presence

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フォトグラファーが画像をセレクトする際、

指先の使い方で選んでいることが多い

どんなにポージングが良くても、手先が遊んでいればその画像は使わない

画像に緊張感がなく、弛んでしまうからだ

それから、普段から鏡を前にしてポージングを研究することは当然として、

それよりも大切なことは、

光が自分にどのように差し込んでいるかを感じることだと思う

私の場合は、正面位置からの強い光はまず入れない

左右から、時には斜め後ろ位置から光を入れることも多い

光が鼻の頭をかすめるくらい、

外での撮影ならば、夕日を背景に逆光で撮影するような感覚、

美術モデルも兼ねているモデルなら、

フォトグラファーのシャッター回数が多くなるポーズ、

それを体感で覚えていくことだと思う。

私は、小説を読まない・・


私は小説を読まない

物語が好きでないのではなく、

それよりも興味深いものが沢山あったからだと思う

音から発せられるもの、ビジュアルから見えるもの

それらが優先されたからだと思っている

したがって、感覚ばかりが先行し、

言語による具現化された「他人の人生」を知らないまま生きてきたように思う

要は、人生のスタートで、他人の経験を疑似体験していない

これらのことから、

安易な人生を送ってしまったのかもしれないとか、

しないで済む失敗もしたかもしれないとか、

言葉で伝えればよいところを、それが出来なかったことによる誤解とか、

もう少しましな人生になっていたかもしれないとか、

いろいろと考えてしまう

とは言っても、

もう一度やり直せたら・・などという未練がましいのは性に合わない

人生は一度で十分だし、そう長生きしたいとも思ってない

過去を振り返るつもりはないし、後悔することもない

ただ、”自分が犯した罪(道義的責任)”から逃れるつもりもない。