「きっとただの幻。私を探さないで」
陽炎が揺れる真夏の街角で、彼女は一人立っていた。白いワンピースが汗で肌に張り付き、長い黒髪が頬にまとわりついている。彼女の名前は美和。年齢は三十代半ばだが、その艶やかな佇まいは誰の目にも止まる。男たちの視線を受け流すように歩き出した彼女は、どこか冷たく、それでいて誘うような雰囲気を纏っている。
美和の職場は小さなデザイン会社。クライアント対応やデザインの締め切りに追われる日々の中、彼女は常に冷静だった。男たちは彼女に声をかけるが、その多くは美和に冷たくあしらわれる。それでも、美和の存在は人々の記憶に強く刻まれる。
その日の夜、美和はいつものバーに足を運んだ。古びたレンガ造りの壁とアンティークの家具が並ぶそのバーは、静かで居心地の良い空間だった。バーテンダーがグラスを磨く音だけが響く中、美和はカウンターに座り、赤いワインを注文した。
「今日は何か特別なことでもあったの?」
声をかけてきたのは、バーの常連である優也だった。三十代後半、細身でメガネをかけた彼は、控えめながらも知的な雰囲気を持っている。
「特に何も。ただ、少し疲れていただけ。」
美和は短く答え、ワイングラスを唇に運ぶ。その仕草すらも、優也の目には美しく映った。優也はそれ以上言葉をかけず、美和の隣で静かにグラスを傾ける。
時間が経つにつれ、二人の間に不思議な空気が漂い始めた。美和の瞳が優也を見つめ、わずかに微笑んだ瞬間、彼は心臓が跳ねるのを感じた。
「ねえ、優也さん。」
美和が口を開く。
「もし私が、あなたの全てを奪ってしまうとしたら、どうする?」
その言葉に、優也は一瞬息を飲んだ。そして、美和が意味深な笑みを浮かべていることに気づく。
「奪われるものなんて、大したものはないよ。」
優也はそう答えた。だが、その声は少し震えていた。美和はその反応を楽しむかのように、グラスをテーブルに置き、ゆっくりと立ち上がる。
「だったら、試してみる?」
その言葉とともに、美和は優也の手を取り、バーの外へと誘った。熱帯夜の湿気が二人を包み込む中、街の灯りが揺らめく。

翌朝、優也は目を覚ました。彼のベッドの隣には、美和の姿はなかった。代わりに、サイドテーブルには一枚のメモが残されていた。
「あなたの目に映る私は、きっとただの幻。私を探さないで。」
そのメモを読んだ優也は、なぜか涙がこぼれ落ちた。昨夜の出来事が夢だったのか、それとも現実だったのか。だが、美和の香りがまだ部屋に残っていることが、その答えを告げていた。
彼女は、確かにそこにいたのだ。そして、彼の心を奪っていった。
美和はその日も白いワンピースを纏い、新しい街角に立っていた。男たちの視線を受け流しながら、次なる獲物を探すように。彼女の微笑みは、誰に向けられるのか、誰も知らない。
そして、陽炎の中で、美和は消えるように歩き出した。

フォトエッセイ「すべてが一夜にして彼女の手の中からこぼれ落ちた」
フォトエッセイ 「これが私なの?」鏡の前で身を晒した・・