高橋洋一(政治・数量学者)が語っている

高橋洋一という(政治・数量学者)が語っているが、中国4000年の知恵というものがあって、日本の政治家(経済界)のかなりの割合の人たちはその”知恵”にはめられているという。 その知恵というのが、女性による”夜のサービス”。 そのような女性のほとんどは公務員ですから、”コスパ”が良いとのこと。 日中友好家協会とかいう組織が日本中にたくさんありますね、今の総理、外務大臣とかはその会長をしてましたから、”夜のサービス”にはたぶん引っかかっていると思われます。 それと、国土交通省大臣もかなり怪しいですね。 今回の「外交的ボイコット」の件でも、水面下で相当な”脅し”や”懇願”はあると思われます。 「ジェノサイド認定」が出来ないこともそれらと絡んでますね。 この”夜のサービス”に引っかかっているのは日本の政治家だけじゃないのですよ、海外でもたくさんいると思われます。 でも、それとこれとは別問題ですからね、このまま曖昧な政治姿勢を続けると、日本という国は”人権より金が大切”と海外からは思われます。 ”下半身”は彼の地へおいてきてしまったことは今更どうにもならないので、(国益という)理念だけはしっかり守ってほしいですね。。

二つの肉体が重なり合えば、何が起こる

日本のメディアには報道されないニュース

日本のメディアには報道されないニュースというのがあって、そのほとんどは「中国に都合の悪いニュース」。 朝日新聞、NHKなどがその代表的存在。 朝日には偏向報道を続けようとする論説員、NHKにとっては、これまでのアーカイブなどの放送権など、いろいろと中国に忖度する事情がありそうなことは、我々でも十分想像がつく。 朝日、毎日などの偏向報道は、GHQが戦後の日本を統治するのに都合の良い”戦後教育”の影響をもろに受け、それに因り、”自虐的歴史観”をそのまま信じた人たちであり、60歳以上の多くの日本人がそうであるように、21世紀を迎えた新たな日本の在り方に大きな影を落としている。

今、世界中で話題となっているニュース「台湾有事に備えて、東シナ海に新たな日米共同基地の建設」は、日本では全く報道されてない。 世界が今もっとも注目しているのが”台湾問題”。  

高橋洋一(政治・数量学者)が語っている

あなたの「命」はあなたのものではない

あなたの「命」はあなたのものではない

人はいつしか生まれて来て、活動期を経て、いつしか去っていく。

自分の意志で生まれてきたのでもなく、

また、自らの意志で”終わり”を決めてはならない・・

僕は、そう思っている。

両親が有名人で、一昨日亡くなった方がいる

自ら、それを選んだのでしょう

家が近くのこともあって、

母親がその子を抱いて僕の横を通り過ぎていくのを

昨日のことのように覚えている。

僕は芸能界音痴なので、

その母親が誰であるか?その時は知らなかった。

生かされている「命」

事情があってにせよ、自分で終わりを決めてよいのかな・・

それとも、「生」に対する執着が薄いのかな・・

日本のメディアには報道されないニュース

自由と不自由、どちらを担保するか・・

自由と不自由、どちらを担保するか・・

「能力主義」言いかえれば資本主義と言われる・・過酷な競争社会ではあるが、”自由”が担保できる社会を良しとするか、(キューバを例にとれば)国家の管理下に置かれ”不自由”ではあるが、富の格差はさほどない社会を良しとするか・・の選択になる。 ただし、現在の中国では、10%の優遇された民と90%の奴隷同然な民がおり、その上、”不自由”も強いられている。  

若者の多くは、過酷な競争社会が生む”歪”を何とか解消できないか?と考えることは必然なのでしょう。 そこで、マルクス主義が掲げる共産主義という”ユートピア”に魅かれる。 困ったことに、人間の価値観は25歳位までに決まってしまうと考えられているので、若いころにこの幻想(共産主義思想)に染まってしまうと生涯抜けきれないでいるケースが多い。 この状況は日本だけでなく、アメリカではより深刻な状況です(日本では10%の人たちに富が集中してますが、アメリカでは3%に集中している)。 民主党支持者の中でも左派は、上に挙げた”幻想”に染まりつつあるとも言われてます。 

あなたの「命」はあなたのものではない

ますます激しくなるヌードな絡み

ますます激しくなるヌードな絡み

「正しいことを否定することの難しさ」

正確には、正しい”理念”を否定することがいかに困難であるか!  ニコライ2世が統治していた頃のロマノフ王朝・・10%程度の貴族・王族・聖職者・経済的に恵まれたブルジョアジーなど、残りの90%はほぼ農民であり、実質的には奴隷同然であったと思われる。 その後、ロマノフ王朝は弱体化し、ロシア革命を経て、マルクス・レーニン主義を掲げるソビエト連邦が成立。 1920年、共産主義国家が生まれ、生産手段を社会化し、人から人への搾取を廃止し、富の格差をなくし、利潤追求ではなく物質的精神的な豊かさを共有する体制がスタートしたとも言える。

当時のロシアにおいては、90%以上は奴隷のごとく扱われていた農民であり、彼らにとっては”ユートピア”だったに違いない。 体制を実践していくためには、個々の自己管理を前提としていたが、それらが機能するには高度な社会的責任感が基盤とならなければならないが、そもそも、現代に至っても、人々にそれらを期待することに無理がある。 理念としては正しいが、その後の(社会が)荒廃していくことを考えれば、体制(ユートピア)を維持してくための”論理”としては間違っていたと言わざるおえない。 それだけでなく、主張を異にする者は片っ端から虐殺され、空前のジェノサイドが行われた(現在、中国のウイグル地区で行われていることと同じ)。  

自由と不自由、どちらを担保するか・・

新しい世界秩序を予感「グローバリズム」

Imagine / John Lennon

和訳 Akihiro Oba

Imagine there’s no Heaven
It’s easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today…
 
Imagine there’s no countries
It isn’t hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace
 
You may say I’m a dreamer
But I’m not the only one
I hope someday you’ll join us
And the world will be as one
 
Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world
 
You may say I’m a dreamer
But I’m not the only one
I hope someday you’ll join us
And the world will live as one
 

想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって…
 
想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって…
 
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ
 
想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって…
 
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ 

<出典> https://ai-zen.net/kanrinin/kanrinin5.html

このジョン・レノンの「イマジン」は1970年代の大ヒット曲。

新しい世界秩序を予感させる「グローバリズム」の始まりを思わせた記念碑的な楽曲。 これまでの西欧諸国のキリスト教観を打ち破る”唱え”が語られている・・天国も地獄なんかも、在りはしないよ・・と歌われている。 このフレーズには、キリスト教の現世と来世の”説教・教え”を真っ向から否定し、無宗教を説いている。 続けて、国境などはあってないようなもの、そう思えば、戦争もなくなるよね・・と説いている。 時代的背景を考えれば、宗教的な対立、国境があるが故の領土問題、そして、イデオロギーの対立から生まれた冷戦も超えていけるはずと語っている。 世界が一つになれば、争いごともなくなり、夢ような”世界・ユートピア”が開ける・・と歌ったわけである。

グローバリズムがそうであるように、古くはマルクス主義が出てきた当初も同様な”ユートピア”を多くの人々が描いた、そして、ロシア革命と共にそのユートピアを実現するための共産主義国家が生まれた。 共産主義国家とは、一党独裁であり、最も大切な”自由”を奪われること。 経済活動においては生産性は上がらず、汚職が蔓延し、社会自体が腐敗していくこと。 ロシアと東欧諸国では、75年間で共産主義国家は終焉を迎えた。 ところが、中国共産党は今年で73年目を迎えるが、当然のごとく国内に様々な問題を抱え、覇権主義的な独裁国家となり、モンスターと化している。 共産主義に限らず、主義(イズム)というものの怖いところは、自分たちと同様な価値観を世界中が共有すれば”理想”が叶うとと信じていること。 だから、世界征服を目指してモンスターと化していく。 

マルクス主義とか20世紀後半のグローバリズムは、理念は正しいでので、多くの知識人が支持してはいるが、それを実践すれば、惨憺たるものであることは歴史が証明している。 現代の若者たちの間でも、マルクス主義の信望者は増えつつあり、”理念(信仰)”は蔓延っていくのでしょう。 理念は正しくとも、実践すれば惨憺たる結果を生むこと・・ 現在の国際情勢を考えるとき、世界が向き合わざるおえない大きな試練となってます。

ますます激しくなるヌードな絡み

執ように努力を自身に課すものではない

上の画像はこのシリーズの中でもベストな一枚である。 絡み方に意味を見出せる・・

未来を運に任せるのはとても”不健全”なことかもしれない。 また、過去を運のせいにすることは”逃げ口上”とも受け取れる。 未来は、それぞれの人間が努力により築き上げるものだし、過去は言い訳にするのではなく、反省材料にすべきである。 だからといって、努力!努力!と我が子を追い込んだり、執ように努力を自身に課すものでもない。

新しい世界秩序を予感「グローバリズム」

人生にとって「運」の占める領域(重さ)

人生にとって「運」の占める領域(重さ)はかなりあるのではないか・・と思っている。 才能があれば、それは天からの授かりものであり、誰よりも努力してきたと言うなら、強靭な体と精神を授かっていたから出来たことでもある。 

運の良し悪しは・・その時代背景に大きく左右されることでもある。 アートの世界にせよ、どのような職業にせよ、その時代に”偶然”マッチしていたからに過ぎないとも考えられる。 家庭環境が良かったから、より高い教育のチャンスにも恵まれ、お金持ちの家系に生まれれば、家業を継ぐことで、地位もお金も得られたとも言える。 

努力があったからこそ、自分は成功できたと穿る者、努力が足りなかったから惨めな自分がいると思う者・・ このような”勝ち組・負け組”を生むような社会構造(それらを許容する共通認識)こそが、この世界(と我々の心)を歪めているような気がしてならない。

 

執ように努力を自身に課すものではない

Based on Japanese culture

お二人が美術モデルであるからか、ポージングにストーリー性があることが分る。 美術モデルをされる方にもいろいろな方がいるのだろうが、このお二人はそれぞれにポージングに思い入れがある。 その”思い入れの反応”を私はカメラに収めていることになるのだろう。 カメラマンは、概して、このように撮れれば、自分の腕が良いと思うのだろうが、実はモデルの内面が創る像に因るところだ・・ということに気付かないだろう。

Based on Japanese culture 

このブログを見ている方は海外の人も多く、ポチッと押せば、フランス語にも英語にもスペイン語にもなるように設定されてますから、私が日本語を書くときも、主語と述語、目的語、または補語を曖昧にしないような日本語を意識的に使うことを心掛けてます・・翻訳機が上手く変換するように。

ところで、上の画像についてですが・・・二人のヌード・デュオを撮る場合、私はポージングはモデル任せに、自分が撮り易いアングル撮るわけです。 すべては、偶然(自然)から生まれてくる像を捉えようと考えるのですが、大陸(主に西洋)の人たちは、ある種の概念の中に取り込もうとします。 どこまでも、作者自身のコントロール下に治めようとします。 ですから、撮影に臨むモデルの意識も異なり、作者の概念も入り込み、”結果”は根底から、過程も含めて大きく違ってくることになります。 大陸(主に西洋)の人たちは言語化することが得意であり、大抵のことは言語で置き換えられると考え、意識下に置こうと考えるようです。 

私たちは自然があるがままにあることも芸術としますが、彼らは出来れば言語化でき、自然さえも自身が描いた概念の中に秩序立てようとしているようです。 文化の原点が異なれば出来上がる”絵”も違うわけです。  

人生にとって「運」の占める領域(重さ)

モデルが絡み合う緊張感 ヌードで

運があるとか、ないとか、”私事”を記していこう・・

以前にも書いた通り、私の生き方は地味に目立たず静かに生きることであった。 お金持ちになろうと思ったこともなく、地位や権威とも無縁に生きてきた。 そもそも、偉くなろうとも思わなかった。 私の最も嫌いな言葉に”勝ち組”というのがある。 そもそも、成功しようとも思わない私が、勝ち組になろうなどとは思うはずもない。 

ところが、50歳になったころから始めた絵画が他者から評価されるようになった。 その絵画を売ってやろうという画商まで現れたが、全て、お断りしてきた。 せっかく描いたのだから、上手に写真に撮ってネットに載せることにした。 そして、お金持ちの友人からニコンD3を頂き、カメラの世界へハマっていった。 60歳から本格的にデジタルカメラを始めた(フィルムなら、写真はやってません)。 写真を撮り始めてからFBに載せていた写真に「いいね!」の数が急激に増え始めた。 63歳になったころ、フランスの著名なキュレイターから大使館を通して展示会へ出るよう・・オファーをいただいた。 そして、”暴走”するかのように、ここのブログに連日画像をアップしている。  

それまで、全く絵を描いたこともない私をクロッキー会へ誘った友人がおり、そして、D3をプレゼントしてくれた友人もいたこと・・このような友人がいなければ、決して絵を描くこともなく、写真にハマることもなく、アートを鑑賞するだけの人であった可能性が高い。 60過ぎから現在に至るまで、大きな展示会へも出られたのは、ひとえに運が良かっただと思っている。 

何をもって「運」というのか・・絵画にせよ、写真にせよ、他人とはかなり違った”感性”を有していたこと。 この感性を授かりものと考えれば、幸運であったとしか言いようがない。 その感性を見極めたキュレイターがいたことも、この上なく運が良かった。 アートの世界で、”少しの成功”しか収めてませんが、ただ好きだから続けてきたことであり、努力により成し得たとは思ってません。 ひとえに、運が良かったことに尽きると思ってますが、一つ、運がなかったと思えることは、巡り合わせた運が60過ぎにやって来たことです。 愚痴を言えば、与えられた時間が少なすぎる! それまで、無欲だった私に何をさせようとしているのだろうか・・ 

このあたりからの撮影では、ハラハラドキドキしながらでしたが、クリエイターに徹してることもあり、そういう緊張感も良い方に働きますね。

Based on Japanese culture