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沈黙という衣を脱ぐとき
人はときに、言葉を尽くしてもなお、語り得ぬものを抱えて生きている。
いくら言葉を並べ立てようとも、それが真実に触れているとは限らない。むしろ、言葉の影にこそ、人の心の輪郭がかすかに浮かび上がることがある。
沈黙とは、無ではない。語られぬがゆえに、なお深く語りかけてくるもの。そこに滲むのは、言葉よりも雄弁な「気配」だ。
目を伏せたまなざし。頬をかすめる風のような吐息。わずかに揺れる指先──それらが、沈黙の裡から静かに訴えかけてくる。
かつて、老いた祖母の傍らに座したことがある。語られることはなかったが、彼女の沈黙には、歳月の重みと、言い尽くせぬ想いが満ちていた。私はただ黙って、彼女の手を握った。それだけで、何かが確かに伝わってきた。言葉では触れられぬ「真の裸」が、そこにあった。
我々はしばしば、「本音を語ること」こそが誠実だと思い込んでしまう。だが本当は、語られぬ沈黙のほうが、より真実に近いこともあるのだ。
それは、他者の心を信じているがゆえに、無理に言葉で押し付けぬ態度。あるいは、自らの想いをそっと包み込んで、時機を待つやさしさ。
沈黙という衣をまといながら、それでもなお滲み出る気配。それこそが、人の「本当の裸」なのではないかと、ふと立ち止まり思うのである。
語らぬということ。それは、何もないことではない。沈黙とは、深い森のように、内奥へと誘う響きなのだ。
そしてその森の奥で、誰かの気配に出会ったとき、言葉は要らない。ただ静かに、己という存在を、そっと差し出せばいい。
その瞬間、沈黙という衣はそっと脱がれ、人は、ほんとうの意味で、他者と向き合い、通じ合うのかもしれない。











