日本保守党 ムーブメントを起こしそう

日本保守党が立ち上げられた。

僕は左とか右とか、そういうイデオロギーはどうでもよく、

この国が平和で住みやすく豊かであればそれだけでよいと考えている。

河村市長を取り込んだのは、有本香氏のしたたかさなのか、

保守を名乗りながら、左から右までを取り込みそう。

日本を本当によくしたいと思う者ならだれでもOKというスタンスなのでしょう。

来年あたりの選挙から大化けしそうな気がする。

10議席くらいは取りそうで、その際、どこの政党からも削ってきそうなので、

共産、公明辺りもうかうかできないかも。

これまでに無かったムーブメントを起こしそう・・

これまで選挙に行かなかった人たちを投票場に連れてきそう。

なぜ、病院なのか?

なぜ、空爆(誤爆?)された場所が病院なのか・・ガザ地区

紛争地域で、弾薬庫となっている場所が病院だそうです。 なぜなのか・・戦争にもルールがあって、学校とか病院は爆撃の対象にはしていけない・・国際ルールがあって、これに反すると経済制裁など厳しい制裁をくらうこととなる。 だから、病院を弾薬庫とするのは紛争地域では当然のことのようにやっていること。

そうでないと、1発の爆弾で500人以上が死亡するようなことはありえない。数十、数百の爆弾が誘発したものと考えてみれば分かること。 

ただ夢中になって楽しいことばかりをしていた

子供のころを思い出してみれば、ただ夢中になって楽しいことばかりをしていたわけで、何かの目的があってしていたことじゃない。 親とか周囲からは、将来のことも考えなきゃ・・みたいなことは言われた覚えはあったが、そんなことはどうでもよく、ただ、気になってくるのは異性のことぐらいで、できれば好かれたいとか‥そんなことは考えていたような気がする。 

人生の意味とか目的を見つけなければならないと思いだしたのは、大学受験のころで、そこでも僕には、将来何がしたいとか何になりたいとかということはなく、当然のように、受けたい学部などというものもなく、親が進める大学に進んだだけ。 大学に入ってからアルバイトに家庭教師というのをやってみたら、受け持った子供の成績がむっちゃ上がって、”行列のできる家庭教師”になってしまって、それがそのまま仕事になって、あっという間に50年経ってしまった・・というの現在の状況・心境なのです。

こうして考えてみると、子供のころから現在に至るまでこれと言った目的などを持ち合わせたこともなく、ただ、好きなことを見つけるとひたすら夢中になってしまうのは今も昔も同じで、例えば、今夢中になっていることで写真を撮ることについても、撮ることが好きだから撮っているだけで、何のために撮っているのかとか、撮影する目的とか意味とかはほとんど考えたこともなく、それは人生についても同じで、その目的や意味などを真剣に考えたことはないような気がする。 

人生に意味や目的など考えたこともなく・・

写真の中に“生きる”こと

写真の中に“生きる”こと

アート写真におけるフォトモデルとは、単なる被写体でも、装飾でもない。「作品世界における一つの生命」として存在し、見る者の心に静かに問いを投げかける存在である。

そのためには、外見の美しさだけでなく、内面の豊かさ、感性の繊細さ、表現の奥行きが求められる。写真家の構想に寄り添いながら、自らの存在で作品に深みを与え、鑑賞者に新しい視点や感情を届ける――それこそが、アート写真におけるフォトモデルの真の役割であり、心得である。

創造の共犯者として、作品に命を吹き込む存在であること。それが、アート写真に生きるモデルたちに求められる姿であり、芸術の歴史の中に名を刻む者たちが持っていた「覚悟」なのかもしれない。

Traveler of Time ELEGANT

継続的なインプットとアートへの理解

継続的なインプットとアートへの理解

アート写真においては、モデル自身の「教養」や「感性」が作品の質を左右する。写真家はしばしば、美術史や文学、哲学、映画などの知識をベースに作品を構築する。そのため、モデル側にも「芸術に対する引き出し」が求められる。

たとえば、「エゴン・シーレのようなポーズで」「ベルメール的な雰囲気で」と言われて、即座に対応できるモデルは少ない。しかし、アート写真の現場ではそうした知的・文化的参照が飛び交うことも珍しくない。モデルとして表現の幅を広げるためには、美術館に足を運ぶ、写真集を読む、現代アートを体感するなど、日常的にアートに触れることが欠かせない。

また、他のモデルや写真家の作品を研究することで、感性と引き出しを増やし、撮影現場での即興的な表現力を高めることができる。

Traveler of Time

「作品に奉仕する」という視点

「作品に奉仕する」という視点

アート写真において、モデルが「自分を魅せること」に終始してしまうと、作品は一気に商業的な印象になってしまう。モデルが前面に出すぎることで、写真家の世界観や構成が薄れてしまう場合もある。

アート写真のモデルは、自分自身を前に出すのではなく、「作品に身を捧げる」意識を持つべきである。あくまで主役は作品全体であり、自分はその一部として存在するという姿勢。この自己抑制と自己表現のバランス感覚が、高度なプロフェッショナリズムを支える。

もちろん、それは「個性を消すこと」とは異なる。むしろ、強い個性や存在感を持ちながらも、それを「作品の構成要素」として扱えるモデルこそが、写真家にとって理想的なパートナーとなる。

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ひっそり立つ ヌードモデル

ひっそり立つ ヌードモデル

   闇が静寂をまとい、夜の帳が落ちる頃、一人の女がそっとアトリエに立つ。長い間、誰にも語られることのなかった美の瞬間が、ひっそりと形を持ち始める。彼女の肌は蝋燭の灯に照らされ、淡く輝く大理石のようだ。時代の喧騒から切り離された静寂のなかで、彼女の立ち姿はまるで神殿の柱のごとく、静かに、そして確かに空間を支配する。

 世の中には、華やかに人々の目を奪う美しさと、静かに心の奥を震わせる美しさがある。彼女の存在は後者に属する。彼女はただ立つ。呼吸するように立ち、何の装飾もなく、ただそこにいる。それがすでに、ひとつの芸術なのだ。

 画家は、筆を手に取り、迷いなく輪郭を追う。無駄のない線が紙の上を滑り、やがて彼女の姿を縁取る。しかし、その美しさのすべてを捉えることはできない。なぜなら、彼女の美は、形ではなく、そこに流れる時間のなかにあるのだから。彼女の立つ姿は、絵に描かれるその瞬間だけでなく、その前後の時間とともに生きている。

 古代ギリシャの彫刻家が、神々の姿を石に刻んだように、彼女もまた、時の流れに耐えうる存在となる。しかし、彼女は石ではない。冷たくもなく、固くもない。彼女は、流れ続ける生命そのものだ。あるいは、波のように打ち寄せ、静かに引いていく潮のようなものかもしれない。

 観る者がいようといまいと、彼女は変わらない。多くの者が名声を求め、名を残すことを渇望するなかで、彼女はただひっそりとそこに立つ。彼女の美は誰かに評価されるためのものではなく、ただ存在することで意味を持つ。

 やがて、夜が明け、蝋燭の光が消える。アトリエの扉が開くと、冷たい朝の空気が流れ込む。彼女は何も言わず、静かに服をまとい、闇へと消えていく。彼女は何者なのか、どこから来て、どこへ行くのか。それを知る者は誰もいない。しかし、彼女が立っていたという事実だけは、確かにそこに残る。ひっそりと、けれども確かに、時の奥深くへと刻まれていく。

 美は時として、声高に叫ばれるものではなく、むしろ囁くように語られるものなのだ。

Traveler of Time

人生に意味や目的など考えたこともなく・・

子供のころを思い出してみれば、ただ夢中になって楽しいことばかりをしていたわけで、何かの目的があってしていたことじゃない。 親とか周囲からは、将来のことも考えなきゃ・・みたいなことは言われた覚えはあったが、そんなことはどうでもよく、ただ、気になってくるのは異性のことぐらいで、できれば好かれたいとか‥そんなことは考えていたような気がする。 

人生の意味とか目的を見つけなければならないと思いだしたのは、大学受験のころで、そこでも僕には、将来何がしたいとか何になりたいとかということはなく、当然のように、受けたい学部などというものもなく、親が進める大学に進んだだけ。 大学に入ってからアルバイトに家庭教師というのをやってみたら、受け持った子供の成績がむっちゃ上がって、”行列のできる家庭教師”になってしまって、それがそのまま仕事になって、あっという間に50年経ってしまった・・というの現在の状況・心境なのです。

こうして考えてみると、子供のころから現在に至るまでこれと言った目的などを持ち合わせたこともなく、ただ、好きなことを見つけるとひたすら夢中になってしまうのは今も昔も同じで、例えば、今夢中になっていることで写真を撮ることについても、撮ることが好きだから撮っているだけで、何のために撮っているのかとか、撮影する目的とか意味とかはほとんど考えたこともなく、それは人生についても同じで、その目的や意味などを真剣に考えたことはないような気がする。 

Traveler of Time

深津友成 「Katyusha」

〜IN STORE EXHIBITION AT KITAMURA IN NAKANO〜

カメラのキタムラ 中野サンモール店にて

店内展示をさせていただきます。 

「Katyusha」  

ウクライナからの留学生 Kateryna を撮り始めて約一年  当初 9月には ウクライナへ帰る予定の彼女でしたが、未だロシア軍のウクライナ侵攻が続く中 故郷に帰ることができずに日本に留まっています。 

今回は 出会いからの 日本の四季に合わせての展示となります。

「Katyusha」とは 彼女が幼い頃 お父さんがそう呼んでた彼女のニックネームです。

期間 9月26日(火) 〜 10月27日(金)

展示場所 カメラのキタムラ 中野サンモール店

https://www.phileweb.com/news/d-camera/202308/22/1197.html