造形美であったり、ストリー性に重心を置いた作品

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作品にするには(フォトグラファーが)そのモデルに愛がないと撮れないかもしれない・・と思うことがあります。 観る人の心に届く写真(作品)は特にそうですね。

ところが、造形美であったり、ストリー性に重心を置いた作品は感覚だけでも撮れるようです。 この作品はどちらでしょうか・・

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わたしには居場所がない

真似るんじゃなくて、盗んで来い!

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アート作品というものは”1%のオリジナリティーがあれば、それで十分!”だと思っている。 絵画がそうであるように、写真に至ってはますますそのことが言える。 

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ところで、僕は他の人の作品を悪く言うのは好きじゃないのですが・・・インスタなどで観る写真の多くがその”1%”がないのですよね。 何処からか借りてきたような”パクリ”であったり、それでも、パクっても、そのパクった作品を超えたものであればそれはそれでよいのですが、どう見ても超えてないのです。 所詮、”借りもの”でしかないのですね。 その写真の中に”自分”はいないのです。 こう撮りたいと思う”自我”が勝っていれば良いことなのですが・・

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その借りものばかりを撮っている人に助言があるのですが・・真似るんじゃなくて、盗んで来い!と言いたいですね。 真似るということは、消化しないまま出力してるということで、盗むというのは、体内(脳内)で消化し栄養にしてから自分のものとして出力してるんです。 

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https://tetsurohigashi.com/waka-nude-2479/

造形美であったり、ストリー性に重心を置いた作品

クロッキーでも描きたいところしか描かない

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昨日、クロッキー会へ参加してきました。 元々は、クロッキーから絵を始めたので、アートに関しては”僕の原点”とも言えます。 10年ぶりのクロッキーでしたが、こうして載せている写真と”本質”はかわらないことです。 写真ならば、観たいところしか撮らないし、クロッキーでも描きたいところしか描かないことです。 アングルも捉え方もほとんど一緒ですね。 

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全身を描くことはほとんどないですね。 頭の先から足先まで入るような写真はほとんど撮りませんが、クロッキーでも同様です。 

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10年前に描いたクロッキー・

真似るんじゃなくて、盗んで来い!

煌びやかで限りなく奥の深い文化

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私は、日本の文化と伝統美を基準にしてしか考えないところがあって、それは当然と言えば当然なことで、詰まるところ、自分の美意識に基準があるのであって、他(西洋や中国大陸など)のいかなる文化圏とも一線を画して、私自身でもある日本の文化と伝統美にある種の”確信”をもって”モノ創り”を続けているので・・。

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 私にとっては、作品在りきであって、その作品についてコメントや説明をしないことにしている。 ところが、西洋や中国大陸へ行くと、作品が出来上がる過程を尋ねてくるし、また、作者はその過程を”正しく”説明する勤めがあると考えている。

 そのような説明をすることが”当然”と考えていることの根底には、言語によってすべては語り尽くせるという”既成概念”を彼らは共有しているようなのだ。 したがって、展示会場では、様々な質問に晒されることになる。 日本語でも応えられないような質問を浴びせられ、困惑する。 

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日本においても同様な質問・疑問を問いかけられるが、「あなたの作品は、アジア人のそれとは違う」ということ。 西洋人の多くは、アジア人は”こういう作品”を作るという”固定観念”に近いものがある。 ところが、私の作品は彼らの期待を裏切っているらしい。 

だから、私から彼らに逆に質問することがある・・・「何処の文化圏の作品に見えますか?」と。 彼らは、僕の質問には困ってしまうらしく、応えは返ってこない。 彼らにとっては、過去に見たことのない斬新な感性を感じるらしい。 少なくとも、写真の世界では僕に似た人はいないらしいことは想像がつく。 そこは、僕の”優位点”であると思う。 

 

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イスラムであれば「コーラン」という聖典に、キリスト教であれば「バイブル」に、全てを語り尽くしてますが、この国においては”座禅組んで瞑想してろ!”ってところでしょう。 イスラムもキリストも価値観が一律で理路整然としてますね。 それが、我々にとっては、”硬く”感じるし、ときとして(行動の結果を見れば)”野蛮”にも見えてくる。 

 この国の文化はしなやかで煌びやかで限りなく奥の深い文化なのですから、それを”曖昧な”などという安易な言い方は止めるようにしましょう。 

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絵画のごとし・・

少女から成熟した女性へ・・

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少女から成熟した女性へ・・ このふり幅が大きければ大きいほど、撮影をしていても、編集をしていても、こうして展示していても、気持ちが入る。

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煌びやかで限りなく奥の深い文化

自分のこれまでの生き方がまんざらではない

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「ブッダの教え」 というのを説いている坊さんがいて、オレと考え方が近いな・・などという”失礼”というか”思い上がり”というか、自分のこれまでの生き方がまんざらではないと思うようになりました。

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その坊さんが言うには「来世などというものはないよ」ということ。 多くの宗教では、善行を行えば天国に行けるようなことを言ってるが、それはたぶん嘘で、死後のことを考えるよりも「今をどう生きるか?」の方がずっと大切なこと・・と説いてます。

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男が美しい女性に興味を持つことは、生物学的に普通のことであると言っている。 その誘惑に負けないことが、人として”上位”にあると説いている。 その点においては、私は”下位”であっても構わない‥と考えるので、この坊さんの言うこととは”立ち位置”が違う・笑

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ヴェールの向こう

私は夜型人間なので、行動は日が暮れて

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私は夜型人間なので、行動は日が暮れてからになることが多い。 散歩は当然夜になるし、それも夜中になることが多い。 私の家の近辺は、監視カメラが設置してある所が多くて、それらに写っていると思うと、何となく監視されているようであまりいい気持ではない。

私に住んでいる地域は世田谷の成城で、大邸宅が並び、自然環境はとても良いところです。 (ちなみに、私はこの地域の納税者ランキング・ワースト10に入っているのではないかと思ってますが)。 

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今日も0時過ぎに散歩してましたが、ほとんど人には出会いません。たまに出会った人が、しっかりマスクをしているのを見ると、この国の人はなんと生真面目なのだろう!と感心しますし、人と出会うこともないのに、マスクする意味があるのか?と不思議に思ったりします。 現在、都内の感染者は17人ですから。 

こうしてマスクをし続けていても、12月ともなれば、感染者はまた増えていくのでしょうね、来年の春までにはマスク付けない社会になってほしいですね。

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自分のこれまでの生き方がまんざらではない

形象学(フォルモロジー)という独特の学問手法と体得

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形象学(フォルモロジー)という独特の学問手法と体得。 

モデルの顔や体の表情や手足の動きと形態、その背景を成す思想・哲学、日本文化と宗教(というより、慣習・”教え”に近い)背景。 西洋美術作品に限らず、アート作品全般(もちろん、写真も含む)を鑑賞するとき、こので話題とする形象学(フォルモロジー)という認識を持つことはより深く理解するための重要な要素となります。

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私は夜型人間なので、行動は日が暮れて