「御守り」





私は言葉で他人の人生を狂わせた事がある。 
言葉は自分の容量の鏡みたいなもので 時と場合によって 凶器にも御守りにもなる。
当時は間違ってる奴に 間違ってるって言って当然だろって釘を打ち
その分自分に厳しくしていたけれど。

そもそも間違ってると思った過程で 本人にはどんな経緯があったのか
もしかしたらギリギリの瀬戸際でそうなってしまったのか。
分かろうともしなかったんだろう。
もう二度と会えなくなってしまった人に
どうして御守りを 持たせてあげられなかったのだろう。
他人それぞれの物差しがある。
色んな角度からみれる人間は居るようで あんまり居ない。
深夜のベランダの刺すように冷たい空気が 私に訴えかけてくる。

エッセイ:Kaosu Kaosu

この撮影のとき、僕が放った一言「おへそを見せろ・・」でした。

おへそは写り込んでいるかどうかは、とても大切なことなんです。

光と影

最近になって、ふと思うことがあるのですが・・

上のような写真を観るとき、

多くの人は光のあたり方の美しさを見てはいるが、

影のでき方の美しさは見逃しているような気がする。

光の創る像を見てはいるが、

光が創る影は(意識しては)見てないような気がする。

撮影時にプレビュー画面を確認しますが、

写真家は、影の写り込みを見ながら撮影してるし、

また、編集していきます。

スタジオでの撮影

スタジオでの撮影とは書いてますが、実のところ、スタジオなどなく、オフィスの一部を机などをどかしながら、セッティングして撮影してるわけです。 モデルの方は皆、ご存知の通り。

でも、駅前にオフィスを構えている・・というだけでも、贅沢なこととも言えますね。 

今年の見通し

僕は、専門家ではないので、勝手な予想ではなく、希望的観測を記します。 だいたいこんな感じで進んでいくじゃないか? ・・・

一度で効果を見込めるワクチンと二度必要なワクチンがあり、有効期間は3か月だそうなので、年4回もしくは8回接種を受けることになりそうです。 副作用はほぼなさそうなので、(僕は)前向きに接種していこうと思ってます。 2月下旬から始まり、6月くらいまでには、(一巡目が)希望者者には行き渡りそうです。 

そうなれば、7月のオリンピックは可能になりますし、やった方が良いと思います。 開催による”既得権益者たち”の味方をするわけではなく、びくびくしてやらないよりは、ウイルスに挑む形で進めた方がよいと考えます。

オリンピックが開催されれば、新種のウイルスが世界中から入ってくるわけですから、ビビるのは分かりますが、鎖国してるわけではないので、国を超えた出入りがあれば、新種ウイルスのリスクには晒されているわけです。 

逃げながら、後ろから飛んでくる矢を恐れるよりも、前進した方が結果は良いと考えます。

今後、グローバルに人が集まる開催はいくらでもあるわけですから、”日本モデル”として、良い意味での前例をつくると良いと思います。

カメラの性能

この画像は、Nikon D810 & ニコールのレンズで撮っている。

今は、D850 と D780になっているので、

僕のカメラは一時代古いものになっている。

また、Nikon からはZⅡシリーズと言って、

ミラーレスで口径の広いカメラも出ている。

Nikon D810はここ5年間で100万ショットくらいは撮ってきたので、

さすがに限界がきている(オバーホール費用は7万円)

小型で持ち歩きやすく描写力がしっかりしている・・という条件で

D780を買おうかと思っている。

描写力では口径が広い分、Zシリーズが上のようですが、

口径の合うレンズを持ってない。

展示会に使うという写真ということで、

かなり引き延ばして出力するので、上に挙げたものに限られる。

PC上に乗せるためだけの画像であれば、

中古のズームレンズ付きの数万円のカメラで十分です。

クオリティーの高い画像にするには、操作が難しいですが。

高いカメラを使うと、撮影が易しくなります。

悪条件でも、白飛びせず黒潰れせず、撮りきってしまいますから。

ブログのコンセプト

「ブログのコンセプト」を再度見直していこうと思っている。

これまでは、私の画像とテキストを中心に載せていたが、

今後は、様々なアーティストの「作品展」にしていくつもり。

また、これまであった「カテゴリー」が消えていると

気付いた人もいると思いますが、

“ただいま、工事中”ということで、公開してないのもあります。

新たに更新したものを優先して載せていくつもり。

このブログを「大きな展示会場」にしていこうと考えてます。

”いきなりのリクエスト”が届くことがあると思いますが、

快諾していただくと嬉しいです!

信仰と現実

対立というのは、互いの存在を認め合っている状況なので、

話し合えば、歩み寄る余地がある。

ところが、

分断は、どちら側にも”正義”があり、

互いに否定的であり、歩み寄る余地がない。

もちろん、落し処もない。

・・このことは、

リアルタイムに進行するアメリカの状況を見ていてのこと。

「不正は許さない」というのは”信仰”であり、

「不正も致し方ない」というのは”現実”です。

人が生きていくとき、

”信仰”に基づいて道を選ぶか?

”現実”を直視して立ち回るか?

大統領選のように二者択一を強いられると、

結果として、分断を招きます。

”信仰”と”現実”は互いに遠ざけ合う概念なので、

歩み寄る余地がない。

今後、保守とリベラルという政党形態は崩れるでしょう。

共和党にも民主党にも、

”信仰”で生きる者、”現実”に生きる者はいるからです。

歴史の生き証人

去年から今年にかけては、皆が歴史の生き証人となった

それまで当たり前だった日常がある日突然崩れる

この国の人たちは、地震などの天災で慣れてはいるが、

海外の人たちにとっては、とんでもないことになった・・

数年後には判明するだろうが、

武漢の研究所から手違いで人工的に培養していたウイルスが漏れてしまったこと・・

今回はウイルスでしたが、

次は何が起こるか・・

限定的なのか、広範囲なのか、

地球を覆ってしまうような核拡散になった場合、

今回と同様、マスクをして、水や食料の不足が深刻となる

大気は汚染され、数百万人の弱者が亡くなっていく・・

環境問題うんぬんよりも、こちらの対策が先じゃないのかな。

「老いる」という概念

1920年時の平均寿命は43歳だったそうです。

あれから100年経った2020年、寿命は80歳を超え、

今後、限りなく100歳に近づく。

生まれてから30歳までが成長期・育成期、

30~50までが第一次成熟期。

 (盛んに仕事に打ち込める・・)

50を境にして、第2の人生が始まると思えばよいでしょう。

50~70までを第二次育成期、

 (自分の適性・不適正はおおむね分かってきている)

70~100歳を第二次成熟期と考える。

 (これまで学んできたことの集大成)

老いるとか、老人になるという概念は世間が勝手につくったもの。

隠居とか余生とか・・という考えは捨てた方がよいですね。

生涯現役と考えれば、年金などもいらんしね・・

今年もよろしくお願いします!

好き勝手に載せていきますが、今年もよろしくお願いします!

展示会は開催することも、参加することも年内は難しそうです。

それで、ここでWeb Gallery を続けていこうと思ってます。

幸い、WordPress は自動翻訳ができますので、日本語でもOK。

現在、一日に500~1000ページビューありますが、

10000ページビューを目標としてます。

One’s self in the Mirror

https://tetsurohigashi.com/ones-self-in-the-mirror/

PCで観てください

以前にも書いたことがありますが・・ 

出来るなら、スマホじゃなくPCで見てください。 

スマホでは縦長画像は表示通りに見えますが、

横長の方はかなり小さく見えてしまいます。

縦長画像:長辺640ピクセル

横長画像:長辺1024ピクセル

このブログは、PC用にデザインしてます。

https://tetsurohigashi.com/ones-self-in-the-mirror/

鏡の中の自分

モデルにとっては、カメラを向ければ、カメラ目線になってしまうことと同様、

鏡に向かえば鏡の中の自分を見てしまうことは至極当然。 

その意味では自然に撮れてはいるが、

鏡をフル活用するには体勢のとり方も課題。

目線のとり方、

そして最も重要なのは、背景を想定して

セッティングの中での写真家のカメラ位置のとり方。

https://tetsurohigashi.com/ones-self-in-the-mirror/

もてあそばれる

鏡などのセッティングはすべて私がするが、

演出はモデル任せ・・

画像を見て分かるように、

撮っているつもりが、いつしか撮らされている

女性の多様な人格にもてあそばれているようだ・・

One’s self in the Mirror https://tetsurohigashi.com/ones-self-in-the-mirror/

「虚実を超えた世界への扉」

「虚実を超えた世界への扉」

虚像と実像

その解釈はいろいろある・・

目の前に見える像が”本当の自分”であり、

鏡の中は”仮の自分”

自分が認識する自分と他人から見えた自分

もっと踏み込んでみれば・・

自分が知る自分と自分では気が付かない自分

自分が認識する自分は自分からは見えない虚像であり、

現実に生きていれば・・

自分には自覚できないが、他者から見える自分が実像であるのか。

人は、実像と虚像の間で悩み迷い時には苦しむのだろうが、

どちらも自分であると(自分が)認めるようになるのに

膨大な時間を要する

この画像で確かなことは・・

左下の絶大なお尻は現実であり、

鏡に映る股間は”希望への扉”である。

「虚実を超えた世界への扉」

One’s self in the Mirror https://tetsurohigashi.com/ones-self-in-the-mirror/

年を越す

気になること、解決できないこと、何となく不安に思うこと、

そんなことを引きずりながら、年を越していく

世界中の人たちが、この先どうなるのだろぅ?と案じているのでしょうね

成るようにしかならない・・という開き直り方もあるのでしょうが、

僕の性分には合いません。