Keith Jarrett  ケルンコンサート

キース・ジャレット本人の演奏はユーチューブでは聴けないので、

彼の演奏に限りなく近く再現されたものを載せている。

私が初めてキースの楽曲と出会ったのは20代前半の頃、

50年前に下北のジャズ喫茶で聴いた。

彼がデビューして間もなくの頃だったと思う。

当時は、ジャズは黒人のもので

それ以外の人種の奏でるものは軽く扱われていた。

当然のように、キースも”白人の若造”が・・という扱いだったと思う。

当時は、クラシック、ジャズ、ロック、ホーク、ポピュラー、歌謡曲、演歌

というようにジャンルがあり、

私のように何でもかんでも聴いてしまう人種は節操がないと

軽蔑されることもしばしばだった。

多くの人たちは、クラシックを育んだ伝統に拘り、

ジャズを生んだ時代背景を文化として受け入れていたようだ。

ロックはいきがったあんちゃんが奏でる騒音であり、

平和を唱えるならホークソングがセットで

歌謡曲は大衆の軽い音楽で、演歌はオヤジ・オバンのもの・・

私が最近よく聴くのは・・ここで載せてる楽曲以外にも・・

桑田、スティング、前川清、チェット・ベイカー、マーラー、ラフマニノフ、

玉置浩二(いかないで)、フォーレ、モーツアルト(レクイエム)、

(若手ギタリスト)Kent、ジャンボ尾崎の「山河」、ウェイン・ショーター、

などなど・・きりがない。 

鏡を使った撮影は想像以上に難しく、期待した以上に面白い

鏡を使った撮影

model : Anri Mone

鏡を使った撮影は想像以上に難しく、また、期待した以上に面白い。 入射角と反射角は、10度ずらせば、合わせて20度ずれる・・当たり前のことが、実体験として慣れるまで時間を有する。 モデルも私も、撮れた画像を確認しながら、創りあげていった。 フォーカスポイントの合わせ方・・実像か鏡の中の虚像か、常に、一人の人物が角度を変えてあたかも別人のように二人となって写り込む。

撮影は当然のこと、編集過程も難易度が高く、画質のキープが課題となる。 初めての撮影状況であったので、ライティングもこれまでの経験値では役に立たない。 Web Gallery とはいえ、失敗や反省の山を築いたのかもしれない。 まぁ、楽しめる画像が数枚あれば、良しとしよぅ・・

美術モデル&撮影モデルの依頼 : Anri Mone [official ] : https://moneanri.wixsite.com/monet/tetsuro-higashi

日本的自然観が時代の潮流になってきた・・

「自然である」ことの定義付け・・西洋と日本の違い。 西洋では、自然は無秩序なものであるから、人間が秩序立てるという考え方をする。 風景画を描くにあたっても、山や木々、海や川などを在りのまま描こうとはしない。 自然までをも(人間様が)秩序立てるという考えが(根底に)存在する。 方や、日本においては、自然自体が尊く美しいものであるから、自然の在りのままを描写しようとしてきた。 意識の根底には、人は自然の一部であり、人さまが介入する余地はないと考えるからなのだろう。 西洋では人間様が最も尊く、自然は時として驚異であり、決して有難いのでものではなく、いかにして自然をコントロール下に治めるか?と考えるようだ。 日本では、自然と人間には分け隔てもなく、優劣なども存在しなかったと思われる。 アートの世界においても、”このような認識”を心得ていないと、真の理解は得られないかもしれない。 

21世紀に至っては、これまでの「自然観」は西洋でも東洋でも変異しつつあり、文化のフローバル化が進み、相互にかなり近いづいた感がある。 ・・というより、東洋的自然観が時代の潮流になってきたようだ。 環境汚染が続き、自然をコントロール下に治めようなどとする”思い上がり”には、終止符を打たないとならないと考えるようになったのだろう。 

アートの世界では、「文化的」と「変態的」とはほぼ同義

上の画像のようなポーズをとるモデルさんとはどんな女性なのだろう? と、想像される方は多いと思いますが、彼女の性癖、趣味、嗜好などは撮影中、話題にすることはないので、ご想像にお任せするしかない。 ・・どちらにしても、アート系の人は変態ばかりなので、何があろうが驚くに値しない。 

アートの世界では、「文化的」と「変態的」とはほぼ同義であり、「普通に健康的な人」と「動物的な人」もほぼ同義と考えている。 性的好奇心ばかりが旺盛な人は、より動物的であり、健康な人なのだろうが、残念ながらアートの世界では「野暮な人」になってしまう。 性的好奇心を超えた向こう側の世界を想像・創造できる人こそが文化的であり、概して”変態的”なのです。 変態と言っても、多種多様ありまして、聴いてびっくり、見てどっきり、知ってまさか!・・の世界です。 変態な人は概して自分が変態であることを自覚してますが、たまには、自覚してない人もいる。 アート(芸術)関係の人は、僕の知る限りでは変態ばかりで、普通なのは僕くらいです。

花魁を単に「性の奴隷」と考えるのは見当違い

上の花魁の衣装は、古着屋で10万で購入した。 原価は250万するらしいが、映像関係の不況もあり、かなり状態の良いものを安価で購入できたと思っている。 桂、屏風、衣装などはすべて本物を使っているが、小物類などは本物だと高くて手が出がないので、安価なもので我慢している。

江戸時代と現在では平均寿命も成熟度もかなり違うので、年齢で比較することは難しい。 当時は、花魁の周囲の雑用をするために貧しい農家などから買われてくるのは10歳前後の女子で、13,14歳位からデビューしたと言われている。 芸事を学びながら教養を高めることが人気のある花魁になるための修行であると考えられていた。 現在の「義務教育」が始められたのが明治初期であるが、日本とイギリスがほぼ同時期であり、世界で最も早かったと言われている。 江戸時代の遊女の世界であっても、教養と芸があることが最も大切であると考えられていたことは、古来からの日本文化の豊かさを妙実に物語っている。 花魁を単に「性の奴隷」と考えるのは見当違いであることが頷ける。 

”仏作って魂入れず” 撮影の難しさ・・

トップダンサーの背中

モデルがポージングするということは、頭のてっぺんから指の先まで(モデルの)意識が行き渡っていないといけない(全身で絵にしないといけない)。 このような意識は、ダンサーや舞踊家は習慣付けられており、苦も無くやってのけるが、全身をトータルで魅せることをやったことのないモデル(被写体)はそうはいかない。 どこかが弛んだり遊んだりしてしまう。

確かに、ハイレベルなダンサーや舞踊家は絵にしやすい。 だからといって、作品にしやすいか?というと必ずしもそうではない。 ”仏作って魂入れず”みたいなことが起こってくる。 視覚的美を追求するならそれでよいが、知的好奇心を(観る者に創造させ)思い起こさせるような作品にするには不十分である(ポージングの良さだけでは、魂は感じられない)。 アートである限り、最後は心意気(魂)で勝負することが望ましい。

ところで、トータルで全身を魅せる心得のないモデルの場合、作品にするまでに時間がかかる。 才能(センス)があるモデルなら、シャッターの切れるポジションを心得るようになり、どんどん絵になり始める。 ポージングに関する既成概念がない分、より個性的かつ独創的になり、素晴らしいアート作品へ結びつく。 このブログで特集する「モデル・被写体」は(現時点において)前者と後者の例は同数くらいになる。

WBC ”間”をよむ面白さは伝わりにく

WBC 僕の寝てる時間帯と被って睡眠不足になりました。

世界的にみればマイナースポーツである野球が、

今回を機会により広く知られるようになったでしょう。

じゃ、野球の面白さがどれくらい伝わったかというと、

かなり疑問がある。

夢中になって魅入っていたのは年齢層が高く、

オジサンたちと一部の大谷ファン。

子供たちにとっては、試合が長すぎるし、

また、選手交代やサインのやり取りなど、

”間”をよむ面白さは伝わりにくい。

娯楽の多様化は進み、

必ずしもメジャーでないといけないと考えることも変だね。

何であれ、一部の根強いファンがいれば良いことだから。

モノ創りの宿命なのでしょう

決勝まで来れると、正直、勝ち負けはどうでもよい

明日のWBC日米戦・・

決勝まで来れると、正直、勝ち負けはどうでもよいと思ってる。

日本選手の戦いぶりを最後まで観られた・・それで十分なのです。

その上、メジャーの選手をたくさん観れる。

大谷が真に望んでいたもの・・を見た

大谷が真に望んでいたもの・・

「シーズン末(9月)にひりひりするような試合をしたい」

・・このコメントは、

所属するエンゼルスが優勝圏外に決まったころのコメント。

その望み(ひりひり感)を今回のWBCの昨日の試合の中に観たような気がした。

二塁ベースでの雄たけびがそれらを何よりも物語っている。

メジャーに行って今年で5年目となるが、

大谷のあのような姿を見ることはこれまでなかった。

彼が現在所属するエンゼルスは、

シーズン後半に入るころには、勝率5割を切り、優勝圏外となる。

そうなれば、シーズン後半は消化試合となり、

いくらホームランを打とうが、素晴らしいピッチングをしても、

自らの記録となることはあっても、野球人としての喜びには繋がらない。

大谷が望んでいることは・・

お金や名誉、記録などではなく、

野球ファンを巻き込んで、心底野球を楽しみたい・・

そのことだけなのだろう。

大谷が真に望んでいたもの・・