
多摩川にて・・




人の心を「絵」にすれば、これくらいが”普通”なのだろう
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先日のネット記事で「失読症」というのを解説していた
僕の幼少時のことがそのまま当てはまっている
文字からの情報を得られない
簡単に言えば、目では追っているが、意味が解らない
その文字(模様)に意味があるとも思えない、気付かない
要は、文字からは何ら学べないということ
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「あ」と「め」の区別がつかない、
2でも3でも、僕にとってはどちらも同じ
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ところが、10歳ぐらいから、風向きが変わりだした
文字が読めるようになった、書けるようになった
数の概念がイメージできる
それでも、九九は相変わらず覚えられない
今も、よくできない
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そんな体験があるからだろう・・
悲哀と期待はいつも同居している。



こういう写真を撮り、こういう編集をするのは、女性に違いない・・
そんな風に思いながら、ここに載せている。
そう言えば、海外からのメッセージで、
ごついオッサンから口説きのメールが届くことがある
たぶん、僕の写真を見ながら、僕を女性だと思っているに違いない。



写真家なら、いつからでもなれる
50年生きてきたなら、50年の人生を「絵」にすればよい
絵画ではないから、デッサンからとか、ややこしい下積みはいらない
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インスタ映えする写真とかが受けているが、あれは一時の流行り
・・というか、写真によるコミュ、文字より説得力があるしね
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写真家なら、いつからでもなれる
僕なんかは60から始めた
歳をとって始めることのメリットは、既成概念ができない
すぐに忘れてしまうから、こうすれば上手く撮れるとか、、、
そういう方法論が身に付かないということ。
良くも悪くも、経験値を積み重ねることはできない
記憶することが難しいので、いつも新鮮に被写体と向き合える
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今、世界ではフォトショップをどれくらい使いこなせるか?
・・というのが、若年層の競うところ
手段で競っても意味がないことくらいは、ある年齢が来れば誰にでも分かる
この人たちの中にも、優れた才能の持ち主はいるのだろうが、
それは、ごく一部
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写真家にはいつからでもなれる
他のジャンルにはないことだよ、いつからでもなれることって。
その証拠に、著名な展示会へ出かけてごらん、
年長者ばかりだから。
20じゃ鼻たれ小僧、30代は駆け出し、40~50で中堅、
60でやっと一人前・・
だから、60~80歳くらいが最も味わい深い写真が撮れるのかもよ。
