これは普通に思うことだが・・モデルの心意気に応えているだろうか?と思うことはある。 モデルにしてみれば、私の撮影に対するコンセプトに応えているかどうか?と考えることと同じことかもしれない。
このモデルとは、3か月に一度くらいのペースで撮影を続けていく約束をしている。 私は年齢からして、それほど変わりようはないが、モデルのふり幅は想像以上に大きい。 そんな変わっていく姿に立ち会え、それを記録できることは写真家としてはとても恵まれているのかもしれない。
この画像を見て、作品に対する理解が得られないということであれば、それは仕方のないことで、ある一定の人たちに分かればそれで良いと思っている。 ”普通の人たち”の多くは、その行為をどれくらいのお金になったか?で判断することが多い。 写真家としての私は”大赤字”で、その意味では、”普通の人たち”からの”(お金にならないという意味で)存在意義”は薄い。 お金にならないことをやっていること自体に意味を見出せない人たちは多いので。
私にはマネージャー的な役割をしてくれる人がいない・・というか、フランスに著名なキュレイターが付いていたのだが、性格的な問題で私から断ってしまった。 ギャラリーと契約するとか、事務所とのコネクションをもつとか、色々あるのだろうが、年中フランスにいるわけでもなく、ましてや、コロナ禍でもあり、事は進まないでいる。
撮影機材にかかる費用くらいにはなっているが、労働に対する対価は0に等しい。

世の人たち、特に男性は、こういう撮影現場はどうなっているのか?と、とても興味深く思う人がいると思います。 この撮影は、スタジオでのセットですからね、僕がすべて準備してます。 モデルの方はとても清楚で理知的な方、カメラマンの僕は撮影モードに入ればファインダーだけを覗いてるだけの人。 休憩時間は普通に世間話をしてるか、次の撮影準備に入っているか、時には、モデルがカメラとの(抽象的な)距離感をどれくらいに保っていくか、どういう意識をもって撮影に臨むか、、、そんなことを話しながら進めてます。 モデルも写真家も、展示会に使えるような「作品」にしようという気持ちでくくれているので、非日常的な空間を共有してるのだけれど、だからといって、特別なことは何もないのです。 僕の側にはいつも緊張感はありますね、モデルさんも気持ちが入ってるし、張り詰めた空気はあります。 でも、詰まるところは、両者が夢中になって現場(スタジオ)の時空を共有し、とっても楽しめていることです。

人は、生きていれば不安はつきものであり、
また、尽きることもない。
不安がない人がいれば、それはほとんどアホなんだろうね。
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人類がこうして生き延びてきたことを考えれば、
生物学的にみても、不安があって当たり前で、
なければ、人類はとっくに滅びていたに違いない。
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得体が知れない、ただ漠然とした不安であれば、まだましなのだが、
その不安が具体化すれば恐怖にかわる。
・・・これは困ったことだ。
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安全とかリスク回避などが当然のように語られ始めると
不安であることが”いけないこと”のように思うんだろうね。
生きていれば不安はつきものだ‥と言うことを人は受け入れようとしない。
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犬や猫を見ていれば分るが、警戒心全開でいるでしょ、
リスクを回避できるから、生き残れるんだよね。
人も例外ではないんだよ・・
Sting が最もカッコいいのが、アコギ1本での弾き語り。 元々がベーシストなので、ベースラインに魂が込められ、その上にのる不協和音も美しい。