私の Nikon 史 Nikon 感

13年くらい前から始まった「私の Nikon 史 」

そもそも、友人から Nikon D3 を使ってみたら?ということで、頂いたことから始まる。 それまでは、ありきたりのコンデジを使っていて、フィルム・カメラは使ったことがない。 だから、私にとっての「写真史」はすべてデジタルから始まっている。

これまで使った機種はNikon D3、Nikon D3x、Nikon D4、Nikon 810、Nikon 780 という並びで、次は口径の大きいZシリーズに移行しようと思ってます。 カメラ自体の性能はその世代を代表するシリーズで、撮影時により負担のかからない軽量な機種に移行してます。 

レンズと他の機種に関しては・・・

AF-S NIKKOR 14-24mm f/2.8G ED

AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8G ED

AF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VR II

AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED

SIGMA 30mm F1.4 EX DC HSM / EX DC

SIGMA 50mm F1.4 EX DG HSM

友人から頂いたカメラ・レンズがNikon だったというだけで、それまで、カメラに興味のなかった私にはNikon に拘る理由もない。 他のメーカーのものはほとんど使ってないこともあり、比較しようはないが、とにかく、Nikon は故障しないこと、メインテナンスなど、アフターサービスが良いこと‥これらが私の Nikon 史であり、Nikon 感です。

「制度を変えれば幸せになれる」という命題

「制度を変えれば、不幸せの多くは解消もしくは軽減できる」この命題は正しい。 でも、「制度を変えれば幸せになれる」という命題は正しくありません。

「制度を変えれば幸せになれる」という論法は、左系の人たちが選挙の票集めのためによく使うやり方なのですが、環境問題を語る人たちにも、たぶん、ビジネスのためなのでしょうが、CO2減らせば・・と語る人たちがいる。

健康に恵まれないとか、抜け出せない貧困とか、様々な暴力にあうとか・・不幸せというものは確かにあります。 っが、幸せって、単なるその人の”思い込み”に過ぎません。 「幸せになれます・・」なんて話があれば、疑ってみるのが普通でしょ、騙される方がアホなのです。 

私の Nikon 史 Nikon 感

これまでにすり込まれた”幸せ指標”

仕事帰りにスーパーによって、50%オフになっている総菜や焼き鳥などを買い込み、アパートに帰り、缶ビルを取り出し、一杯やる・・私はアルコールはダメなので、これは私の話ではありませんが、こういうルーティーンで生きてる人って、けっこう多そうなのです。 

こういう状況を、”独り寂しく貧乏っぽい”と思えば「幸せ感」はありませんが、そこそこ健康で仕事ができて気楽でいいなぁ・・と思えば、「不幸せ感」はないわけです。 これまでにすり込まれた”幸せ指標”なるものを持ち合わせると、そこから既に不幸は始まってるようなのです。

「制度を変えれば幸せになれる」という命題

歴史が悪しき方向へ逆流し始めた

「歴史が悪しき方向へ逆流し始めた・・」

第二次世界大戦が終わってから、80年が経とうとしてます。

私は、戦後のほとんどを生きてきたのだけれど、

様々な出来事は他人事で、直接我が身に降りかかるような出来事はありませんでした。

ところが、3年前に突如現れた感染症が世界を恐怖に陥れ、

1年前から始まったウクライナ侵略戦争では、

独裁者が核を振りかざせば、”手に負えない”ことを知り、

平和ボケした我が身にも確かな危機感が迫ってきたわけです。

私がこの世に出て来てから徐々にではあるが、

世界は良い方向へ進んでいると思われたが、

ここへ来て、歴史が悪しき方向へ逆流し始めたことを実感している。

医学(科学)は日進月歩とはいえ、感染症の猛威には限りなく劣勢で、

妄信的独裁者の前では、民主主義などはこれまた無力で、

ほとんどボケた判断力の失せた老人が、

ガスのパイプラインを爆破するという暴挙をやらかした。

最後は、人類の英知が勝ると信じたいが、

今や、世界は”場外乱闘”の様相と化し、それらを静止するレフェリーもいそうにない。

T.Fukatsu Photograph

写真家: T. Fukatu 氏には、ポートレイトであろうが、風景であろうが、被写体との間に”確実な距離”があります。 決して、被写体に寄り添うことはなく、”冷ややかな”までの客観性が貫かれてます。 情を挟まないってことが、カッコ良さに繋がっているのでしょうね。 彼の孫のような年齢の少女?を撮っても、決してブレることはない。

被写体に寄り添うことはなく、”冷ややかな”までの客観性