フォトエッセイ「灯篭の明かりが映し出すヌード」

灯篭の明かりが映し出すヌード

夜の帳が静かに降りる頃、庭の片隅にひっそりと佇む灯篭が、柔らかな光を放ち始める。その明かりは、冷たさと温かさを併せ持ち、まるで夜の深さに触れた肌のようだ。

石の重みに沈む時間の中で、灯篭の明かりがゆっくりと輪郭を浮かび上がらせる。布が落ち、名もない静けさの中に、ひとり、ただひとりの裸体が現れる。それは露わというにはあまりに慎ましく、隠されたものというにはあまりに正直だ。

灯篭の光に導かれ、背の線が、肩の影が、腰のゆるやかな曲線が、ひとときの物語を紡ぎ始める。葉擦れの音がそっと拍子をとり、虫の声が遠くで調べを添える。誰のためでもないそのヌードは、見る者の内にだけ、そっと触れてくる。

照らすでもなく、隠すでもなく、灯篭の明かりはただそこにあり、夜に沈みゆくものたちを静かに、たしかに、見つめている。

この情景は、単なる視覚的な美しさを超えて、私たちの内面に深く訴えかけてくる。灯篭の明かりが映し出すヌードは、私たち自身の心の奥底にある、純粋でありのままの姿を象徴しているのかもしれない。

フォトエッセイ[もう既に、十分すぎるほどの時を生きてきた」

:

私はいつまで生かされるのだろう

そして、いつまで生きられるのだろう

もう既に、十分すぎるほどの時を生きてきた

静かにこの世をされるのなら

躊躇うこともない

後に残すものもない

やり残したものもない

余生を過ごすことって

ただ、宛てもなく彷徨うことなのだろうか。

「愛と焦燥の間に」


「愛と焦燥の間に」

たぶんそれは、ひとつの部屋。
夜を迎える前の、光の最後の粒子が漂っている。
窓を閉め忘れた風が、カーテンを揺らす。
彼の気配がそこにあった、と感じた瞬間のような、過去と現在が重なる場所。

愛は来て、座る。
何も言わない。
焦燥は立っている。
歩き回り、煙草に火をつけては、すぐに消す。
言葉が壁に跳ね返る。だれもそれを聞こうとはしない。

そして私たちは、そのあいだに生きている。
待つ者として。迷う者として。
愛を信じたいとき、焦燥は耳元で囁く——「まだ足りない」と。
焦燥から逃れたいとき、愛は背を向けて黙っている。

それでも私は、コーヒーの苦みを舌に残しながら、朝を待つ。
あの人の名を、心の中だけで何度も唱える。
それは祈りではなく、呪文でもなく、ただ——残響。

愛と焦燥の間には、時がある。
それは、時計の針では測れない時間。
手に触れられない熱。
見えないまなざし。
名もなき不在の重み。

だから私は、あの部屋に戻る。
何もないテーブルの前に座り、
もう来ることのない扉のほうを見つめている。
言葉もなく、夢もなく。
ただその、”はざま” に。

フォトエッセイ「Entre l’amour et l’angoisse, qu’y a-t-il ?」

Entre l’amour et l’angoisse, qu’y a-t-il ?
(愛と焦燥の間に、何があろうか?)

たぶんそれは、ひとつの部屋。
夜を迎える前の、光の最後の粒子が漂っている。
窓を閉め忘れた風が、カーテンを揺らす。
彼女の気配がそこにあった、と感じた瞬間のような、過去と現在が重なる場所。

愛は来て、座る。
何も言わない。
焦燥は立っている。
歩き回り、煙草に火をつけては、すぐに消す。
言葉が壁に跳ね返る。だれもそれを聞こうとはしない。

そして私たちは、そのあいだに生きている。
待つ者として。迷う者として。
愛を信じたいとき、焦燥は耳元で囁く——「まだ足りない」と。
焦燥から逃れたいとき、愛は背を向けて黙っている。

それでも私は、コーヒーの苦みを舌に残しながら、朝を待つ。
あの人の名を、心の中だけで何度も唱える。
それは祈りではなく、呪文でもなく、ただ——残響。

愛と焦燥の間には、時がある。
それは、時計の針では測れない時間。
手に触れられない熱。
見えないまなざし。
名もなき不在の重み。

だから私は、あの部屋に戻る。
何もないテーブルの前に座り、
もう来ることのない扉のほうを見つめている。
言葉もなく、夢もなく。
ただその、”はざま” に。

【売春島に潜入】人身売買に借金地獄…少女たちを支配した裏社会の実態

【売春島に潜入】人身売買に借金地獄…少女たちを支配した裏社会の実態と、島が辿った衝撃の末路

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「この島」のことは・・・

1975年くらいから、バブル期に30年近く続いていたそうです

私は1950年生まれですから

私がしっかり現存していた時期ですね

その意味では、耳につまされる話なのです

良くも悪くも・・

私の人生は世間と断絶していたところがあって

接待するとか、されるとか

呑んだ勢いで羽目外すとか

・・そんな経験が全くなくて

”未知の領域”なんですね、私にとっては。

フォトエッセイ「魂の深みにひそむアニマと母の像」

ユングの女性観 ――魂の深みにひそむアニマと母の像

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)は、20世紀の深層心理学に大きな影響を与えたスイスの心理学者である。彼の思想は単なる心理療法にとどまらず、神話学や宗教、文学、芸術の領域にも広く影響を及ぼしている。そのユングが描き出した「女性」という存在には、人間の無意識の奥深くにひそむ根源的なイメージが色濃く映し出されている。

ユングの女性観を語る上で、まず欠かせないのが「アニマ(Anima)」という概念である。これは、男性の無意識の中に存在するとされる「女性的な側面」の象徴であり、感情、直観、関係性といった要素に結びつけられている。ユングは、人間の心には元型(アーキタイプ)と呼ばれる普遍的なイメージの型が存在すると考えたが、アニマもそのひとつである。男性が自己を統合し、成熟した人間として生きるためには、自分の中のアニマと出会い、それを受け入れていく必要がある――この考えは、単に性別の役割を超え、内的世界と外的世界との調和という普遍的なテーマにつながっている。

一方、女性に関しては「アニムス」という逆の概念も提示される。これは、女性の無意識にある男性的な側面であり、理性、意志、言語、力といったイメージと結びつく。ここで注目すべきは、ユングが女性をただ受動的な存在とは見なしていなかった点だ。むしろ彼は、女性の内面にもまた対話すべき他者(アニムス)が存在し、それとの関係性の中で自己を見出していく必要があると考えていた。つまり、ユングにとって女性とは、内的探究の旅を歩む主体的な存在だったのである。

また、ユングは神話や宗教に見られる「大いなる母(グレートマザー)」という元型にも注目している。これは、命を育む存在であると同時に、破壊をもたらす力を秘めた存在である。慈愛と恐怖の両面を併せ持つこの母のイメージは、現実の母親像を超えて、自然や無意識の象徴として現れる。ユングの女性観には、そうした「両義性」の理解が深く根ざしている。女性とは、単に柔らかく優しい存在ではなく、創造と破壊、受容と拒絶、癒しと挑発のすべてを内包した、神秘的で多層的な存在として捉えられているのだ。

さらに興味深いのは、ユングが多くの夢や幻想、物語の分析を通して、女性の役割をしばしば「媒介者」や「導き手」として描いている点である。たとえば、神話の中の巫女や妖精、賢女といった存在は、主人公を無意識の世界へと導き、試練を通じて自己の変容を促す。これもまた、ユングの女性観の核心にある、「女性は自己への道を照らす存在である」という信念を物語っている。

もちろん、現代のジェンダー論やフェミニズムの視点からすれば、ユングの女性観には古典的で象徴的すぎる側面もあるだろう。しかし、彼の視点の本質は「人間の内的な全体性への希求」にある。ユングにとって、女性とは決して一面的な存在ではなく、男性の鏡であり、魂の深層を映す「もうひとりの自己」でもあった。

人は自らの中に異性を抱えて生きている。ユングの思想は、そうした内なる異性との出会いを通して、より深く、より豊かな「私」に出会っていく旅路を照らし出してくれる。そしてその旅路において、女性という存在は、世界の神秘とつながる鍵を握る「象徴」なのである。

異邦人

異邦の肌、異邦の祈り

幼いころ、わたしは鏡の中の自分を、他人のように見つめていた。
黒い瞳は真っ直ぐにこちらを見返し、頬骨の高い輪郭がどこか険しかった。肌は淡く白く、母の手のひらのように柔らかだったが、髪は太く、濃く、目のまわりにはごく淡く、緑がかった色素が浮かんでいた。

わたしの顔は、どちらの民族にとっても、少しばかり“異質”だった。
その異質は、日本という国において、ときに軽んじられ、ときに過剰に扱われた。

アイヌの父と、ポーランド人の母。二つの遠い血が、北海道のある小さな町で交差し、わたしが生まれた。家庭の中では、言葉も祈りも、二つあった。父は山を語り、母は戦争を語った。父の食卓には狩りの獲物が並び、母の皿にはピエロギとザワークラウト。日曜日には十字を切り、月の満ち欠けには川に塩を流した。

だが、外に出ると、世界の色は一変した。
教室の椅子に腰掛けると、無数の目が、わたしを“それ”として見る。違う名前、違う顔、違うにおい。「どこから来たの?」「その顔、なんか変じゃない?」——子どもの無垢な問いかけは、時に鋭く、心の奥深くを裂く。

運動会の練習のとき、陽に焼けた腕を見た男子が言った。「なんかアイヌ人っぽくて原始人みたい」。教室は笑いの渦に包まれた。けれど、笑えなかった。父の手にある斧のタコも、母が縫ったレースの模様も、ひっそりと心の中で泣いていた。

思春期になり、自分の居場所を探そうとすればするほど、その問いはより重く、より苦く、わたしの影を長くした。見た目も、家庭も、文化も、どこかとズレている。でも、ここが日本である限り、わたしは“日本人”であることを求められた。どこかに縛られながらも、どこにも根を下ろせない——そんな生の感覚が、じわじわと胸に広がっていった。

「ハーフでいいね」「異国っぽくてかっこいい」
そんな言葉がまぶたの裏に浮かぶたびに、わたしはもう一歩、沈黙の奥へと歩いていった。わたしは誰にも語らず、自らの声を封じることを覚えた。それは“異邦人”としての処世術であり、自衛でもあった。

だが、大学進学のために東京へ出たとき、少しだけ世界の輪郭が変わった。
多様性という言葉が流行語のように使われ、名前の由来を尋ねる人の眼差しには、興味よりも敬意が宿っていた。だが、それでも、“異邦人”という感覚がわたしの中から完全に消えることはなかった。それは、肌に刻まれた見えない“文様”のようで、誰に見せなくとも、わたし自身がずっと感じているのだ。

——それでも。
最近になって、ようやく思えるようになったのだ。
異邦人であること。それは孤独でありながら、ひとつの祈りに似ているのかもしれない、と。

誰にも届かぬかもしれない、と思いながらもなお言葉を差し出す。
拒まれることを知りながら、それでも沈黙のなかで灯りを掲げ続ける。
その姿は、わたしが幼い頃に見た、森のなかの父の背中と重なる。

そして今、わたしは書いている。
言葉のかけらを並べて、自分の存在を、祈りのように形にしていく。
「違い」は、わたしを引き裂いたが、同時にわたしを織りあげてもいる。

わたしは、「にほん」の内側と外側、そのあわいで揺れながら生きている。
それは、たやすい生ではない。けれど、そこにしか咲かない花があることを、私は知っている。

わたしの名は、二つの大地の声でできている。
その声を消さず、濁さず、震わせ続ける。
たとえ誰にも届かなくとも、その声が、わたし自身を生かし続ける限り。

フォトエッセイ「異邦の肌、異邦の声」

生まれたときから、私は日本にいた。
けれど、日本のどこにも、自分の影がきちんと落ちる場所を見つけられずにいた。

アイヌの父の声は、山の湿った空気のように静かで、あたたかかった。
ポーランドの母のまなざしは、冬の朝焼けに似ていた。透き通る白に、微かな紅の匂いが混じっていた。

家の中にはふたつの風が流れていた。
ひとつは山を越えてカムイの声を運ぶ風。もうひとつは、遠くヨーロッパから海を越えて届いた、遠い祖国の風。
私はそのあいだに横たわって、どちらにも属しきれない、けれどどちらも深く愛するようになっていった。

学校に入ると、私の名前はつまずきの石になった。
読みづらい名前だね、変わった顔立ちだね、と、子どもたちは無邪気に言葉を投げる。
その一言一言が、小さな針のように心に刺さっていった。痛みは、誰にも見えなかったけれど、確かにそこにあった。

教室の窓から見える桜の花も、運動場を走る足音も、どこか他人の国の風景のようだった。
みんなが一斉に笑うとき、私は少し遅れて笑った。
笑いながら、「私の笑いは、この輪のなかにあるのか?」と問い返している自分がいた。

父の実家に行くと、熊の毛皮が吊るされ、火を焚く煙のにおいがした。
母の郷里から届くポーランド語の手紙には、知らない文字と温かい言葉が踊っていた。
そのどれもが、私にとっての「ふるさと」だったのに、日本の町ではそれらは、まるで“異物”のように扱われた。

ある日、鏡の中の自分に向かって、ふとつぶやいた。
「わたしは、どこにいるのだろう」
その問いは、いまも胸の奥で、静かにこだまする。

けれど、大人になった私は、あの問いを抱きしめる術を知った。
異邦人であること。それは、ただ「他者」になることではなく、複数の世界を生き、複数の声を聞き分けることのできる、ひとつの“詩”のような生き方なのかもしれない。

風は、ひとつの方向だけに吹くわけではない。
海と森をまたぎながら、音もなく、どこかへ向かって流れていく。
その風のなかに、私はいる。
私の中に、父の声と母の祈りが息づいている。
それで、いい。

どこにも属さない、ということは、どこにでも根を張れるということ。
異邦人であるとは、世界のあらゆる片隅に、自分のかけらを見つけていく旅でもあるのだ。