Mother

Mother

私は五人兄弟の末っ子である。

・・であるのに、既に他界したが、母への記憶がないというか、

蘇ってこない。 

母は遠くから見える存在であり、父は主観の中にいる。

墓参りにはしばしば行くが、それは父に会いに行くため・・

私は父の分身である。

世代色々・・

「平和を続けること」に関しては、

個人による差異は当然のことながら、

それよりもむしろ、世代による「特徴」が気になっている。

戦争体験者は平和であることの大切さ、戦争の悲惨さを説く。

(このことに異論をはさむ余地はない)

その次の世代、団塊の世代は ”負けてよかった戦争” を説く人たちが多い。

(負けてよかった戦争というなら、

お国のためと信じて戦死した人は救われないが)

負けてよかったとか、当時の状況を鑑みれば致し方なかったとか、

平和が続いてるのだから、今の自衛隊のままでよいとか・・

そういう「受け身」の思考をする人たちは、

また同じことが起これば、致し方なかった・・というに違いない。

民主主義も平和も勝ち取っていこうとする思考回路がない。

50代後半からはバブル世代。

金さえあれば何でも手に入ると思った”勘違い世代”

立派な人も多いが、くそオヤジどもが溢れる。

今の40代になると、団塊世代の子供たちである。

私個人としては、この世代の人たちにもっとも好感が持てる。

民主主義という概念がしっかり身に付いているような気がする。

今の30前後の世代。

環境問題がグローバルな政治と直結していることが分っていても、

その政治を変えていこうとする”志”が感じられない。

また、良くも悪くも「戦争と平和」という対立概念がない。

既に、70年間、幸運にも世界を巻き込むような

大きな戦争はないことからしても、”自然な感覚”なのだろう。

また、男か女か・・というような二元論的思考をする者も少なくなってきている

  ・・・この傾向には未来がある。

この写真に関して・・

編集過程で青が浮き上がるような効果をかけたこともあり、

肌の下の血管が見えるようになります。

こういう、ちょっと偏執的なリアル感も良いかな?と思って。

Peacock feather F2.8

Peacock feather F2.8

普通なら、モデルの方へフォーカスを合わせる、当然、人の目も。

ところが、この画像では手前のPeacock feather をフォーカスしてる。

カメラというのは、オートフォーカスにすれば、手前の羽にピントが合う。

昨今のご時世、眼に見えないものに脅かされ、人の尊厳も危うい。

そんな心理が反映されているのかも・・