Tamaki : 写真における「ストーリー性」

写真のストーリー性について、

私の推測と”妄想”を交えて、記していきます。

この最初の1枚の写真が

彼女の生涯を如実に語っているようでならない。

model : Tamaki Wada

モデル歴も20年以上になるのでしょうね。 知性と品性を兼ね備えた人でもあり、私と彼女の間では”くだけた会話”をすることもない。 

したがって、プライベートに踏み込んだ会話をしたこともなく、彼女の”実像”は想像の域を出ない。

model : Tamaki との出会いは、4年前くらいだと記憶している。 年に1~2回の撮影を重ねている。 

撮影前には、「最近はどうですか?」などという月並みの会話から始まることも多い。 この人は根っからの写真マニアなので、業界に精通してることもあり、様々な情報を得られる。 僕が、日本の業界に疎いこともあり、新鮮な話を聞けることもある。

でも、正直なところ、私と彼女の間には”壁”がある。 その壁は私だけでなく、誰にも超えられない壁かもしれない。 彼女が僕に語った本心はたった一言「物心がついた頃には、カメラのレンズがいつも自分に向けられていた」。 父親が彼女を子供のころから記録し続けていたのだろう。 その愛は永遠に彼女を包み込んでおり、今も、これからもずっと続いていくのだろう。

このモデルさんは、被写体モデルとしてだけでなく、役者としてのキャリアもある(ストーリー性)。 

2017年の展示会に使った作品。

Photo Expo in Harajuku 2017

その時、彼女が受付を手伝ったくださった。

普段はほとんど静的なポーズをとるが、

この時は珍しく動的なポーズとなっている。

日本の伝統的絵画(浮世絵)を見ていると、そこには”絵”だけがあって、時間の概念は存在しない、含まれない。 また、多くは奥行きがなく、平面で完結されている。 

したがって、浮世絵は縦と横の二次元の世界にあって、西洋絵画のような三次元を想わせる奥行きは持ち合わせないし、ましてや、時間の概念はなく、バルチュスの絵画のような時間軸を組み込んだ四次元の世界観もない。

ですから、ストーリー性を持たせるには、時間軸を組み込むことが意識的になされないとならない。 私は、浮世絵から多くを学んでいることもあり、ストーリー性のある作品は得意としない。

下の画像のように、三枚を並べて展示することによって、ストーリーを想わせる展示もあれば、一枚の画像の中にストーリー(物語)を想わせる作品もある。

僕は、ここ10年で50人以上の人を撮ったかもしれない。 その度に、撮影前に、撮影中に、撮影を終わってから、食事でもしながら色々な話をしてきたし、僕が聞き手になることも多くあった。 スタジオで撮ることが多いが、屋外で撮ることもある。 僕には話しやすいのか、(有難いことに)信頼されているのか、その人の”心の闇”を話されることも多い。 闇とまでは言わなくても、コンプレックスや心身の病みだったりする。 メッセンジャーの電話を利用して直接話すこともある。 僕は、感が良いので、その人の話の中に“闇や病み”が見えてしまうこともある。 その“闇や病み”は程度の差こそあれ、ほとんどの人たちが抱えている・・だからこそ、それを形(写真)にすることによって、発散しようとしているのか、シャッター音の刻みと共に、その人の人生を記憶として留めておきたいのかもしれない。

ところが、model : Tamakiさんに限って、それら(“闇や病み”)を感じたことがない、というより、彼女の中には存在しないのだろう。 その代わりと言ってはなんだが、”重い想い”を感じてしまうのは私だけだろうか。 その想いには誰にも近づけない、これから先、永遠の孤独を続けていくのかもしれない。 (私の勝手な解釈になってしまうが)そんな彼女の「 永遠の孤独 」をストーリーとして、ここに残せられれば?と思う。

 

この人は北海道出身である。 人にはそれぞれ、出身地によりその地域の”色というか香”のようなものがある。 ところが、北海道出身の人にはその色や香りがない、というか、大陸的とも言えるような解放感を感じさせる。 元々、この地域は日本じゃなかったし、”外国”なのかもしれない。 

東京に生まれ、長く住んでいると、自分は都会人であると思っているだろうが、このエリアは元々は地方出身者の集まりであり、”田舎者集団”であることに気付いていない。 生粋の東京人は少数派である。 

これは、僕の経験からだが、名古屋出身者とはなぜか、相性が悪い。 ”嫌な奴だなぁ”と思った人間は全て名古屋人であった。 天下のトヨタの本社があるのだから、このエリアだけは日本から独立すればよい・・などと、過去、思ったこともあった(冗談ですよ、マジにはいってません・笑)

品性というものはとても大切であると、改めて思うことがある。 

これは、一番最近の写真。 2020年の夏。 この時は、今までになく美しく見えた、聡明感のある美しさ。

世田谷区三宿、カフェ&レストランの前で。

豊洲・天王洲アイルにて。

2017年夏。

このドレスの赤は原色(実際)の赤とは違い、

私が色彩調整をしているが、

これほどまでに美しい赤を

これまで見たことがない。

たいていの場合は、この人はこういう人なのだろうなぁ~という想像力が働く。 ところが、この人に限っては全く想像がつかない。 お互いに、プライベートには踏み込まない・・という暗黙の礼儀みたいなものがあるのだろう。 やっぱり、僕にとっては別の惑星の人ですね。

豊洲・天王洲アイルにて

夕方も過ぎて、既に夜になっていた。

九品仏浄真寺 秋  この画像について・・僕の一番のこだわりは、木の葉の影が顔にまだら模様となっている。 僕のこのような拘りは一般的には伝わらない(通じない)ようなのだ。 そのことが、とても残念でならない。

人の記憶というものは、当てにならない・・この写真はずっと昔に撮ったような気がする。 そう、20年くらい前のような気がしてならない(実際は4年前)。