代型のスタイルは、次第に成立しにくくなっていきました。
1990年代以降になると、かつてのような巨大組織は急速に減少します。
一方で、
旧車・改造車・バイク文化
そのものが消えたわけではありません。
暴走族OBを中心とする「旧車會」など、暴走行為そのものより、旧型バイク・改造・仲間との交流を中心とする文化も生まれました。
ただし、現在でも違法な集団走行や騒音運転などは存在します。
私はこう整理すると一番分かりやすいと思います。
カミナリ族の時代
バイク・スピード・騒音。
↓
暴走族成立期
二輪+四輪。
グループ化。
↓
巨大暴走族・抗争の時代
ブラックエンペラー
スペクター
ルート20
極悪
ジョーカーズ
みなごろし
ピエロなど。
東京の暴走族文化が最も巨大化。
↓
第二次ピークと組織抗争
道路交通法改正後も復活。
地域支部・連合・抗争が続く。
↓
分散・縮小・変質
巨大組織は衰退。
旧車會などへ文化の一部が継承される。
東京を一括りにすると見えなくなります。
大まかには、
城東・下町
→ 極悪、一寸法師など
城南
→ ブラックエンペラー、スペクターなど
渋谷・新宿・原宿
→ 都心型の集結・走行
多摩東部
→ ルート20など
町田・多摩南部
→ ピエロ、みなごろしなど、神奈川方面との接点
というように、地域ごとにかなり異なる「族文化」が形成されていました。
そして町田については、以前お尋ねになった「ピエロ」「みなごろし(金鹿)」を単独で調べるより、「町田・相模原・多摩・八王子・府中・調布を結ぶ南多摩の暴走族史」として見ると、かなり実像に近づきます。
特に1970~80年代の「町田ピエロ」「みなごろし(金鹿)」「ルート20」「スペクター」「アリーキャッツ」などが、どの地域を本拠にし、どのチームと対立・連合していたのかは、新聞記事や警察資料を年代順に追うと相当詳しく復元できます。

写真は町田市境川にて、8月中旬に撮影
まず大前提として、「地下水○%、河川水○%」という都内全域の単純な比率は公表されていません。東京都の水道は、区部と多摩地区で水源構成が大きく異なり、さらに季節や施設の稼働状況によって変わります。
そのうえで、公開資料から大きく整理すると、次のようになります。
| 地域 | 主な水源 | 地下水の位置づけ | 硬度の傾向 | 水の印象 |
|---|---|---|---|---|
| 23区 | 利根川・荒川・多摩川などの河川水・ダム水 | 非常に小さい | 約60~70mg/L中心 | 軽く、すっきり |
| 多摩東部 | 河川・ダム+地下水 | 比較的大きい | 50~90mg/L程度 | まろやか |
| 多摩西部 | 地下水+多摩川系など | 地域によって大きい | 20~70mg/L程度 | 軽快・すっきり |
| 町田市 | 地下水+広域水源 | 地下水源あり | 地下水系では100mg/L前後の地点も | ミネラル感が比較的ある |
| 調布市 | 地下水+広域水源 | 地下水源あり | 中程度 | まろやか |
| 多摩全体 | 地下水+表流水・伏流水 | 重要 | 地域差が大きい | 地域差が大きい |
東京都水道局によれば、都営水道26市町には、現在地下水(井戸)277か所、表流水・伏流水25か所があります。ただし、これは「水源施設の数」であって、水量の比率ではありません。(東京都水道局)
東京23区の水道水は、基本的に
利根川・荒川水系
+多摩川水系
などの広域水源を浄水処理したものです。
特に利根川水系については、
金町・三郷・朝霞・三園・東村山浄水場
の5浄水場すべてに高度浄水処理が導入されています。(東京都水道局)
つまり現在の23区の水道水は、
「昔の東京の水」=カルキ臭い水
とはかなり違います。
高度浄水処理によって、かび臭・有機物・カルキ臭の原因物質などをかなり低減しています。
ここが23区との最大の違いです。
多摩地区26市町では、
地下水(井戸)277か所
が水源として存在します。
しかも東京都の資料によれば、地下水の揚水量は近年減少傾向にあるものの、現在も多摩水道の重要な水源です。(東京都水道局)
したがって、
「東京の水=全部河川水」ではありません。
特に多摩地域では、地下水の存在を無視できません。
ただし、277か所あるからといって「多摩の水道水の○%が地下水」という意味ではありません。
井戸ごとの揚水量、浄水所の稼働状況、広域的な水運用などがあるためです。
これは非常に興味深いところです。
東京都水道局も、
一般的に地下水のほうが表流水より硬度が高くなる傾向がある
と説明しています。(東京都水道局)
地下水は地中を通る時間が長いため、
カルシウム・マグネシウム
などのミネラルを取り込みやすいからです。
そのため、
→ 比較的軟らかい
→ 軽い
→ すっきり
→ ミネラルがやや多い
→ まろやか
→ 多少「コク」がある
という傾向があります。
結論は、
東京都水道局の令和6年度の平均硬度は、
61.4 mg/L
でした。(東京都水道局)
日本で一般的に使われる分類では、100mg/L前後までは軟水~中程度の水として扱われることが多く、ヨーロッパの硬水地域とはかなり違います。
東京都水道局自身も、東京の水道水は季節や水系によって違うものの、
概ね50~100mg/L程度
と説明しています。(東京都水道局)
つまり、
東京の水=軟水だが、超軟水ではない
と考えるのが一番近いです。
ここが面白いところです。
東京都水道局の令和4年度データでは、
最高:89.7mg/L
最低:19.6mg/L
という大きな差がありました。
最高値は練馬区・江東区、最低値は青梅市です。(東京都水道局)
つまり、
青梅の水
と
練馬・江東の水
では、同じ「東京都の水道水」でも、ミネラル量がかなり違います。
これは水源・浄水施設・配水系統の違いによるものです。
東京都水道局は「おいしい水」の基準として、次のような項目を重視しています。
| 項目 | おいしい水の目安 | 東京都令和6年度平均 |
|---|---|---|
| 硬度 | 10~100mg/L | 61.4 |
| 蒸発残留物 | 30~200mg/L | 120 |
| 遊離炭酸 | 3~30mg/L | 4.4 |
| 臭気度 | 3以下 | 1未満 |
| 残留塩素 | 0.4mg/L以下 | 0.4 |
| 水温 | 20℃以下 | 18.3℃ |
全体として、かなり「おいしい水」の範囲に入っています。(東京都水道局)
かなり大ざっぱに分類すると、私はこんなイメージを持ちます。
青梅・福生・あきる野など
比較的硬度が低く、
「軽い」「すっきり」「雑味が少ない」
という方向。
「まろやか」「少しミネラル感がある」
という方向。
特に町田の木曽周辺の地下水源では、過去の水質年報で硬度100mg/L前後の水源も確認できます。
高度浄水処理によって、
「クセがない」「すっきり」「非常に均質」
という方向です。
昔の東京の水道水にあった「カルキ臭い」というイメージは、現在ではかなり当てはまりにくくなっています。東京都はカルキ臭やかび臭の低減を含めた独自の「おいしさに関する水質目標」を設定しています。(東京都水道局)
青梅などの一部多摩西部
↓
調布・町田など地下水を利用する地域
↓
23区の広域水源系
↓
多摩地区の一部地下水源
というイメージです。
ただし、これはあくまで水源・硬度から見た傾向で、「おいしさ」は個人差があります。
現在、東京都の水道水を比較するなら、単純な
「地下水だからおいしい」
だけでは不十分です。
地下水は水源によってPFASの影響を受ける可能性があり、東京都水道局もPFOS・PFOAを継続的に検査しています。東京都の水質データでは、浄水場・給水所ごとのPFOS/PFOA検査結果を確認できます。(東京都水道局)
一方で、水道水として供給されている水は、水質基準に基づいて管理されています。
ですから、
「地下水だから安全」
「河川水だから危険」
という単純な話ではありません。
東京都全体を一言でまとめるなら、
23区
→ 河川・ダムなどの広域水源中心
→ 高度浄水処理
→ 比較的均質
→ 軟水
→ すっきりした味
多摩
→ 河川・ダム+地下水
→ 地下水の存在感が大きい
→ 地域による硬度差が大きい
→ 軟水~中程度
→ 地域によって「まろやかさ」が違う
という構造です。
そして、「水のおいしさ」という観点では、必ずしも地下水100%が最高ではありません。 硬度は低すぎても淡白になり、高すぎても口に残るため、東京都水道局も「適度な硬度」を重視しています。(東京都水道局)
もし「東京都で水道水がおいしい地域ランキング」を作るなら、23区+26市町を対象に、①硬度、②PFAS、③残留塩素、④地下水比率、⑤高度浄水処理、⑥水源の種類を組み合わせて、**「東京の水がおいしい市区町村ランキングTOP10」**のように整理すると、かなり面白い比較になります。


日本は半導体やAIの最先端競争で後れを取っているように見えます。しかし、その舞台裏では、半導体材料、製造装置、精密加工など、世界の産業が簡単には代替できない「日本の技術」が存在しています。
この動画では、世界の半導体・AI産業を陰から支える日本の「10大技術」に注目し、中国や韓国も追随することが容易ではない、日本のものづくりの強さと知られざる存在感を紹介しています。

