Tatsuyuki Kodama Landscape

水墨画のようだね、僕には、自然がここまで美しくは見えない、だから、こうは撮れないよ。 羨ましい・・

Tatsuyuki Kodama さんは、僕よりちょっとお若いそうで、そろそろ引退されてもおかしくない年齢かと・・。 他人様の余生をかってに”リクエスト”するのは僭越なことだけど、京都のあまり知られてないお寺とか・・を撮影してアップしてもらいたいね。 僕も引退するようなことになったら、京都に住みたいと思ってますが、京都の風情を撮ろうとは考えてません。 このTatsuyuki Kodama さん作品を観てると、こういう風には撮れないと思うのですね。 同じ場所に立っても、こうは見えないと思うのです。 だから、写真というのは見えてるようにしか撮れませんから、僕には、これほどまでに軟らかく奥深く見えませんから、撮れないわけですね。 年内には彼とお会いできると思うので、提案してみます。 

広島から観る瀬戸内海・・この国は、平地が少ないので住める場所は狭くなりますが、四季があり、これほどまでに自然の美しい国を私は知りません。

Tatsuyuki Kodama architecture

Tatsuyuki Kodama portrait 3

Tatsuyuki Kodama portrait 3

広島には美人が多いんですね、小玉さんがモデルにする人は美人ばかりだし・・それから、着物の柄も趣味が良いですね。 僕の(和服に対する)感覚とはちょっと違うのですが、地域による差なのか、この女性のセレクトなのか・・素晴らしい画像であることは確かですが。

パーフェクトな写真ですね。 モデルさんも美しいですね! ランジェリーでの撮影で、これほどまでに気品のある画像は稀ですね。 ”赤”の美しさは格別です。

ここのブログでは、Shinji Ono 氏の作品も扱っているが、このページに載せているKodama 氏の作品とは好対象なのがとても興味深い。 私も含めて、彼らは戦後を生きた者だが、同時代に生きてもこうも違うものだと。 日本の安全性と信頼性を担った”プロジェクトX”を地で行ったようなお人柄がKodama 氏の作品の中にみてとれる。 ”誠実に枯れていく”人生を全うするのでしょうね、きっと。 それにしても作品とは怖いものですね、作者の人生と生き様を如実に物語ります。 精神年齢を言えば、Ono 氏はハチャメチャな18歳、私は15歳の小僧程度ですかね・・

Tatsuyuki Kodama Landscape

Tatsuyuki Kodama Portrait

モデルの”目の力”を見事に捉えてますね。 このページの作品を通して、よく分かります。 

 

上の写真ですが、このモデルさんをヌードで撮ってみたいですね。 妖艶さの漂う”特別な写真”になりそうなのです・・このコメントは後で消しますが。

この上の写真が、写真の面白さ満載の写真ですね。 なぜ、写真が面白いか?と言われたら、答えはこの写真にあると言ってもよいでしょう。

いつ叶うか分かりませんが、この書家さんを撮影する約束をしてます。

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老人と少女のいる風景

日が傾きかけた庭のベンチに座り、老人は静かに煙草をふかしていた。彼の前では、孫ほどの年齢の少女が、風にそよぐ髪を払いながら、木々の間を駆け回っている。夏の終わりの涼しい風が頬を撫で、世界は静けさと共にゆっくりと流れていた。

老人は少女を見つめ、ふと、自らの少年時代を思い出していた。あの頃、自分もこんな風に風を切り裂くように走り、太陽の下で汗を流していた。だが、それは遠い記憶だ。年を重ねるごとに、夢や希望は現実の影に隠れ、いつの間にか消えていった。時間は一瞬だったようにも、永遠だったようにも感じられる。

「君はまだ何も知らないな。」
老人は小さな声で呟いた。少女には聞こえなかった。だが、言葉が重要だったわけではない。そう言うことで、自分自身に話しかけているのだ。

彼の脳裏には、若かりし日の愛や苦悩、成功と失敗が浮かび上がった。初めて愛した女性の笑顔、戦場の乾いた匂い、そして何より、失った友人たちの無言の顔。それらすべてが、いま目の前を駆け回る少女の姿と、何の関連もないようでいて、深いところで繋がっている気がした。

「君の未来がどうなるか、知る由もないよ。」
彼は煙をゆっくりと吐き出しながら、自らに言い聞かせるように話し続けた。
「でも、いいんだ。未来なんてものは、走りながら作るものだ。そして振り返った時、そこに道ができている。君がどんな道を作るかは、君次第だ。」

少女がふいに老人の方を振り返った。大きな瞳が彼を見つめ、何かを尋ねるように笑った。
「何か話してるの?」と彼女が声をあげると、老人は首を横に振り、微笑んだ。

「いや、ただの昔話だ。」
彼は立ち上がり、ポケットから飴を取り出して少女に手渡した。彼女が笑顔で受け取るのを見て、老人は再び胸の奥が温かくなるのを感じた。少女の笑い声が風に溶けていく中、老人は小さく自分に言い聞かせた。

「人生は、ただの瞬間の積み重ねだ。その瞬間が美しいなら、それで十分だ。」

老人は空を見上げた。どこまでも青く、果てしなく広がっていた。彼は深く息を吸い込み、ゆっくりとそれを吐き出した。少年のような笑みを浮かべながら、彼はまた少女を追う視線を戻した。そして、それがどれほど貴重な時間であるかを心の底で噛み締めていた。

Tatsuyuki Kodama Portrait 2

絵野めぐみ

日本の美術モデル&フォトモデル : Megumi.E

バスルームなどでの鏡を使った撮影は以前にもしてますが、鏡を取り出しての撮影は今回が初めてとなります。

ですから、私としても撮り方が良く分かってません。 モデルさんも困ったと思います。 どう演出してよいのか?分からないまま、撮影が終わってしまった・・と思います。

目の前に見てるのが実像で、鏡の中で見る像を虚像とします。 実際に撮る場合は、実像にフォーカスするか?鏡の側にピントを合わせるかは、難しい選択になります。

この画像は実像にフォーカスし、虚像はボケてます。 一般的には、鏡の中の虚像に焦点を合わせ、実像をぼかすのが普通です。

鏡を使う”効果”は、手前側と裏側とを同時に見ることが出来るという”マジック”というか、本当は見えないものを見てしまおうとする”冒険心・好奇心”に応えているようでもある。

ここからは、ランジェリーを使った作品になります・・

私は、ヌードクロッキー会、デッサン会へも多く参加しいることもあり、モデルの当たり外れがあることは過去に多く経験している。

写真撮影と同様、ヌードで立ってさえいればお金になると考え、バイト感覚でモデルをしてると思われる方を多く見かける。 主催者側も描き手もそのことは十分察しており、本気モードで描き手に勝負をかけてくるようなモデルを優先して入れるようになっている。 ここでも、良いモデルだけが残り、淘汰は起こっている。

クロッキーモデルと写真モデルの違い・・写真モデルでは体全体だけでなく、顔の表情・表現も求められる。 そのことを安易に理解してしまうと、(笑顔の)カメラ目線の顔を作ってしまう。 

最近、私が痛感してることは、役者がいかに難しいか! 台詞を言いながら、身振り手振りを交えて、顔の表情を作っていかなければならない。 フォトモデルも、体全体でポージングを創り、顔の表情までも‥となれば、それはかなり難しいことになる。

ところで、過去に役者さんを2人ほど撮ったことがあるが、無表情な顔になっている。 後で話を聞いてみたが、役柄が決まらないと表情は創れないと言われました・・納得。 

ページビューが増えてるせいか、僕の画像をインスタなどにも載せてるせいか、「撮影依頼」が増えている。 新たに、北九州の人、大阪の人、千葉の人。 コロナが過ぎたら、是非!という話になっている。 

そう言えば、先日、このモデルさんに「体に入り込む光を感じよう!」という提案をしました。 この画像は僕の好みでもあるのですが、体の微妙な凹凸が写り込んでいる。 これは、体の形状と光のあたり方の成せる技で、モデルの素養として、光のあたる角度を感じながら、ポージングすることはとても大切であることを伝えました。 

これまでの画像は、ランジェリーなどを使いながらの撮影になっている。 理由は二つある・・一つは、ランジェリーでも面白い写真が撮れることに気付いたこと。 もう一つは、インスタ・フェースブックなどの検閲が厳しくなり、ヌードの画像を載せることは、ますます厳しくなっていくと考えられること。(困るのは、2年前に載せた画像であるのに、「ポリシー違反である」という削除通知が来ること。 過去歴をとやかく言われると、対処しようがない)

 

上の2枚の画像から分かることは、フォーカス(視点)を替えれば絵が代わるということです。 これらは連続して撮ってますが、モデルのポーズが変わり、カメラ位置が換われば、全く異なった印象の作品になること。 モデルにとっては、どう撮られたいのか?フォトグラファーは何を撮りたいのか?によって、試みは異なること。 F値2.8で撮ってることもあり、ピントの合わせる場所によって、程よいボケも生じ、(絵画や人の眼が認識する世界に比べ)このあたりがカメラ・映像の”強み”かもしれません。 強みであれば、それをどう活かすか?が勝負どころとなりますね。

モデルによりポージングは違いますし、フォトグラファーから見れば、アート的に見えるポーズも違ってきます。したがって、出来上がる画像もそれぞれ違ってきます。 このモデルさんは、当初の期待通り、このところどんどんポージングが良くなってきてます。 今後の課題は、モデルさん本人が己の魂をどれ程までに磨き、それを形(ポーズ)に出来るか?ということですね。 ポージングとは、方法論ではなく、美学・哲学の領域なのですね。

僕に確かな才能があるとすれば、それはモデルとの信頼関係を瞬時に作れること。 僕はホテルを使った撮影をすることはほとんどないし、使ったとしても、初対面のモデルさんではなく、信頼関係が出来上がったモデルさんに限る。 信頼関係が成り立っていることと、僕の雰囲気なのですかね、”ヌードを鑑賞する”ような目線ではないのかもしれませんし、だから、モデルさんは普段ならしないような”露わな”ポージングをも厭わないのでしょう。

僕が撮るモデルさんは、ほとんどが日本人なので肌が美しい。 なにより、年齢による劣化がほとんどない、というより、人生キャリアが豊かな分、より踏み込んだ味のある画像に仕上がる。 

最近は、寿命が延びたこともあるのでしょうか、私の感覚では、30代半ばくらいから、深みのある写真が撮れるようにも感じます。 20代であれば若さの勢いで、40代以降であれば”人生そのもの”がとれるようにも思います。

一部の日本人写真家には、若いほど、ミックスであれば、白人であればよい写真が撮れるという”勘違い”がありますが、私はそのように思ったことはありません。 人種がバラエティーに富めば、個体差は広がり、多様性も富むことは事実ですが、出来上がる作品自体の深みには無関係です。

この角度からあの部分は撮らないとか、そういう”タブー”を作ることは嫌だからね。 それに、ある部分をターゲットにして撮ることもない。 いつも全体を見ながら撮影してるので、何処がどういう風に写ってるか?PCで確認するまでほとんど見えてませんからね。 他のカテゴリーでは、「モデルのコメント」も載せるようにしますので、撮影中、写真家の僕をどう思っているのか?いろいろと興味深いですね・・楽しみにしてください。

このモデルさんの住まいは関東エリアではなく、高速バスで4時間くらいのところから撮影のために、年2回位のペースで僕のスタジオにやってきます。 絵画であれフォトであれ、芸術系のモデルを志してます。 出会った頃は、芸術系のモデルに必要なことは何か?を尋ねてきました。 僕はそれに対して明確な答えはないし、確かな方法論もないことを伝えてます。 なぜなら、人はそれぞれ多様であり、その在り方もしかり、自身を芸術モデルとして”確立”することも人それぞれだからです。 言葉では伝わりませんから、絵(写真)にして伝えようと試みてます。ここに載せてある写真が全てそうです。 自分がどう写り込むかを知ることから始めると良いと考えてます。 その映り込みを観ながら、自分の(カメラの前での在り方を)積み上げていくことだと考えてます。 

アートに関しては、自分の在り方は語れても、他者を指導したことはありません。 ただ、僕と共同作業をすることで学んだモデルさんは多くいるとは思います。 ですから、指導はできないが、学んでほしいと思います(アートは教えることではなく、それに関わるものが自ら学ぶことと考えてます)。 モデル志望の方がこのページを見ているなら、良い制作者とコラボすることを薦めます。 そして、自ら学んでください。 良い制作者は多くを語りません。 なぜなら、良い制作者の多くは他者から教わったのではなく、自ら学んだという経緯があるからです。 何事も、主体が自分の側にあることが基本です。

撮影することに関して、僕がその責任が重いと感じることがあります。 それは、モデルがその撮影のために(頭のてっぺんから指先まで)目いっぱい仕上げてくるわけですから、それに応えられないようでは、写真家は人としてもクリエイターとしても失格なのです。 

そして、ここでは撮る写真がほとんどヌードであることです。 そのモデルのネームと画像が一致することは、その人のプライベートを脅かすことにもなります。 常に担保しておかなければならないことは、「アート的に素晴らしい作品」にすることです。 グラビアじゃなくアートなのだ・・という説得力のある作品でなければなりません。 

このページをご覧になる方々、PCで観るのとスマホで観るのとでは全然違って見えます。 もちろん、PC用に作成してますので、ぜひ、PCでご覧ください。先日、このブログの話をしていたところ、何だか話が合わないなぁ‥と思ったら、その人はスマホで観てました。

この前後の写真は

かなり僕のお気に入りです

勢いがある!

きわどいアングルでの撮影が続きますが、アートとしてカッコ良いので敢えて載せてます。 モデルの心意気が伝わる作品群ですね。 モデルのポージングと最もアートになる瞬間をとらえようとする写真家の”気合”がこのような作品を創るのでしょうね。

それと、タブー(撮ってはならないアングル)はなくしたいですね。 このタブーと言われるものは、モデルさんによってかなり違いがあります。 初めてのヌード撮影であっても、全く拘りの人もいますし、いつまでも拘っている人もいます。 こだわりがあれば、ポーズがきつく?なるというか、撮る方も撮りにくいですね。 ・・ということで、”あそこ”が写ってはいけないというタブーはなくして撮影に臨みましょう。

確かに、モデルのプライバシーや安全を守ることが難しいことは分かっている。 その点、ペンネームでモデルをしてる人は比較的安全であるが、最近、FBなどでは実名でないと登録できないこともあり(インスタはハンドルネームでOK)、ここでは、実名を載せている場合もあるが、イニシャルで載せるとか、フルネームでは載せないことも多い。

美しく、カッコ良ければ、アングルにタブーはない。 この画像のモデルになった方へ「この画像を使ったとについて、どう思うか?」確認したところ、普通の写真家なら許可しないが、東さんなら、”仕方ない””という返事が返ってきました。 その対応には素直に感謝したい。

モデル志望の方、撮影してみませんか? ただし、アート系の作品撮りになります。 また、プライベートだけで自分だけの「記念撮影」も受け付けてます。 容姿・スタイルに自信があるとかないとか・・そんなことはアート的作品においては関係ありません。 自らの内面をヌード(もしくは、ヌードでなくても)に還元することです。 自己の内面を”形”にすることは、自分自身に自信を持てるようになることです。

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Body Painting Megumi

この「作品群」制作における方法論を記していきます。 この制作は私のやり方であって、一般論ではないので、参考程度にした頂ければ・

先ずは、背景画の制作から・・キャンバスにアクリルで下地を作り、ソフトパステルで調子を付け、その上に小麦粉を塗している。 ここからが、本題に入ります・・・モデルさんにシャワーを浴びてもらい、水分が乾かないうちに、小麦粉をモデルと私がモデルの肌に乗せていきました。 本来であれば、薄手の手袋をして、小麦粉をモデルの肌に乗せていきべきなのだろうが、実際はその逆で、直に私の手で小麦粉を鷲掴みにして、モデルの皮膚に塗りつけていきました(このような手法は、セクハラにもなりかねないのでお勧めできない)。 ただし、モデル一人で(自身の)全身へ小麦粉を塗ることは無理なので、フォトグラファーは手伝う必要がある。 小麦粉を刷毛を使って塗っていく方法もあるが、時間的な制約もあり、現実的でないかもしれない。 

正直なところ、このような「制作」はモデルとフォトグラファーの信頼関係が強固でないと止めた方が良いと思います。 皮膚が濡れた状態が保たれるには時間制限がありますから、実際のところ、時間との勝負になります。 小麦粉をモデルの頭からぶっかけ、全身へも塗すのに要した時間は10分、撮影は30分くらいだったと覚えてます。

Megumi さんへの絵画モデル・フォト撮影などの依頼は下記へ

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Black and White Megumi

あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」について・・ 

”表現の世界”には、必ずその時点での「時代背景」が反映されるのは必然なことですが、間違った解釈や(ネガティブキャンペーンのような)作品とは言えない”モノ”まで展示されることは税金の無駄いだけでなく、アートの品位を著しく損なうことになります。

 Black and White Megumi

先ず、間違った解釈による展示作品・・・慰安婦少女象に関しては、隣国のネガティブキャンペーンの延長から出展されたものであって、「日韓併合時に売春婦はいたが、強制的に連行された性奴隷というのは存在しません。事実は日本人売春婦の方が多数であり、当時のレートとして相応の金銭の授受があったこと」・・最近、その事実が明らかにされている。 

また、慰安婦像を設置することによるネガティブキャンペーンは米国はもとよりオーストラリアでも展開され(邦人たちの努力により、撤去されてるものも多い)、現在は、ドイツのベルリンでもその像が展示されるに至り、ドイツ各地も同様なキャンペンが始められているとのこと。 隙あれば、世界中でそのようなキャンペンを展開しようと試みている・・のが、現実であることを知っておきたい。 一体、このようなネガティブキャンペーンは誰が得するのであろうか? 自国民の売春婦がいたことを世界へ知らしめて何の得があるのだろうか? 私には素朴な疑問である。

天皇の肖像画像をバーナーで焼き切る‥と言うようなパホーマンスがあるそうだが、”天皇の戦争責任を問う”という趣旨であるなら、憲法改正をして、条文も含めて、国民の是非を問うことが本筋ではないか・・と私は思います。

総論として、慰安婦少女像の展示、肖像を焼き払ってみたり、私には”炎上商法”としか思えませんね。 主催者の良識と品位を疑います。 それ以外の展示作品の中には”良い作品”はあったかもしれませんが、それらを出品した者はとばっちりを食いましたね。 ”表現の不自由”を訴えたのかもしれませんが、自らの首を絞めてしまいました。 来場者の数を増やすためのパホーマンスだったのでしょうが、やり過ぎましたね。

反日のプロパガンダを唱えるのは、韓国にも我が国のオールトメディアにもありますし、反韓や嫌韓を煽るユーチューバーが(再生回数稼ぎに)少なからず存在しますが、それらは全体の1%位であり、多くの国民には関係ないのですよね。 ネットというのは、一人が騒げば、100人、一万人が騒いでいるように聞こえてきますから・・・

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Body Painting Megumi

Body Painting Megumi

背景はいつも通り、キャンバスにアクリルで描き、その上から小麦粉をぶっかけてます。 人物にも同様にぶっかけるわけにはいかないので、モデルにシャワーを浴びてもらい、皮膚が濡れた状態でその上から”丁寧”に僕が小麦粉を手で塗してます。 先日、別の撮影の機会に、「あの時は僕が手であなたの全身を撫でるように粉を塗してたけど、モデルとしてはどんな感じなの?」と聞いたところ、「東さんはけっこう楽しそうにやってましたよ」という答えが返って来た。 自分ではどうだったのか記憶してませんが、楽しそうだったと言われれば、作品創りなのでその通りであり、しっかりした作品にしなければ、アートに託けたオヤジになり下がりますからね・・どういう制作過程であれ、結果が全てなのでしょう。

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ポージングにタブーはない Megumi

モデルと私の関係においては、”平等・公平・同様”などということはあり得ない。 すべてのモデルに対して、私の関わり方は違う。 モデルと私の共同作品制作なのだから、モデルが代われば”創作物”は自ずと違ってくるのは当たり前。

この撮影の試みは・・・タブーをなくせば、モデルはどこまでモデル自身で在りえるか? また、私はその姿をどこまで捉まえることが出来るか? かなり気合の入った撮影になったことを今も覚えている。

このモデルさんと私の関係は・・他のモデルさんと(当然だが)同様に接していない。 私の我がままを受け入れてくれる。 彼女をそれを受け入れる中で、被写体としての可能性を探ろうしている姿を感じるからだ。 その意味で、私のとっては大切なモデルさんの一人でもある。

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天才モデルと少しは知られるフォトグラファーの”タブーのない”フォトセッション、いかがなものだろう・・

ここにも孤独

夜の街は、
冷たい蛍光灯の海に沈む。
人々の足音、
遠ざかる車の音、
すべてが響いては消え、
何も残さない。

駅のホーム、
すれ違う顔は
鏡のように
自分を映し出さない。
誰かの温度、
誰かの呼吸、
それを感じる隙間は、
もうどこにもない。

タワーマンションの窓、
無数の四角い光は
星空のように見えるけど、
そこに星座はない。
ひとつの光の中に、
誰がいるのか、
何を夢見るのか、
それは誰にもわからない。

自販機の灯りが頼りになる夜、
ホットコーヒーの缶を握りしめ、
自分がまだ、
ここにいることを確かめる。
金属のぬくもりだけが、
今、
確かなもの。

都会は、
人を飲み込み、
吐き出し、
形のないものにしてしまう。
けれど、
その隙間にこそ、
ひとつの息吹が宿る。
孤独の中で、
自分を探す旅が、
始まるのだろうか。

Megumi さんへの絵画モデル・フォト撮影など

絵野めぐみ https://www.enomegart.com/

Body Painting Megumi

B&W World – Ryuichi Kato

FBであがってくる画像を”本人”に断ることなしに勝手に載せている。 以前から言っているように、FBは貴重な画像も次から次へと沈んで行ってしまう。 もったいないので、こうして私が”保持”している。

Ryuichi Kato 氏の作品は色の入った画像も素晴らしいが、”一連の作品”として展示する場合は、モノクロの方がまとまりやすいい・・これは、私の勝手な判断。

最近、判明したことだが、この一連の作品は深津友成氏の作品らしい・・確認してみます。

– Web gallery – Ryuichi. Kato with Mone