モデルさんは、常に優雅に妖艶に

このモデルさんは、常に優雅に妖艶に撮れてしまいます。 僕が何をどう撮りたいか・・を心得ているのでしょうね。 

幼少時、愛されて育てば、愛され方を知っている

逆行で撮る 室内

屋外で、夕日を背にして撮ることも同様で、その場合は、カメラ側からフラッシュ炊いて撮った方がより鮮明な画像になる。 できれば、フラッシュはカメラ位置からではなく、ストロボを使って、やや斜めから炊いた方がより自然なニュアンスが生まれる。

室内であれば、照明位置を工夫すれば簡単にできますが・・

絵になる女

わたしには居場所がない

「急ぎの愛」

わたしには時間がない

だから、急いで愛さないと・・

わたしには居場所がない

だから、隠れ忍ばないと・・

ときは経て

すでに還らぬ人、いまなお健やかなる人

ときの流れは重複し、わたしは宙ぶらりん

急がなきゃ、わたしには時間がない、居場所がない

「ふんわり、ふんわか」

造形美であったり、ストリー性に重心を置いた作品

作品にするには(フォトグラファーが)そのモデルに愛がないと撮れないかもしれない・・と思うことがあります。 観る人の心に届く写真(作品)は特にそうですね。

ところが、造形美であったり、ストリー性に重心を置いた作品は感覚だけでも撮れるようです。 この作品はどちらでしょうか・・

わたしには居場所がない

真似るんじゃなくて、盗んで来い!

アート作品というものは”1%のオリジナリティーがあれば、それで十分!”だと思っている。 絵画がそうであるように、写真に至ってはますますそのことが言える。 

ところで、僕は他の人の作品を悪く言うのは好きじゃないのですが・・・インスタなどで観る写真の多くがその”1%”がないのですよね。 何処からか借りてきたような”パクリ”であったり、それでも、パクっても、そのパクった作品を超えたものであればそれはそれでよいのですが、どう見ても超えてないのです。 所詮、”借りもの”でしかないのですね。 その写真の中に”自分”はいないのです。 こう撮りたいと思う”自我”が勝っていれば良いことなのですが・・

その借りものばかりを撮っている人に助言があるのですが・・真似るんじゃなくて、盗んで来い!と言いたいですね。 真似るということは、消化しないまま出力してるということで、盗むというのは、体内(脳内)で消化し栄養にしてから自分のものとして出力してるんです。 

https://tetsurohigashi.com/waka-nude-2479/

造形美であったり、ストリー性に重心を置いた作品

クロッキーでも描きたいところしか描かない

昨日、クロッキー会へ参加してきました。 元々は、クロッキーから絵を始めたので、アートに関しては”僕の原点”とも言えます。 10年ぶりのクロッキーでしたが、こうして載せている写真と”本質”はかわらないことです。 写真ならば、観たいところしか撮らないし、クロッキーでも描きたいところしか描かないことです。 アングルも捉え方もほとんど一緒ですね。 

全身を描くことはほとんどないですね。 頭の先から足先まで入るような写真はほとんど撮りませんが、クロッキーでも同様です。 

10年前に描いたクロッキー・

真似るんじゃなくて、盗んで来い!

煌びやかで限りなく奥の深い文化

私は、日本の文化と伝統美を基準にしてしか考えないところがあって、それは当然と言えば当然なことで、詰まるところ、自分の美意識に基準があるのであって、他(西洋や中国大陸など)のいかなる文化圏とも一線を画して、私自身でもある日本の文化と伝統美にある種の”確信”をもって”モノ創り”を続けているので・・。

 私にとっては、作品在りきであって、その作品についてコメントや説明をしないことにしている。 ところが、西洋や中国大陸へ行くと、作品が出来上がる過程を尋ねてくるし、また、作者はその過程を”正しく”説明する勤めがあると考えている。

 そのような説明をすることが”当然”と考えていることの根底には、言語によってすべては語り尽くせるという”既成概念”を彼らは共有しているようなのだ。 したがって、展示会場では、様々な質問に晒されることになる。 日本語でも応えられないような質問を浴びせられ、困惑する。 

日本においても同様な質問・疑問を問いかけられるが、「あなたの作品は、アジア人のそれとは違う」ということ。 西洋人の多くは、アジア人は”こういう作品”を作るという”固定観念”に近いものがある。 ところが、私の作品は彼らの期待を裏切っているらしい。 

だから、私から彼らに逆に質問することがある・・・「何処の文化圏の作品に見えますか?」と。 彼らは、僕の質問には困ってしまうらしく、応えは返ってこない。 彼らにとっては、過去に見たことのない斬新な感性を感じるらしい。 少なくとも、写真の世界では僕に似た人はいないらしいことは想像がつく。 そこは、僕の”優位点”であると思う。 

 

イスラムであれば「コーラン」という聖典に、キリスト教であれば「バイブル」に、全てを語り尽くしてますが、この国においては”座禅組んで瞑想してろ!”ってところでしょう。 イスラムもキリストも価値観が一律で理路整然としてますね。 それが、我々にとっては、”硬く”感じるし、ときとして(行動の結果を見れば)”野蛮”にも見えてくる。 

 この国の文化はしなやかで煌びやかで限りなく奥の深い文化なのですから、それを”曖昧な”などという安易な言い方は止めるようにしましょう。 

絵画のごとし・・