女の背中

何を語る「女の背中」

ここまで筋骨隆々とした女性の背中は珍しい。

本人の弁によると「ピアノ弾いていたから・・」ということらしいが、

それだけではこうはならない。

僕にだけには何となく分かるんです、直感的にね。

逞しいが愛おしい背中、

河の流れのように「それも人生ぃ~~」。

Body Painting

Body Painting

人肌の上に「Body Painting」

初めてキャンバスの上に筆を走らせたときの感動を覚えてますか?

筆がちょっと柔らかく沈むような”贅沢”を覚えているでしょう。

ところが、人肌となれば別次元!

場所によって柔らかさが違う、体温を感じる、モデルの息使いも。

その上、平面ではなく立体。

二時間弱で描き終え、すぐに撮影に入る。

のせた絵の具が乾いていけば色あせてぽろぽろと落ち始める。

創作は、スタジオ内でモデルと僕の二人だけ。

筆を使ってるとはいえ、撫でるように全身を筆が走る。

最後はモデルのポージングで決まる。

モデルと僕のコラボレーション。

大切なのは、相互の信頼関係。

ちなみに、絵具は毒性のない子供用を使う。

全くのヌードの状態から描くので、”あそこ”にはバンドエイドが必要。

指にまくような小さなサイズのものでは間に合わないので、

大き目のサイズのものを用意しました。

帰りにモデルさんから一言言われた・・

あれでは大きすぎます! ドキッ! ~。~

差別とまではいかなくとも・・

ヌードを撮っていると、差別とまではいかなくとも、

様々な偏見に晒されることになる。

偏見とか差別がなぜ生まれてくるか?というと・・

人にはそれぞれ「常識という枠」がある。 

その「枠」を鎧(よろい)のようにして我が身を守りながら生きている。

「常識という枠」の外側で起こる事態に遭遇すると、

”非常識だ!”と言って、嫌悪感を抱き、時として攻撃するに至る。

そもそも、「枠」という「くくり」に問題があると言ってよい。

くくって良いのは数学の因数分解だけ・・。

国家、人種、宗教、地域などでくくれていることから、

ほとんどの争いごとが起こっている。

困ったことに、知性レベルが低く単細胞な人ほど、

くくれることによって、より行動的になり、熱狂的にもなりうる。

「お国のため・・」という「くくり」で多くの人命が失われたことは

75年前とはいえ、そんなに昔のことではない。

21世紀になり、明らかに時代は逆行している。

人々は「新たなくくり」を求めるようになってきた。

一国主義、ポピュリズムなどの台頭を止められないようなのだ。

(20世紀後半から始まったグローバリズムの反動もあるのだろう)

11月にはアメリカの大統領選挙がある。

トランプの圧倒的不利が予想されているが、

私はトランプが勝つと思っている(望んでないけど・・)

だからと言って、バイデンでもまずいでしょ・・

本題に戻りましょう・・

画像に限らずビデオなども含めて、

性的好奇心ばかりを煽るものがこの世には溢れているし、

コンビニ行けば、(可愛いでしょ!と媚を売る)ピンク色の雑誌が並ぶ。

造形美などを深く掘り下げた視覚的好奇心へ、また、

ストーリー性、様々な知的好奇心へ導く「作品」も少なからず存在するものの、

世の8割がたの人たちは、それらの区別がつきません。

純粋な目を持った人たちには「アート」であっても、

曇った目を持つ人たちには単に卑猥なものであり、

このように、公開して載せることに批判的なのでしょう。

例え、男性が女性ヌードを撮ろうが、

フォトグラファーにとっては、作品は常に「自画像」です。

女性ヌードをとおして、「自己表現」をしてます。

まともなフォトグラファーが、

性的好奇心ばかりを煽る「自画像」を載せるでしょうか!?

Mother

Mother

私は五人兄弟の末っ子である。

・・であるのに、既に他界したが、母への記憶がないというか、

蘇ってこない。 

母は遠くから見える存在であり、父は主観の中にいる。

墓参りにはしばしば行くが、それは父に会いに行くため・・

私は父の分身である。

醜い自分、恥ずかしい自分

作品というのは、百人に1人とか、千人に1人共感者がいれば

それだけで十分(作者としては)満足できる話で、

まして、ネットが広がることによって、世界中の人の目に晒されるわけで、

千人に1人としても、ネットユーザーが20億人いれば、

この地球上に200万人の共感者がいることになりますね。

僕の作品なんかは、ちょっと偏屈な変わり者にしか伝わらないことも多く、

ネガティブになることもありますが、

それでも、FBだけでも2万人のフォロアーがいます。

これから写真を始めてみようという人がいるなら、

上手な写真を撮ろうとか、他人に褒めてもらおうとか、考えず、

ただひたすら醜く恥ずかしい写真を撮り続けたらよいと思います。

例え、モデルを撮ろうが風景を撮ろうが、作品は「自画像」ですから、

醜い自分、恥ずかしい自分と向き合った方が良いです。

アートの世界では、醜いも美しいもほぼ同じ意味を持ちます。

知っておきたいGoogleの脅威

知っておきたいGoogleの脅威

僕が、ソニーのαシリーズ(カメラ)を検索したとします。

その後、しつこくαシリーズのコマーシャルとαと競合するカメラの

コマーシャルが入り続けます。

それは「検索エンジン」が過去歴を記憶して

マイブームを引き起こしているわけです。

物を買わされることであればよいのですが、

ユーチューブでも同様なことが起こります。

音楽やスポーツであれば”罪”はないのですが、

社会問題や政治や経済の話となれば別問題です。

嫌韓を話題にするニュースを見れば、

それに追い打ちかけてくるようなニュースが次々と表示されるようになる。

そうすると、いつしか極端な思想に洗脳されていくようなことになる。

コロナの対処に関する問題、アメリカの差別の問題、米中対立とか、

良識的なリベラルな人たちの存在が薄れていき、

極論ばかりがまかり通り、激しい対立ばかりが放映される。

そして、また炎上するという悪循環が生じている。

メディアの在り方を論じる前に、

今の世は、”Google帝国の支配下にある”ということを

しっかり知っておきたいです。

  ・・それが分かっているから、中国はGoogleを入れませんでした。