「老人の鬱」という深刻な問題

私の周辺では、「老人の鬱」という深刻な問題を多く見かけます。

彼らの”人生の流れ”から判断すれば、至極当然な”結果”かと気の毒だが思ってしまう。

”仕事人間”が多く、人間関係でも社内や出先での知り合いでしかなく、

友人と思っていた人たちは、退職してしまえば、ただの仕事仲間だった‥

ということで、友人ではなかったことが知る。

そこから、孤独が始まるわけだが、だからといって、

それまで関わらなかった家族に関わろうとすれば、

今更、鬱陶しいと思われるのが関の山で、家族でさえが離れていく・・

そうして、更に孤独は深まり、しまいには鬱となる。

もう一つの問題は・・

先が短いというごく自然な当然な不安にあります。

衰えが年々進行していくという恐れと、死への恐怖なのでしょう。

私のような年金にも入らず、

あと10年は仕事せざるおえない者にとってはむしろ幸運なのかもしれない、

個人事業主なので・・。

私はなんとか働けるまで働き、

それが出来なくなったら、この世を去るとことに決めているので、

鬱になる理由もないし、死への恐怖もない。

彼らは、高度成長期を支えてきた人たちでもあり、

気の毒だとは思いますが、だからといって、彼らに関わる余裕もない。

「デジタルがつくる未来」

「デジタルがつくる未来」

ここで載せてる画像は全てデジタルカメラで撮ってますが、未だにアナログに拘る人たちも多い。 アナログの写真がデジタルのそれよりも”テースト”の点で優れていることは分かってますが。 でも、デジタルだからこそできること便利なことはいくらでもあります。 編集はどうにでもできるし、メモリーで保存することも簡単である。

写真や音楽の話であれば、それぞれに拘りがって良いし、また、拘りがあってこその”領域”なのですが、こと、社会問題に絡んでくる領域であれば、デジタルによる膨大なデータを基にしてやれることはいくらでもある。 教育とか医療とか、福祉や環境の領域まで・・

個人情報をどこかのセクターで集積することは、その情報が漏洩したらどうなるのかとか、デリーケートな問題も多く含んではいるが、その”利便性”を優位に捉える方が社会的貢献度はずっと大きいと思われる。 アメリカとか中国では監視社会を許容・容認してるし、ヨーロッパでは消極的です。 フランスなんかでは、カテゴリーによっては貢献度の方を優先していたりする。 さて、この国・日本ではどうするんでしょうね、

合理化・効率化に関しても、政府が、失業者を多く出しそうな政策をとらないこともあり、先進国の中では最も遅れているのが現状です。

ヒトを撮る でも、そこに写っているのはワタシだよ

ヒトを撮る

普段は見せないその人を撮る

私とその人ととの関わりを撮る

ヒトを撮る

でも、そこに写っているのはワタシだよ

オルタナティブ(alternative)とか属性(attribute, property)

これまでなら、日本語になかった概念を言う場合、

長い言い回しになったりすることがあり、

それを英語で言えば一つの単語済ますことが出来る・・

オルタナティブ(alternative)とか属性(attribute, property)とか

そういう外来語をそのまま使う人は、

物事をシンプルに分かりやすく伝えたいために使っているだけで、

難しいことにしてるわけではありません。

EBPM 引き籠りの子供たちを可視化 

EBPM 引き籠りの子供たちを可視化

グーグルのアルゴリズムが裏に潜む検索機能・・

3ワードくらいで検索するとすれば、見たいサイト・情報に行き着ける。

そのアルゴリズムは日々更新されており、

商用サイトは、ヒット率が高く上位に表示されるための最適化が進められている。

これをネット上では、SEO対策とよんでいる。

15年前くらいだったか、

知り合いに「このアルゴリズムをよんでくれないか?」と頼まれ、

面白そうなので、4000ページあるサイトをつくり、

データを取っていったことを覚えている。

1ページに画像を5枚、テキストを500文字くらいあると

最適化しやすいことも分った。

Googleアドデンスを貼って、どれくらいの収益があるか?も調べた。

最適化するための方法論を数式化したものを送ったが、

誰にも理解されないことも同時に分かった。

21世紀のEBPMと言われるものも、この延長上にあることが分かる。

デジタルで集められた大量のデータを教育や医療でどれくらい生かせるか?

例えば、貧困やイジメで悲惨な状況に追い込まれている引き籠りの子供たちを

可視化できる日も遠くはないでしょう。

誰にもその原因・理由の解らない”謎の30年”

何だか変だなぁ・・と思っていたことがあって。

「日本の空白の30年」というのがあって、

まあ、この国は30年間、ほぼ成長してないわけですね、

GDPが1990年から今日までずっと横ばいを続けている。

この国の潜在力(ポテンシャル)を考えてみれば、

原材料やエネルギーはほとんど輸入に頼っているわけで、

食糧の自給率は50%切ってるし、

資源や食料(農業)に関して言えば、ぜんぜん豊かではないわけです。

GDPも個人所得もそんなに高くなりようがないわけです。

政府の判断(舵取り)が間違っていた‥と言うようなことを

経済学者とか評論家みたいな人たちが盛んに言ってるわけです。

小泉政権下の竹中平蔵あたりから、財政支出をケチったからだとか・・

そして、今もそれが続いているとか・・

データを出しながら、もっともらしく叫んでるのです。

他の国々を見れば、確かにここ30年でGDPは2倍も3倍にも伸びているのですが、

それを、政府の判断(舵取り)が間違っていた‥というのは、

あまりに短絡過ぎて、データの見方も分かってないのじゃないか!と思うわけです。

私がそのデータを見て思うことは・・

日本の潜在力(ポテンシャル)を考慮すれば、

1990年くらいにピークに達していて、

既に”伸びしろ”がなかったのじゃないかな・・と思うのです。

他の国々は、発展のスピードが緩やかだったので、

現在に至っても成長していると考えれば良い・・と。

そもそも、GDPという”概念”は100年前に言われだしたことで、

経済規模の大きさを測る概念で、

その国が戦争したら、どれくらい強そうか・・という指標に過ぎないのです。

GDPを総人口で割れば、個人所得になるのですが、

個人所得が高いことと国民一人1人が幸せであるか・ということは別問題で、

”豊かである”ことと”お金持ちであること”をごっちゃにして考えてますね。

こういう話に反応するのは、50歳以上の方々で、

それは当然ですね、今、30歳の人から見れば、

生まれた時から現在に至るまで、金銭的には豊かになってないわけですし、

・・っで、それが当たり前だと思っているのです・

自分は幸せだと思えること

幸せになることではなくて、

自分は幸せだと思えることだね。

こうして、ここ(ブログ)でわけの分からないこと、

たぶん、それ程、意味のないことをグタグタと喋っていられること、

そのこと自体が、幸せなことなんだよね。

お金とか、名誉とか地位とか、変な承認欲求を求めなければ、

また、自分と他人と比べるようなことをしなければ、

気に入った人と会えて、

ちょっと満足できるような美味しいもの食べて、

何となく、ふんわかできる時間があれば、

それだけで十分なことなんだろうね。