これまでの写真の概念をぶっ壊してい

僕は多くの写真家に好まれてないようです、特に国内では。 なぜなら、これまでの写真の概念をぶっ壊しているからです。 

特に新しいものを追及してるわけでもなく、自分流を通しているだけなのですが、”異端”扱いされてるようです。 ところが、世界は広いもので、”そういう私”を良しとする人たちも多くいるのです。 ネットの普及で、私は救われた(報われた)とも言えます。 

”見る人が何らかの形で参加できる写真”が面白い

”日本人の優位性”

アート作品と言われるものは、他の誰の作品でもない、”その人の作品”と分かるものでないと、(日本の国内事情は分からないが)世界は認めない。 私と同様な感性をもって、他の誰かが作品創りをしてたのなら、私は”二番煎じ”として、認められることもないわけです。 そのことに関しては、幸運であるとしか言いようがないのです。 カメラの性能に関しては、圧倒的に日本製品が一番ですが、”カメラの腕”はどうかと言えば、かなり分が悪いのが現状です。 浮世絵を観れば分かるように、線描写の文化であり、光と影で描写する文化ではありませんでした。 西洋人の”光と影の妙”は我々には太刀打ちできません。 私は、多くの展示会場で彼らの作品を観てきているので、それが正直な感想です。 このような私の感想には否定的な人もいるとは思いますが、我々が想像できないところまで感知し、創り込んできます。 だからといって、この国に生まれ、この国の文化を背景にした我々がコンプレックスを持つ必要は全くありません。 なぜなら、我々しか持ちえない感性とそれを形にする創造性を兼ね備えているからです。 ・・私は残り少ない人生ですが、その”日本人の優位性”を証明しようと悪戦苦闘している真っ最中です・・ 

これまでの写真の概念をぶっ壊してい

写真家にも”人格・人となり”は見えてくる

写真は、上手かろうが、そう上手くなくても、自分の撮り方がある人がいいね。 その人の構図とか色とかはもちろん、自然を撮るなら自然との向き合い方、人を撮るならその人との関わり方とか、モデルとの距離感とか‥そういったものがその人らしければ、観ていて面白い。 

写り込むモデルに”人格”があるように、撮る写真家にも”人格・人となり”は見えてくる。 

”日本人の優位性”

何が縁で繋がっていくのか・・

人生って、何が縁でつながっていくのか、分かりません。 その縁が広がることにより、また新たな縁が出来る。 勘違いでもよいから、繋がって良かったと思えるような繋がりにしたいね。

写真家にも”人格・人となり”は見えてくる

信頼関係が出来上がっていた

初めての撮影でしたが、スムーズに進みました。 モデルさんのおかげでもあります。 最初から、信頼関係が出来上がっていたからでしょうね。 

何が縁で繋がっていくのか・・

感性だけでカメラの前に立てば良い

撮る側から勝手なことを言わせてもらえば、モデルの心得としては、頭のてっぺんと手足の指先から(ポージングを)決めていくと良いと思います。 体感と言われる体の中心から決めていこうと思うと、指先が遊んだり、ポーズが力んでしまったり、緩んでいるように見えたり・・と感じるのです。

これは美術モデルの話で、写真の作品モデルとしては”結果良ければすべて良い”世界で、自分の感性だけでカメラの前に立てば良いことですが・・

信頼関係が出来上がっていた

モノ創りが好きなこと

子供頃からずっと変わらないのは、モノ創りが好きなこと。 戦後の物のない時代に育ったこともあって、何でもかんでも”手製”でしたね。 竹とんぼから、弓矢、竹馬、飛行機、潜水艦など・・。 この画像の背景の6m四方のキャンバスもアクリル絵の具を何度も重ね塗りしてます。 好きなのは、木工でいろんなものを作ってましたね。 でも、絵を描いたり写真を撮りだしたのは50歳を過ぎたころからで、まさか、写真家になっていようとは想像もできませんでした。 人生、何が起こるか分かりません・・アナログなら、写真はやってませんでした。

感性だけでカメラの前に立てば良い

”消費文化”に加担する気は毛頭ない

”消費文化”に加担する気は毛頭ないので、アート作品として残る写真を撮り続けている。 他人がどう思おうが、自分にとって良ければ、それが全てだと割り切ってます。 そうは言っても、100人に1人くらいは「これいいな!」と思う人がいればよいとは思ってますが・・

自分が何を撮りたいのか?常に迷ってます。 こういうリアルなのも良いですね。

モノ創りが好きなこと

ポーズ集などは参考にしない方が良い

モデルのポージングについては、最初は鏡を見ながら自分の姿かたちを、他者からどう見えているかを研究するとよい。 その種の本やネット上のポーズ集などは参考にしない方が良いと思います。 何事も最初が肝心で、”既成概念”は出来る限り受け入れない、排除していった方が、より自分らしく、新鮮で斬新なポージングを身に着けることが出来ると考えてます。 このことは、写真家も同様で、他人の真似はせず、自分らしさに磨きをかけた方が”近道”だということです。

”消費文化”に加担する気は毛頭ない

「撮れるなら、撮ってみろ!」的なノリ

他のページでも書いているように、”媚”が入らなければ、どのような撮影でも良いと考えている。 だから、ダメな撮影は、「可愛いでしょ、綺麗でしょ、セクシーでしょ」的な媚の入ったものになってしまうことです。 このことだけは、モデルも写真家も共有してないといけません。 

例えば、「撮れるなら、撮ってみろ!」的なノリとか、「どうせ、私なんか上手くは撮れないでしょ・・」とか、「写真家に合わせるつもりはないから、好きなように撮れば・・」ということであれば、結果としてよい作品になることが多い。 また、写真家の私の意図をくんで、とても協力的であり、素晴らしい作品になることもある。

モデルと写真家の間には、確かに相性の良し悪しはあろうが、それだけで片付けてしまうと、それ以上のステップへは上がれないと思っている。

ポーズ集などは参考にしない方が良い