「小玉龍幸作品集」
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多くの写真家は、背景の光の入り方などお構いなしにシャッターを切ってしまう。 被写体を最優先するから、そのようなことが起こるのだが、小玉氏は常に画面全体の(光の)の統一感を考えておられる。 私の場合で言えば、被写体最優先で撮ってしまい、背景がどうであるかは”結果論”なのです。 このことは私だけでなく、多くの写真家にも見られる。
ポートレイトの場合、被写体にフォーカスすれば、”個性化”は難しいことではないが、画面隅々に至るまで範疇に入れながらの撮影は、困難を極めます。 その困難を彼は難なくこなしておられる。 写真の”入門の仕方”は個々様々だろうが、彼の場合は「光の織り成す造形美」をいかに絵にするか?ということから、(私の勝手な想像だが)始まったと思われる。
欲を言えば、この空間におけるモデルの存在感(空間との関連性)をより説得力のあるものにしてほしかった・・というのは、私の“我がまま”なのだろうか。


小玉氏の作品は、フェルメールの絵画がそうであったように、抽象的で曖昧な概念を、具体的な物事に置き換える「寓意画」のように見える。 他の作品にも”そのような傾向”が見られる。

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写真というのは”怖いもの”で、”人格”を物語ってしまう。
正統でかつ誠実な写真を撮られる。
https://tetsurohigashi.com/tatsuyuki-kodama-gallery-portrait/

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