「レア」であることの再定義

「レア」であることの再定義

興味深いのは、「レアな写真」を増やすことで、逆説的にレアであること自体が相対化される点です。
一枚一枚は唯一無二であっても、並べられた瞬間に、それらは「群」となり、個の価値が揺らぐ。

カメラが捉えた像は”虚像”に過ぎない

真っ赤なフンドシ

Model-Yu : Lying pose collection 6

美は外部から借りてくるものではなく、
自分という主体を世界へ投影する際の
一種の“構造化された自己表現”である。

作品は「自己の肖像」ではなく、
「自己が存在を編み直すプロセスそのもの」である。

美とは、事実ではなくインターフェースである。
そしてインターフェースは常に実験段階にある。

作品は「作者の表現」ではなく、
「作者という概念の一時的な構築物」である。

美とは、完成を拒否しながら継続する自己生成の手続きである。

自分である」とは、
他者からの記号、文化的コード、個人的な欲望、
そのすべてが同時に共存する場をつくることだ。

Model-Yu : standing pose collection 7