「トリミングにみる日本と西洋の美意識 ―構図に宿る思想の差異―」

「トリミングにみる日本と西洋の美意識 ―構図に宿る思想の差異―」

 写真表現における「トリミング」は、単なる画面の調整ではなく、撮影者の美意識と思想が最も鮮明に現れる行為である。被写体のどの部分を切り取り、どの部分を残すかという判断は、視覚的なセンスのみならず、文化的背景に根ざした「世界の見方」を反映している。特に日本と西洋のカメラマンを比較すると、そのトリミングの思想には明確な違いが見られる。それは「全体を構築する」西洋のトリミングと、「余白を生かす」日本のトリミングの差異とも言える。

 西洋の写真文化は、ルネサンス以降の「遠近法」や「黄金比」の伝統に支えられている。絵画においても写真においても、画面は均衡と秩序によって構成され、被写体はフレームの中心的役割を担う。この思想のもとでは、トリミングは構図の「整序」行為であり、フレームの中に意味を閉じ込めるための操作として働く。たとえば、アンリ・カルティエ=ブレッソンの「決定的瞬間」は、構図が完璧に統御された画面の中に、時間と運動の美を封じ込める試みである。彼のトリミングには、秩序・明確さ・論理性という、西洋的な美の根幹が貫かれている。

 一方、日本の写真家たちは、構図において「余白」や「未完」の美を重視する傾向が強い。これは日本文化に古くから根づく「間(ま)」の美学、「わび・さび」の感性と深く関わっている。被写体を中央に置かず、あえて空間の片隅に配置する。すべてを明確にせず、見る者の想像にゆだねる。こうしたトリミングの感覚は、西洋の均衡的構図とは異なり、「欠け」や「余白」に美を見出す日本的視覚思想の表れである。木村伊兵衛や土門拳の作品にも、そうした“間の緊張感”が漂っている。特に木村のポートレートには、人物の周囲に残された空気や距離感が、被写体そのもの以上に人間性を語っている。

 この差異は、世界の捉え方そのものに起因している。西洋では、世界は「客観的に把握される対象」としてあり、写真はその対象を明確に記録・構成する手段と考えられる。したがって、トリミングは「現実を秩序化する行為」である。それに対し日本では、世界は「関係性の中に生まれる現象」としてとらえられる傾向が強い。対象と撮影者、見る者と見られる者の間には流動的な関係があり、その“あいだ”に写真が生まれる。したがって、日本的なトリミングは、対象を囲い込むというよりも、「流れの一部をそっとすくい取る」ような性質をもつ。

 さらに、西洋のカメラマンはトリミングを**「構図の完成」のために用いるのに対し、日本のカメラマンは「不完全の中の完成」**を志向する傾向がある。西洋的な作品では、画面の端まで意味が配置され、視線は秩序だって導かれる。これに対し日本の写真では、画面の外に広がる世界を感じさせる「余白」や「切れ」を重視する。篠山紀信や森山大道の写真には、しばしば画面の外に想像を誘う断片性がある。特に森山のモノクロ作品では、トリミングによって生まれる荒れたフレームが、現実の不安定さそのものを象徴している。ここには、「美しく整える」ことではなく、「生の瞬間を切り取る」ことへの執着がある。

 また、被写体に対する倫理的距離も異なる。西洋のカメラマンは、被写体を独立した存在として構図化し、主体的な美として扱う。一方、日本のカメラマンは、被写体との関係性を尊重し、カメラの存在を前面に出さない傾向がある。たとえば、細江英公が撮った『鎌鼬』のシリーズでは、人物と風景、現実と幻想が渾然一体となっており、トリミングの境界も曖昧である。これは、カメラマンが「撮る者」ではなく「共に在る者」として関わる日本的態度の象徴である。

 このように、トリミングをめぐる日西の差異は、**「明示と暗示」「支配と共存」「構成と余白」**という対立軸で整理できる。西洋のトリミングは、世界を秩序づけ、意味を構築する。日本のトリミングは、世界の流れの中で一瞬を受け入れ、意味を滲ませる。どちらが優れているというより、それぞれが異なる美意識と歴史を背負っているのだ。

 現代のグローバルな写真表現では、この二つの感性がしばしば交差している。日本の若い写真家が西洋的な構図の精緻さを取り入れる一方、欧米の写真家が日本的な「間」の感覚に影響を受けることも多い。デジタル時代において、トリミングは編集ツールの操作以上に、「文化の翻訳」としての意味を持ち始めているのかもしれない。

 最終的に、トリミングとは「何を見せ、何を見せないか」という選択であり、その選択こそが文化の鏡である。西洋が「完結した画面」に美を求めるのに対し、日本は「余韻の残る画面」に真実を見出す。カメラのフレームの中に映るのは、単なる被写体ではなく、それを切り取る人間の思想そのものなのである。

上の画像は原画。 編集はしてますが、トリミングだけはしてません。 このまま、トリミングしないでもよさそうですね。 僕は上手に撮ろうとは思ってませんので、原画の時点で、顔が半分切れてしまってます。

見たいところが観れるような感覚に治めると、こうなります。

こういうのも、面白いかな?と思って・・下はトリミング後の画像。

これから下の画像では、いろいろと面白そうな感覚になそうなところで切ってます。

より易しく写真を撮りたいなら、後にトリミングできるように周囲に余裕を持たせて撮ってくことですね。 後で、切ればよいのですから。 こうして、試しているのは、写真編集の楽しさが伝われば?と思って・・

管理・維持は続けられるように”手配”

自分が変われば済むこと

これから書くことは、このモデルさんの”人生・生き方”とは無縁です。 一般論で書いてます。

恋人関係でも夫婦関係でも、自分が変われば済むことなのに、自分を変えることが出来ず、その関係を壊してしまうことがある(・・このことは、自分にとっても相手にとっても相互に起こりうる)。 このことは、組織の属しているときも同じで、相手は多勢なのだから変えられないことは分かっているので、自分が変わらなけばならない状況を知るとストレスにはなるし、その組織内での居場所がないようで、孤立感さえ味わう。

世の中、自分を替えられない人はけっこう多い。 そのような人を”頑固な人”と皆は呼ぶが、本人にはその自覚がないことも多い。 そこで・・・人はなぜ頑なに自分を通そうとするのか?譲ろうとしなのか?を考えてみよう・・

自分を変えると自分が壊れてしまうのではないか?と内心、恐れているケースが多い。 また、歳をとれば、今更変わるには面倒だ・・という意識が働くし、60年以上も生きれば、自らの思考を書き換えることは大変な労力を必要とする・・だから、所詮、無理。 お年寄りの頑固・意固地は仕方ないとしても、若い人たちの頑固は自分のためのも、再度考えてみる必要がある。

若い人が変われないのは、自分に自信がないケースが多く、自我が確立してないこともあって、人(自分)が変わったり譲ったりすれば、自分が壊れてしまうのではないか?という恐れからだと思われる。 とりあえず、一歩引いて相手の言うこと(言い分)をちゃんと聞く気持ちが必要。

それでも、どうしても譲れないこと、変えられない自分が在るなら、それこそ”自我”というものであり、自分がこれから”生きていく真実”と思ってよいように思う。

私は若いころから頑なに自分を通して、勝手に生きてきた人間なので、自戒も込めて、書いてみました。

トリミングについて・・

”方向”であり、もしかすると”行きつく先”

モデルさんには、全てを僕任せにする人と、自分で衣装や小物を持ち込んで、「これを使えたら使ってください」という人もおり、中には、撮影内容までかなり具体的に希望を出す人もいる。 

プロのモデルさんには全てを僕任せにする人が多く、アマチュアの人でも”作品になることを楽しみに来られる人”は衣装などを持参してきますし、自身がクリエイター系の人でも、特に活躍している方は、具体的なイメージをもって、撮影に臨んでこられます。

私は、この前後の画像が最も”私好み”になっていると思う。 私が美しいとする”絵”なのかもしれない。 私の”方向”であり、もしかすると”行きつく先”かもしれない。

自分が変われば済むこと

The Beauty of Capturing Nudity in Silence


The Beauty of Capturing Nudity in Silence

In the realm of photography, the interplay between subject and environment is crucial, often dictating the emotional and aesthetic impact of the image. One of the most profound subjects to capture is the human form in its most vulnerable state: nudity. When set against the backdrop of silence, this form can evoke a unique sense of tranquility and introspection, allowing both the photographer and the viewer to engage with the image on a deeper level.

The concept of silence in photography does not merely refer to the absence of sound. It embodies a serene atmosphere, a moment of stillness that envelops the subject and the frame. In this quiet space, the nude form stands not as an object of voyeurism but as a testament to natural beauty and human vulnerability. The absence of noise allows the subject’s essence to emerge unfiltered, providing a canvas for raw, unembellished emotion.

Photographing nudity in silence demands a profound level of trust and comfort between the photographer and the subject. This trust is cultivated through mutual respect and an understanding of the intent behind the image. The goal is not to exploit but to celebrate the intricacies of the human body, to highlight its elegance and strength in a manner that is both respectful and artistic. Silence plays a pivotal role here, as it fosters an environment where the subject feels safe to reveal their true self, devoid of societal judgments and preconceived notions.

The beauty of a nude captured in silence is multifaceted. It lies in the gentle curves of the body, the play of light and shadow across the skin, and the subtle expressions that speak volumes without uttering a word. In the quiet, every detail is amplified—the texture of the skin, the lines formed by muscles, the softness of natural contours. This attention to detail transforms the photograph into a study of human anatomy, a celebration of the form that is both intimate and universal.

Moreover, the silence invites the viewer to reflect on their own perceptions and biases regarding nudity. It strips away the noise of societal standards and media influence, presenting the human body in its most authentic state. This presentation encourages a dialogue about body positivity, self-acceptance, and the inherent beauty that exists within every individual. In this regard, the photograph becomes more than an image; it becomes a powerful statement on humanity and the acceptance of oneself.

The aesthetic quality of such photographs is also significantly enhanced by the silence. Without the distraction of external stimuli, the composition, lighting, and mood are more pronounced. The viewer is drawn into the image, experiencing a moment of contemplation and connection with the subject. The simplicity and purity of the scene allow the beauty of the human form to shine through, unadulterated by superfluous elements.

In essence, capturing nudity in silence is an art form that transcends mere photography. It is a meditative process that honors the subject’s vulnerability and humanity, creating images that resonate on a profound emotional level. The beauty of these photographs lies not only in their visual appeal but in their ability to evoke introspection and appreciation for the natural form. Through silence, the nude becomes a powerful symbol of authenticity, a reminder of the quiet strength and grace inherent in every human being.

”方向”であり、もしかすると”行きつく先”

我々が古来から有する繊細で美しい日本的情緒

私は既にある物(人物も含めて、屏風やカツラなど)を使って撮影しているが、それらをどう活かすか?が課題であり、新たに何かを創造しようとは思わないようになってきた。 それは、我々が古来から有する繊細で美しい日本的情緒を活かしきれてないから・・と、思うようになったきたからです。 

これまで、西欧諸国から多大な影響受けたことは事実ですし、多くを学んだことは否定できません。 科学技術分野では、進化することが”宿命”となりますが、芸術分野においては ”在るもの” を活かすことから始めようと思うようになりました。 このように考えることが、私のこれからの創作に無限の可能性を持たせるものとも思えます。

このモデルさんのポテンシャルを活かしきれているのだろうか? 屏風の美しさと溶け合っているのだろうか? たかが写真ですが、果てしなく難しい。

力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をもやはらげ、猛きもののふの心をも慰むるは歌なり。

「ベスト作品」の一枚として貴重

その時、静寂に包まれて・・

Surrounded with silence   その時、静寂に包まれて・・

このページに載せている画像は、いつか機会があれば展示会で、または、雑誌などで掲載したと考えてます。 こうして、公開している画像は”2番目の画像”で、”1番目の画像”は公開するための画像としてストックしてありますが。

網を使った撮影

”貴重な原石”を発掘したような気がしてます

Be Loved ….

撮影をしていると、いろいろな体験をする。 この人は、愛されている・・と。 この”愛されている・・”と感じるのは、誰からとか、いうのではなく、直感的にそう感じること。

今回初めての撮影なので、プライベートなことはほとんど聞きませんし、知りませんから、ただ、そんな感じがするだけで・・それも、堂々と愛されているように感じる‥不思議な体験をしました。

これまで、何人かのフォトグラファーから撮られているらしいが、「彼らに撮りにくい・・」と言われたということ。 「なるほど・・」と僕も思った。 ここに載せている画像を見ると、(自分で言うのもおこがましいが)見事に作品になっていると思える。

最初に彼女に伝えたことは「カメラを見ないようにしよう」といったこともあって、この画像は例外としても、他のほとんどの画像でカメラを見ていない。

本題に戻そう・・なぜ、撮りにくいと感じるのか。 彼女の動作の中で”絵になる瞬間”を捉まえることが難しい。 フォトグラファーの予期せぬ動きをするからなのか、この撮影も、ほとんど途中でとめるような撮影していない。 彼女の流れに合わせながら、シャッターにはタイムラグがあるので、いつも通り、フライング気味にシャッターを切っていく。 

初めての撮影の場合、撮影に入る前に色々と会話する。 いきなり、撮影に入ることはない。

撮影前には、年齢的なこと、体の部分に色々とコンプレックスがあることなど・・。 僕の解答(見解)は簡単で、それもこれも全て含めて”あなた”です。 そのあなたを撮るんです。 それと、歳を重ねてきたことを絵にしましょう。 ・・そう伝えました。

この人は、モデルをしようと決めた時から、そろそろ2年になるらしい。 今、あるていど歳を重ねた女性がフォトモデルをしてみようと思うことは珍しいことではなくなってきている・・そう感じる。 ここに”貴重な原石”を発掘したような気がしてます。

そもそも、今回の撮影では、バストトップとアンダーが写るような撮影はしても、その画像はアップしないといと約束でしたが、プレビュー画面を確認しながら、{美しく撮れていれば、全てOK」ということに変更になりました。

その時、静寂に包まれて・・

白内障がけっこう進んでいるとか・・

珍しく商用写真を撮った、北京で 2017

ちょっとした贅沢が出来そうな程度のお金が欲しい。

だからといって、お金持ちになりたいとは思わない

お金持ちで、幸せそうな人に会ったことないし・・

豪邸に住んで高級車に乗ったところで、3日で飽きそうだし、

海外に出かけるのもエコノミーで十分だし、

高いお金出して高級な料理にありつこうなどとも思わない。

先日、定期健診で眼の検査をしたところ、

白内障が結構進んでいるとか・・

黄色いサングラスをかけた状態に近いとか、

写真家として、それってどうなのかな・・と、思ったり。