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薄力粉に色を加えて、その上に再度、薄力粉を被って・・
次回からはモデルさんのリクエストもあって、
薄力粉でなく、片栗粉にしようと思ってます。
例えば、黄な粉使うと言ったら、嫌がられるかな・・

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変態の美学 モデルと写真家の創意工夫

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薄力粉に色を加えて、その上に再度、薄力粉を被って・・
次回からはモデルさんのリクエストもあって、
薄力粉でなく、片栗粉にしようと思ってます。
例えば、黄な粉使うと言ったら、嫌がられるかな・・

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変態の美学 モデルと写真家の創意工夫

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今回の設定での撮影は、3人のモデルさんに協力してもらってます。
3人目の方は、今週の土曜日に撮るので、
これまでに貼ってる画像は2人ですが。
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そう言えば、3人とも体型が似てるので区部付かないかも・・

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変態の美学 薄力粉でなく、片栗粉にしよう

Artist Model Yu covered in powder

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この二枚の写真において、まず強く印象づけられるのは、身体が「肌」ではなく「物質」として扱われているという点です。
小麦粉のような白い粉は、化粧でも装飾でもなく、身体を匿名化し、時間を付着させる層として機能しています。
肌の温度、血の巡り、個人の若さや年齢──
そうした生々しい情報は、この白い被膜によって一度遮断される。
残るのは「形」と「重さ」、そして崩れやすさです。
身体はもはや欲望の対象ではなく、
風化しつつある彫刻のように横たわっています。
一枚目では、身体は横たわり、布に包まれ、視線から逃げる。
二枚目では、身体は立ち上がり、胸を張り、しかし視線は遮断されている。
ここで重要なのは、
「見せている/隠している」という単純な二項対立ではありません。
むしろ、
という逆説が成立しています。
花は装飾ではなく、人格の代替物です。
それは美であると同時に、沈黙の仮面でもある。
この写真が興味深いのは、
ヌードでありながらエロティシズムが主題になっていない点です。
乳房は写っている。
しかし、それは「見られるための形」ではなく、
重力に従う物体として存在している。
この距離感は、鑑賞者に安心を与えません。
消費もできないし、意味づけも簡単にはできない。
その結果、写真はこう問いかけてきます。
私たちは、身体を
美として見ているのか
生として見ているのか
それとも、いずれ失われるものとして見ているのか
二枚の写真を並べると、
それは同時刻の別カットではなく、
時間の前後として読めてきます。
しかしどちらも、完全な主体にはなれない。
なぜなら、顔は隠され、粉は剥がれ、
身体は常に「崩れる側」にあるからです。
ここに描かれているのは、
誕生でも死でもない、その中間──
存在がまだ名づけられず、しかし確かにそこにある瞬間です。
この二枚は、
美しいかどうかを評価するための写真ではありません。
むしろ、
そうした問いを、
言葉ではなく、沈黙によって差し出す装置です。
写真は答えを与えません。
ただ、観る者の内部に、
粉のように静かに降り積もる違和感を残す。
それこそが、この二枚が到達している
アートとしての強度だと言えるでしょう。

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Artist Model Yu covered in powder

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眼とか髪の見えないようにした撮影では、それでも唇は見えているが、身体の表情のみで作品創りに集中できるというメリットがある。 顔の表情をなくすことは、ある意味で、”無個性化”を実現でき、より純粋な作品に近づけることの一つの方法論かもしれない。

Artist Model Yu covered in powder
wrap the BOOBs 着衣巨乳写真集1,980円

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目はいつでも目のあるらしきところにあって、二つであり、目らしき存在である・・という既成観念に”疑問”を呈した作品にしました。
そしてまた、ここは狙ったわけではなく、海底で撮影したかのような写り込みにも面白さがあり、こういう撮影は、次回からは意識的に狙っていきたいと思っている。

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Artist Model Yu 純粋な作品に近づける方法論
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イスラエル出身のAvishaiがドイツのLeverkusenerでの演奏・・
月日が経てばそんなものかな・・