
撮影の合間に、「相互の理解」の難しさについて・・色々と話しました。 それも、テーマは「親と子」の関係。

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親は、自分が親であるという「レッテル」をはっている以上、または、世間が勝手にはる「レッテル」をかざしてる以上、子は、子供としての役割を演じるようになる・・ここでも、子は子で「レッテル」に従うことを強いられる。 こんな親子関係は上手くいくはずはない。

子供の「無気力」というのは、概して、親から理解されてないという状況から生まれる。 そんな場合は、先ずは親が親であることの「レッテル」を外すことから始めると良いです。 例えば、父親が息子をハイキングに連れ出す。 父親は、子供に戻って子と一緒にハイキングを楽しめばよい・・そこでも、決して父親を演じてはだめですよ。
親父目線で子供を理解しようとしないで、童心に戻って語り合えばよいです。


「現代人にとって不安は尽きない」
人は、生きていれば不安はつきものであり、
また、尽きることもない。
不安がない人がいれば、それはほとんどアホなんだろうね。
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人類がこうして生き延びてきたことを考えれば、
生物学的にみても、不安があって当たり前で、
なければ、人類はとっくに滅びていたに違いない。
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得体が知れない、ただ漠然とした不安であれば、まだましなのだが、
その不安が具体化すれば恐怖にかわる。
・・・これは困ったことだ。
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安全とかリスク回避などが当然のように語られ始めると
不安であることが”いけないこと”のように思うんだろうね。
生きていれば不安はつきものだ‥と言うことを人は受け入れようとしない。
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犬や猫を見ていれば分るが、警戒心全開でいるでしょ、
リスクを回避できるから、生き残れるんだよね。
人も例外ではないんだよ・・

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