LGBT法案について・・

ここはたぶんイタリアでした、

フランスとの国境へ近かったので定かではありません。

LGBT法案について・・

先進国では・・という議論をする人たちがいますが、

その先進国はキリスト教という価値観が一律の国の話なので、

この国、日本では価値観は多様であり、

西洋諸国の例は参考になりません。

この画像を撮っている際に同行していたキュレイターは

男子でありながらしっかり女装しているという・・

それでも、何ら違和感はありませんでしたね。

性の文化に関して・・

西洋とこの国とは根底から何かが違います。

卵の値段が急騰していることへ・・

写真はベルギー・アントワープ

卵の値段が急騰していることへ・・

私の子供のころは、卵は高価な食べ物で、一個18円位していたと記憶してます。

(1っ個単位でしか買えないくらい貴重品だったのです。

比較参考として・・・ラーメン一杯35円位でした。)

っで、つい最近まで1ケース(10ッ個入りで)200円位でした。

・・ということは、50年くらい卵の値段は変わらなかったことになります。

ところが、最近になって1ケースが380円位に急騰してます。

詳しい事情は知りませんが、これまでが安すぎたのかもしれませんね。

写真はベルギー・アントワープですが、

ここへ滞在した際に(庭で飼っている鶏が生んだという)卵を頂きましたが、

その美味しさには驚きました。

50年前には、日本でもこういう美味しい卵を頂いていたわけですから、

それ相応の値段も頷けます。

値上がりしているのは卵だけでなく、生活必需品のほとんどに及んでます。

給料(収入)は上がらず、物価だけが上がる・・

”虐げられた犬”のような画像

ここで載せてる画像は、単なる変態趣味な行為を撮影したものではありません。 知的好奇心へ導く壮大なプロジェクトです。 このプロジェクトに”正面”から付き合って頂ける方のみ、このブログでは歓迎してます・・といよりは、単なる性的好奇心だけで観るとわけが分からないでしょうね。 

この画像のような”虐げられた犬”のような印象ある画像ですが、変態とは、歪み方の美しさを探求していることになります。

変態の美学 知的好奇心へ導くプロジェクト

(ブログを見ている)あなたへの”挑発”

こうして、複数のモデルさんを撮影してるのですが、「変態」には2種類あって、大股開いてカメラの正面に向かい、それまでにがんじがらめに縛られていた倫理観を破壊(解放)してやろうとする人と、日常では封印している卑猥さを絵にすることにこの上なく満足を得られる人がいます。 まぁ、その両方を兼ねてると思われる人もいますね、たぶん。 また、一応、モデルから見れば私も男性なので、私への見せつけ・当てつけはあるかもしれませんし、カメラの向こうにいる(このブログを見ている)あなたへの”挑発”かもしれません。 そう考えれば、レンズの向こうへ居る人たちをより意識してるのかもしれません。 

変態の美学 画像を観るあなた”への挑戦

変態の美学 画像を観るあなた”への挑戦

こうして、複数のモデルさんを撮影してるのですが、「変態」には2種類あって、大股開いてカメラの正面に向かい、それまでにがんじがらめに縛られていた倫理観を破壊(解放)してやろうとする人と、日常では封印している卑猥さを絵にすることにこの上なく満足を得られる人がいます。 まぁ、その両方を兼ねてると思われる人もいますね、たぶん。 また、一応、モデルから見れば私も男性なので、私への見せつけ・当てつけはあるかもしれませんし、カメラの向こうにいる(このブログを見ている)あなたへの”挑発”かもしれません。 そう考えれば、レンズの向こうへ居る人たちをより意識してるのかもしれません。 

カメラで撮影していて思うのですが、私への挑発と思えることは少なく、カメラの向こうへいるこの画像を観るであろうあなた”への挑戦なのですよ。

変態の美学 LBGT法案と環境問題は似てる

変態の美学 知的好奇心へ導くプロジェクト

ここで載せてる画像は、単なる変態趣味な行為を撮影したものではありません。 知的好奇心へ導く壮大なプロジェクトです。 このプロジェクトに”正面”から付き合って頂ける方のみ、このブログでは歓迎してます・・といよりは、単なる性的好奇心だけで観ると訳が分からないでしょうね。 

変態の美学 画像を観るあなた”への挑戦

白い粉と綱のあいだに立つ身体

Artist Model Yu

—美は、束縛と解放の狭間に宿る—**

人間の身体が白い粉を纏うとき、その肌は世界から一歩退き、
「私」という個の記号を薄めながら、
どこか原初の光に還ろうとする。

白は始まりであり、終わりであり、
存在が形を得る直前の粒子の揺らぎを想起させる。
その白の静けさの中に、ふと一本の綱が横たわるだけで、
身体は一気に“現実”へと引き戻される。

綱とは何か。
それは力ではなく、境界である。
自由を拒むものではなく、むしろ自由が生まれる起点だ。
何も縛られていない者に自由は芽生えない。
自由とは、束縛の影に初めて輪郭を得る光のようなものだから。

白い粉が肌を覆うとき、身体は時の流れから切り離される。
だが綱が触れた場所だけは、
粉が微かに寄り、影が生まれ、
そこに「人としての重さ」が戻ってくる。
無垢と現実、永遠と瞬間――
その境界線が綱となり、身体に地図を描いていく。

哲学者は、存在を“投げ込まれたもの”と言った。
しかし、綱に結ばれた身体を前にすると、
むしろこう思うのだ――
人は生まれると同時に、
見えない綱でこの世界に「括りつけ」られたのではないか、と。

綱は、人を拘束しない。
むしろ「ここがあなたの始まる場所だ」と
静かに告げるだけだ。
そのうえで、そこからどう歩み出るのかを、
人自身に問うてくる。

白い粉の静謐な膜は、
身体を純化し、余計な語りを落とし、
一人の人間が持つ根源的な輪郭を露わにする。
そして綱は、その輪郭を“重さ”へと変える。
重さとは、存在の確かさだ。
世界に触れ、世界に触れられているという実感だ。

この二つが交わったとき、
身体はただの身体ではなくなる。
白は無限の象徴、
綱は有限の象徴。
その狭間に立ち尽くす姿こそ、
人間という矛盾そのものの姿なのだ。

だからこそ、そこには美が宿る。
完全でもなく、解放でもなく、完成でもない。
むしろ、永遠に完結しえない“途中”の美。
白と綱、その二つをまとった身体は、
この世界に生きることの不可思議と不可避を、
沈黙のまま語っている。

美しさとは、
到達点ではなく、
到達しえないことを知ってなお立ち続ける姿なのだ。

白い粉と綱に結ばれた身体は、
その真理を、ただ静かに体現している。

Artist Model Yu