視覚情報

アートに携わる人と”普通の人は、同じ画像であっても見え方が違う。

普通の人たちは、同じデータ(画像)である限り、見る人には同じように見えていると信じて疑わない。 ところが、アート系の人たちは知っている・・同じ画像でも、観る人によって全く違う画像に見えていることを。 ですから、誰が観ても同じように見える画像にはその価値を見出さないし、想像力が働くような画像にのみ、価値を見出す、

model : Makina

人生の喜びを得ることにおいて、酒を飲めないことでずいぶん損をしていると言われることがあるが、それを言うなら、アートが分からない者は想像・創造の楽しみを得られないという意味で、これもまた、ずいぶん損をしていると言える。 それでは、酒飲みでアートが分かる人間が一番得をしてるか!と言えば、そうはいかず、多くは身を亡ぼすような事態に陥りかねない・・ことにもなり、結局のところ、何が得か分からない。

想像・創造の楽しみを得られない

世界で最も紛争が懸念される地域

世界で最も紛争が懸念される地域の一番手が、我が国が位置する東アジア地区と言われてます。 上にロシア、韓国のお隣の北朝鮮、そして、中国。 いずれも、核保有国です。 

最も現実的な脅威は中国です。 彼らの思想・イデオロギー・・共産党一党独裁国家で全体主義国家でもあります。 全体主義国家の怖いところは、世界が共通の価値観を持てば理想の社会になると信じていることです。 個人の自由より、国家のシステムが優先するという”とんでもない”イデオロギーを有してます。 これまで、彼らは侵略行為を続けてますが、侵略ではなく”正義の闘争・拡大”と位置付けてます。 数年後には台湾を襲い、沖縄にやって来るでしょう。 ちなみに、沖縄は中国領土だと言ってますから・・

刃物をちらつかせ、周囲を威嚇する輩がいても、国内なら警察が取り締まりますから、我がは守られていることになりますが、国際社会ではこれまで、世界の警察を自負してきたアメリカがその役割から降りましたから、自国は自らの武力で守らないといけません。 アメリカの核の傘に入っているじゃないか?という人もいますが、軍事同盟としては最も弱い条約であって、日本が実際に攻撃された際には、アメリカは”後方支援”程度しかしないと言われてます。 やられたらやり返す・・という意味で、日本が核保有国になるか、アメリカと核シェアリングすれば、周囲の野蛮な国も、この国には手を出さないはずです。   

海に囲まれ、侵略されたことのない国家・日本

海に囲まれ、侵略されたことのない国家・日本・・ 憲法第9条で不戦を宣言してますが、その”戦争放棄”を唱えることが平和を守ることの最良の手段である・・と考える人が未だに多くいます。 終戦を迎えた当初はそれで良かったのだろうが、77年を経た現在、現状のままの憲法でこの国を護っていけるのかどうか?真剣に議論するときが来ているように思うのです。 数量学的なデータに基づけば、隣国との軍事バランスが崩れた時が最も戦争になる確率が高いと言われてます。 現在の世界情勢を考慮すれば、平和というものは軍事的なバランスの中で維持されるというのが”常識”になってます。 これまでは、この国は侵略された歴史はありませんから、侵略されることの実感がないのでしょうね。 侵略されてからは遅いので、今こそ、”どうすれば、この国を護れるか?”という議論が必要です。 

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世界で最も紛争が懸念される地域

「ナショナリズム」と「グローバリズム」

現在の世界情勢は、「ナショナリズム」と「グローバリズム」という対立軸で捉えると、理解しやすくなるように思われます。

一般に、環境問題や普遍的価値観を強調するのはグローバリズムの立場に立つ人々です。彼らは「世界が同一の価値観を共有すれば、戦争はなくなり、平和が実現する」と説く傾向があります。宗教色は薄く、あるいは無宗教的で、アメリカでは主に東部のエリート層に支持基盤を持っています。一方で、軍産共同体との結びつきも深く、民主党政権下で戦争が起こりやすいという指摘にも、一定の説得力を感じさせます。オバマ政権やバイデン政権は、このグローバリズム的イデオロギーに近いでしょう。

また、中国の習近平政権も共産党一党独裁という体制ではありますが、「世界が共通の価値観を持てば平和にやれる」という発想自体は、広い意味でグローバリズム的だと見ることもできます。その意味で、ここではグローバリズムを「全体主義」と訳しておきます。

私たちの直感では、ナショナリストは戦争を起こしやすく、グローバリストは平和志向が強いように思われがちです。しかし現実を見ると、むしろ逆の傾向が見て取れる点は非常に興味深いところです。「ナショナリズム vs グローバリズム」という対立軸は、「単純だが健全な愛国主義者」と「理知的で平和主義に見えるが、実際には狡猾な全体主義者」と言い換えることもできるかもしれません。

トランプがアメリカ国内で根強い支持を集めたのは、軍産共同体や既得権益を持つ組織を徹底的に批判し、解体しようとしたからです。その結果、既得権益の象徴とも言える大手メディアから激しく敵視されることになりました。これは現在も続いています。

同様に、プーチンがロシア国内で高い支持を得ている背景には、ロシアが経済的に弱体化していた時期に流入したアメリカ資本の企業を排除し、ロシア資本、すなわちオリガルヒを優遇する政策を取ったことがあります。こうした点も、ナショナリズムが国内的な支持を集める一因と考えられるでしょう。 

海に囲まれ、侵略されたことのない国家・日本

世界を二分する(一方の)対立軸

世界を二分する(一方の)対立軸でもある「ナショナリズム」について・・ 

国家主義、民族主義、国粋主義、愛国主義などとも解釈されてますが、ここでは、現在の国際社会を二分する(一方の)対立軸となっているナショナリズムについて、私の捉え方を記していこうと思います。 

現存する政治家の中では、その傾向を顕著に見せているのが、トランプとプーチンです。 彼らは共にキリスト教徒で愛国者です。 したがって、アメリカとロシアとはいえ、本質的には”相性”は良いのです。 前者がバックボーンとしているのは合衆国兼法であり、後者はソ連邦から失われたロシア民族の誇りを取り戻すことに政治生命をかけてます。 その支持者は、宗教色の強い、高学歴ではないが多くの庶民です。 決してプーチンを擁護するつもりはないが、ウクライナのロシア側の定住する(ウクライナのネオナチ組織・アゾフ大隊によって虐待されている)ロシア人の救出を試みて、国境を越えて(侵略)いるわけです。 

この国、日本では・・・自民党内であれば、安倍元首相、高市政調会長などが保守(ナショナリスト)で、現政権の岸田首相はブローバリストと言えると思います。 したがって、自民党内に”世界の対立軸”が存在するともなります。 憲法第9条をバイブルのように信じ、(自衛隊の存続は認めるが)非武装中立を唱えている政党・知識人・良識人を装う人たちも多くいますが、今回のロシアのウクライナ侵略によって、彼らの”幻想”も崩れ去ったことでしょう。 アメリカの核の傘の下にあることは現実ですが、核シェアリングとなると、国内に核を持ち込むこととなり、自民党内でも”タブーへの挑戦”のようなことになり、議論にもしないようなアホなことは起こっているようですが、民主国家を名乗るなら、重要案件に関してはしっかりした議論をしてもらいたいものです。 私個人の発想ですが・・国内に核を持ち込むことに抵抗があるのなら、21隻ある潜水艦に搭載すれば良いとだと思います。 我が国へ手出しをすれば、あなたの国も滅びますよ!と宣言しておくことが、戦争抑止の最善の手段だと思いますが。 また、自国の技術だけで大陸間弾道弾(ミサイル)をつくれるのは、アメリカ、ロシアを除けばわが国だけであることも知っておきましょう。 

「ナショナリズム」と「グローバリズム」

「生贄(いけにえ)捜し」

「生贄(いけにえ)捜し」

生贄の定義・・神への供物として生きた動物を供えること、またその動物のこと。

小室圭のこととか、タレントの誰々がどうしたとか、

雑誌で言えば、文春とか・・

相も変わらず生贄捜しをしている。

鬱積している人たち程、生贄という餌に食いついてくる。

それをネタに週刊誌やネットが餌を提供する。

こういうことがこれまでも続いてきたし、

この悪循環は止まることはないようです。

日常的には、イジメも同様なのでしょうね。

もっと建設的で創造的な”憂さ晴らし”を見つけられるとよいのですが・・

世界を二分する(一方の)対立軸

編集画面では”独裁者”となれる

写真を続けられる理由は・・

詩を書けば、感情が高まり、留まるところなく流される。

エッセイを・・となれば、ロジカルな思考に苦慮する

写真は・・といえば、ひたすら感覚で進められ、

編集画面では”独裁者”となれる

だから、写真を続ける

「生贄(いけにえ)捜し」

ポージングをカメラが追いまわしていく

この撮影において・・モデルのポージングが恣意的であれ意図的であれ、フォトグラファーの撮り方が全てを優先してしまう撮影になっていると思える。 撮影というのは面白いもので、モデルの恣意的なわがままなポージングを追い回すようにシャッターを切っていく場合もあり、意図的にポージングを創りあげていこうとするポージングをカメラが追いまわしていくこともある。 このような撮影になるのも、モデルとフォトグラファーの相性の問題があったり、その日の撮影のコンセプトに因ることもあり、モデルの様々な”コンディション”に因ることにもなる。

編集画面では”独裁者”となれる

”生活感”が出るようでは私の好みではない

特別なセッティングのなしで、日常の中で撮るヌード。 それでも、作品である限り、”生活感”が出るようでは私の好みではない。 そう言えば、日常的な生活感のある撮影だけはこれまでしてませんし、これからもしないでしょうね。 

ポージングをカメラが追いまわしていく