オリオールズに移籍した菅野 智之 どこまでやれるか?

今月31日に先発しますね

彼のピークは20代後半だったと思いますが

30を過ぎたころから故障がちとなり

去年復調して

現在は円熟してる感が漂う35歳

NPB 12年間 通算防御率:2.43

オリオールズに移籍した菅野智之 どこまでやれるか?

・・と言えば

けっこやれるんじゃないか!と思ったり

選手としての”花道”飾りそうです

オリオールズ 打線もしっかりしてるので

18勝5敗 とか、

ビックリするような数字だすこも

これまでの日本人最多勝は松坂の16勝だから

それを越して来たら、面白い・・

好きな選手じゃないけど、頑張れ!

日本人は、足元の”出来が違う”

ピッチャー:山本由伸

レフト・鈴木誠也

DH:大谷翔平

・・というように、日本の3選手が入ってます。

Yahoo!ニュースの対談で見たのですが・・

なぜ、日本人投手の多くがメジャーでも通用するのか?

・・と言う話題で

日本人は農耕民族なので

例えば、地面に落ちてるものを拾う時

足首を曲げて使ったり、ひざを折ったり、腰をかがめたり・・と

けっこう複雑な動作をしてるそうですが

狩猟民族の人たちは腰をかがめるという単純な動作だけでものを拾うと・・

田植えをしたり、畑を耕したりするとき、

(したことはないけど)けっこう複雑な動作をしてそう

方や、狩猟民族の人たちは単純な動作になりがち・・とのこと

メジャーリーガーと言えば、パワーで押し切ってしまう人が多い

ピッチャーでも打者でも

ところが、大谷にせよ朗希にせよ

パワーで押し切ってる感はないですね

由伸しかり今永しかり

そう言えば

日本人は、足元の”出来が違う”というなら

サッカーは?となりますね

ワールドカップ予選通過したし

FIFAランク15位だから

まぁ・・良しとするか

最近、アジアでは1強になりつつありますね。

フォトエッセイ「神聖なる少女のヌード」

:

タイトルは「神聖なる少女のヌード」となってますが

少女を撮ったわけではありません。

モデルは立派な成人女性です。

フォトエッセイ「奇跡のときが生まれる・・」

写真作品の素晴らしさが言葉にならないほど美しい時

―モデルに圧倒され、ただシャッターを切るだけの存在になった瞬間―

撮影者として、長い年月のうちに幾度となく「いい瞬間」に立ち会ってきた。だが、言葉にならないほどの美しさというものは、めったに訪れるものではない。それは構図でも光でもなく、モデルの放つ「生の気配」が一気に空間を支配する、ある種の覚醒のような時間だ。

あの日のスタジオには、特別な仕掛けなどなかった。無地の背景と、わずかな自然光、レフ板を一枚。モデルは椅子に座り、ただ目を閉じ、深呼吸をしただけだった。しかし、次の瞬間──彼女の背筋が伸び、腕が静かに動き、顔の角度が一つ変わっただけで、空気が変わった。

カメラを構えるこちらの体が、思わず硬直した。

一枚撮るたびに、こちらの思考は薄れ、ただ「その流れについて行こう」とする意志だけが残った。彼女は、ポーズをとっているのではない。何かを「語って」いた。生まれてから今に至るまでの感情の重なり、言葉にできなかった記憶、そして今ここに立つ意志──そのすべてが体の動きと眼差しに込められていた。

撮っている側であるはずの私は、ただの「目撃者」と化していた。撮るべき構図を探すのではなく、目の前の「現象」にどうにか追いつこうと、夢中でシャッターを切るしかなかった。後でファインダー越しの映像を見返してみても、自分がどうしてこのアングルで撮ったのか、どの瞬間にシャッターを切ったのか、まったく思い出せない。

モデルの存在感に圧倒され、技術や意図などすべてを手放したその瞬間、写真はただ「生まれていた」。

こんな時、写真は単なる記録ではない。芸術とか、表現という枠すら飛び越えて、そこに「生」の残像が焼き付いている。言葉で説明することが野暮になるほど、その1枚の中にはすべてが宿っている。

カメラの前に立つ彼女の姿は、演じられたものではなく、むしろ“彼女自身”がもっとも裸になる瞬間だったのかもしれない。そして、フォトグラファーである私は、その「裸の意志」にひれ伏すようにして、ただシャッターを切る存在でしかなかった。

写真作品の素晴らしさが言葉にならないほど美しい時。それは、モデルの内側と世界の隙間が溶け合い、フォトグラファーの存在すら透明になる、奇跡のような時間である。

ご希望があれば、語り口をより詩的にも、逆にドキュメンタリータッチにも変えることができます。いかがでしょうか?

フォトエッセイ「類まれな演出力はどこから来るのだろう?」

類まれな演出力はどこから来るのだろう?

その日、彼女はいつものように静かにスタジオに現れた。控えめな挨拶と、軽いストレッチ。機材の準備をしている僕の背後で、そっと髪を束ねる音がした。モデルとの撮影は、言葉を超えて呼吸を合わせる行為だと僕は思っている。だが、彼女の前では、まるでそれが意味をなさない。

ポーズを取ってくださいと僕が言う前に、彼女の身体が、まるで空間の意志を受けて動くかのように、形を変え始めた。やや腰を落とし、片膝を折り、顔をやや伏せる。光の角度を意識しているのか、それとも全くしていないのか、判断できない。ただ、その姿が一枚の絵画のように場を支配した。

圧倒された。ファインダー越しに見える世界が、完全に彼女のものであったからだ。

「演技している」という次元を超えていた。内側から湧き上がる何かが、彼女の指先から、まつ毛の動きに至るまでを導いていた。彼女の存在全体が、ひとつの物語になっていた。撮る者としての僕は、その流れを止めてしまわぬよう、ただシャッターを切るしかなかった。

この演出力は、どこから来るのだろう?

技術か、経験か、それとも天性のものか。そんな問いは、彼女の前では無力だ。おそらく彼女自身すら、それを説明できないだろう。ある瞬間、空間と感情と記憶が、彼女の身体の中でひとつに結びつき、世界を変える。ただそこにあるはずの光景が、異なる次元へと引き上げられる。それを目の当たりにした僕は、シャッターを押しながら、ただ深く、感謝するしかなかった。

撮らせてもらっている。この人が、この空間が、今日のすべてが、奇跡のような一瞬を僕に与えてくれている。そう思えたのは、職業として写真を撮りはじめてから、ほんの数度しかない。だが、その日は間違いなく、その一度だった。

フォトエッセイ『花魁・紫太夫(むらさきだゆう)』

戯曲:『花魁・紫太夫(むらさきだゆう)』

登場人物:

  • 紫太夫(むらさきだゆう):吉原で最上位の花魁。美しさと知性、教養を兼ね備えた女性。
  • 新之助(しんのすけ):若侍。江戸にて奉行所勤め。紫太夫のかつての幼馴染。
  • お鹿(おしか):新造。紫太夫を慕う若き花魁見習い。
  • 楼主(ろうしゅ):遊廓の経営者。打算的で現実的な人物。

一幕一場

場所:吉原遊廓「雲の間」紫太夫の居室。障子の向こうには夜桜が揺れ、篝火がぼんやりと影を落とす。

(障子の奥、紫太夫が一人で三味線を弾いている。紅の薄布が揺れ、香がたちのぼる。)

お鹿(奥から駆けてくる)
太夫様、太夫様!
さっき、武家風のお侍様が門前で名前も告げず、
「ただ、紫太夫にひと言、忘れたと伝えてくれ」と……。

紫太夫(微笑しつつも目を閉じて)
忘れたと、伝えてくれ……
忘れた者が、わざわざ名を隠して訪れるかしら。

(立ち上がり、鏡台に向かってゆっくりと髪を整える)

紫太夫
花の命は短くて
咲いては散ると、昔から。

けれど、私は咲ききって見せましょう。
この吉原の空の下、誰よりも濃く、香り高く。

お鹿
太夫様は、まるで桜よりも艶やかで……
私、いつか、あのようになれるでしょうか。

紫太夫(お鹿を見つめ、やさしく微笑む)
お鹿……
艶やかさとは、紅(べに)や衣の厚さではないのよ。
心に灯す、覚悟の炎。

(そのとき障子が開き、新之助が立っている。袴姿、顔はどこか陰を帯びている。)

新之助
……紫。

紫太夫(声を震わせず、ただ優雅に)
まぁ。
お忘れになったのではなく、思い出しに来られたのね。

新之助
もう、ここにあなたを置いておきたくはない。
私は今や奉行所勤め、出世の道も見えた。
名を捨ててでも、連れ出す覚悟で来た。

紫太夫(ゆっくりと立ち、手を袖に包み)
私は、吉原で咲くことを選びました。
最上位の太夫は、咲くだけでなく、
人の夢も欲も、すべて包んで魅せるもの。

新之助
だが、それは――!

紫太夫(やわらかく、しかし凛として)
私がこの座にあるのは、己の誇りゆえ。
女として、売られた身であれ、
私はこの場所で、どの侍より高く立つ。

紫太夫(新之助に歩み寄り)
あなたの心は、確かに嬉しい。
けれど、それを受け取れば、私はただの女に戻る。
それではこの紫の名が泣きますわ。

新之助(目を伏せる)
……では、私が泣くしかないのか。

紫太夫(手を取り、静かに微笑む)
そうではありません。
あなたは、私の花の最期を覚えていてください。
誰よりも高く、華やかに咲いた花が、
風に舞うときの静けさを。

(ふたり、しばし見つめ合い、やがて新之助はゆっくりと立ち去る)

お鹿(小声で)
……太夫様。

紫太夫(口元に紅を引きながら)
さあ、お鹿。今宵も客が来るわ。
泣くのは暇人のすること。
花魁とは、いついかなる時も、
見られてこそ華。

(障子の外に三味線の音が響き、夜桜が風にそよぐ)

フォトエッセイ『紅花夢(べにはなゆめ)』

『紅花夢(べにはなゆめ)』

花街のはずれ、夕暮れに咲く

江戸・吉原の奥まった路地、表通りから外れた「柳の間」という寂れた揚屋に、一人の花魁がいた。名は紅葉(くれは)
年は二十七、華やかさはすでに陰り、若い太夫たちの賑わう楼とは対照的に、彼女の部屋は静かで、蝋燭の灯も淡い。

かつては「菊屋の紅葉」と称され、若衆や武士が列をなすほどの人気を誇った。が、時代は移ろい、紅葉の名も忘れ去られつつある。

ある晩、雨の中を一人の侍が訪れる。
名を清之助(せいのすけ)
十年前、まだ紅葉が売れっ子だった頃、ただの小僧だった彼は、偶然楼の裏手で倒れていたところを紅葉に助けられた過去があった。

紅葉は彼を覚えていなかったが、清之助は忘れていなかった。
「紅葉さま、あのとき、わたしは生きた。あれから剣の道を学び、今は下級ながら藩に仕えております。恩を返したく…」
そう言い、彼は紅葉を身請けしたいと申し出る。

だが、紅葉は笑って首を振った。

「わたしの身体は売れても、心はもうどこにもございません。
恩に報いたいのなら、二度とここへは来ないでくださいな」

そしてそっと襖を閉めた。

冬の夜、燃えるもの

清之助は毎月のように紅葉を訪ねてきた。金を持ち、贈り物を持ち、時には三味線を携えて、幼い恋心を歌に託すようにして。
だが紅葉は決して彼を受け入れようとはしなかった。

実は、紅葉には秘密があった。
十六の頃、同じ楼にいた男衆との間に子をなした。
その子は吉原の外れの寺に預けられ、今は九歳になる。

身請けされ、外へ出れば、かの子の存在は「不義密通」として露見するかもしれない。
そして子は斬られる。紅葉はそれが怖かった。
なにより、花魁としての名があるうちは、子の存在すら守る盾となる。

身を売ることでしか、守れぬものがあった。
それが紅葉の生きる理由だった。

春の嵐、花は散る

ある夜、紅葉の秘密を握った若い太夫が、身請けの話を耳にしてしまう。
嫉妬と野心に燃えた彼は、紅葉をおとしめるべく、寺にいる子の存在を藩に密告した。

その報せを受けた清之助は、紅葉を庇うために奔走するが間に合わず、役人が楼に押し寄せた。
紅葉は捕らえられ、取り調べの末に「男児を密かに産み落とし、隠していた」として、死罪を言い渡される。

子は寺から引き離され、遠くの養家へと送られることが決まる。

処刑の朝、紅葉は微笑みながら清之助に言った。

「春が来れば、あの子は菜の花を見るでしょう。
わたしの命のかけらは、きっとあの子の胸に咲きます」

斬首のその瞬間、見物人の中で清之助は涙を流し、
刀の柄を握りしめたまま、その場を動けなかった。

数年後、江戸の外れに小さな剣術道場が開かれた。
そこに通う少年の名は「楓(かえで)」。
剣の腕はまだ未熟だが、凛とした目をしていた。

道場主はかつての侍、清之助。

彼の背には紅の布を縫い込んだ羽織が揺れていた。
それは、紅葉が最期に纏っていた襦袢の一部であった。

花魁と時代背景

花魁と時代背景

夕暮れ、吉原の大門をくぐれば、そこはもう一つの世界だったという。昼の江戸とはまるで、灯りのにじむ幻想の街。花魁の歩く足音に、しっとりとした雨が似合うような、そんな時代があった。

花魁——その名は、孤独遊女を超えた、闘う文化の体現だった。

江戸という時代は、外様大名の力を削り、武士と町人の間で絶妙なバランスを果たした社会だった。

表向きは遊郭。しかしそこには、上方の流行が届いたり、俳句や短冊が集まったり、文化が育む場もありました。中には、知識人や文化人の文通を続け、己の言葉で世の中を見ていた花魁もいたという。

いつかその華やぎの裏には、計り知れぬ重さがあった。幼くして売られ、長く見習い時代を経て、ついに花先になっても、自由は手に入らない。客と恋に落ちることもあったろう。

ところで、彼女たちが纏っていたのは、ただの衣装ではない。 江戸という都市が醸し出した「夢」らしいんだのではないかと思う。 いつの世も、人は現実の外に美を求める。 だからこそ、花魁は「夢を売る職業」ではなく、「夢として生きる職業」だったのかもしれない。

時代が移ろい、遊郭の灯が消えて長い。

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鉛筆の方が魂を込めやすいようです

ずいぶん昔に描いたクロッキーのデジタルデータが出てきました

今は手元には有りません

引っ越しするときにあげました。

今撮っている写真と昔描いた絵は同じですね

描きたいところ、描きたいところしか

描いてませんし、撮ってません。

写真より絵の方がよりニュアンスが出てるような気がします

筆、この場合は鉛筆の方が魂を込めやすいようです。