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【美しき過去の屍 作品との距離感】
みじんも恥ずかしくない。
モデル自らが在廊する個展 を実現できるのも
永遠に自分が写り込んだ作品を見ていられるのも
驚かれることが多く感じるが、
おそらく、自分とはとっくに切り離した存在だから
客観的、俯瞰的に見ていられる。
ということではないかと ふと思った。
なぜなら、そこにあるものは
今生きている私とは、ちがう。
それは私が一番よくわかっていることだ。
毎日死んで、毎朝生まれる。
そんな感覚で生きているから
数週間、数日前の姿は 私とは別の個体だ。
細胞だってちがう。
思考や感情も違う。
だからこそ
あらためて、作者のフィルターを通じた何かに
新鮮に震えることができる。
今 生きている自分が向き合うべきものが
浮かび上がる。
そして ことばたちが 集まってくる。
先週末は偶然か必然か、
死した姿の植物と 縁があった。
同じだと感じた。
美しい姿。
あの時に確かに存在した、からだ。内面。記憶。
時を超えて、揺さぶり 愛でられ
伝えられる かたち、ことば。
そういうものを生んでいくことが、
この上ない よろこびなのです。
essay ; artmodelkei
@tetsuro_higashi work
@halcyon.kei words
























