機を逸したコロナ対策

そもそも、昨年の11月ごろに2類から5類にしとけば、今日の状況は回避できました。 今更、ここまで感染拡大してくれば、今はそれが出来ません。 現実問題としては、共稼ぎの夫婦などでは、子供を預かってくれる施設が閉鎖になったりしてます。 仕事が、これ以上休めない状況ですから、非常に困っている状況なのです。 5類にしておけば、濃厚接触の隔離など起こらなかったこと。 

インフルでの死傷者は1000分のⅠ、オミクロン株では1000分の3程度。視聴率を上げようとあおった報道をするメディアでは”3倍の脅威”を発信してますが、10分の一が十分の三になるなら、深刻な問題ですが、分母は1000人ですからね、ほとんど無視してよいレベルと考えられます。  

コロナ担当大臣の対応が遅れをとったと思われがちでですが、それは引き継ぎに3か月くらいの時間がかかるわけで、この非常事態の間は、担当大臣を変更しないで今までのままでやれば、現在のように後手後手に回らずに済んだはずです。 小池都知事と医師会の保身が諸悪の根源となっていることも今度の事態で十分証明されたと思われます。  

久石譲 指揮 ジブリ音楽

久石譲 指揮 ジブリ音楽

こうして、改めて聴くと素晴らしいですね。 僕がこうして載せているのは、紹介するというよりも、ひとえに自分が再度聴きたいためなのです。 久石譲氏のピアノ、素晴らしい!

With or Without You

作品:Hiromi Kawachi  撮影:Tatsuyuki Kodama

ベルギーの合唱団みたいですね。 指揮者のもって行き方が素晴らしいです。

やしき たかじん

「やしき たかじん」 関東の人間が関西の芸人についてコメントするのはおこがましいのですが、「やしき たかじん」の器の大きさには敬服してました。 この人は、自分が会う人、自分の周りで起こること、それら全てを否定することなく逃れることもなく、受け入れていたようなのです。 それら全て背負って生きていこうとする気概みたいなオーラを放ってましたね。 7年前になりますかね、惜しい人を失くしました。 こういう男気全開な人が去っていくの見てると、どうでもいいのばかりが取り残されていくのかな?みたいなこと思うのですね。 

いい歌、歌うので・・

”人並みの孤独”

「素直に戻れる・・そんな場所」 僕のような適当でいい加減な人間にも”人並みの孤独”というのがやって来て、そんなとき、いつも逃げ込む場所がある。 遠い記憶の中から、そして今に至っても、これからも少しづつ姿を変えていくだろうノスタルジックな優美な温もりがあって、この画像のような時空に飲み込まれていく。 ここは、僕が僕らしさを全開できる、そして、素直に戻れる・・そんな場所。

石原慎太郎 ”健全な右翼”を失くしました

僕は”健全な人”が好きです。 

いかなる政治思想があろうが、宗教があろうが、まっとうな人が好きです。 

先日亡くなった石原慎太郎氏はその意味では”健全な右翼”でした。 

なかなか少ないんですよ、健全で右寄りな人。

 

そこで、ちょっと困ったことが起こってくるのですが、

健全な右の人がいなくなると、健全な左の人の”定義付け”が難しくなる。 

”負けて良かった戦争”を語る人たちは、

そもそも生い立ちが”不健全”ですからね、負けて良かったというなら、

信じて戦って命を落とした人たちは救われません。

・・人の尊厳と真摯に向き合ってません。 

左寄りな知識人、平和主義者、環境問題を語りたがる人の多くは、

何重にも良い人を装った鎧を纏ってますからね、見分けにくいのです。 

右左に関係なく、健全な人な人たちもいるのでしょうが、

そもそも、健全な人たちは政治家にはなりたがらないので・・ 

3回目接種はモデルナ

私は先日72歳になった。 

1週間後にはモデルナを接種することに決めている。

1回目、2回目の(ファイザー)接種でも酷い倦怠感が出て、

3回目のモデルナ接種には抵抗はあるが、仕事上、打たざるおえない。 

僕の年になると副反応はほとんどの人がないのに、

何で俺だけなんだろう!倦怠感と熱で寝込みそうだ・・

僕は丈夫だからよいが、

普通の老人とか基礎疾患がある人たちは3回目の接種は止めた方が良いね。 

オミクロンではなく、ワクチンの副反応で”重症”になるかもね。

こういう”本末転倒”というか”矛盾”は世界中で共有してるんだろうね・・

「正しいことを否定することの難しさ」

画像:Shinji Ono 撮影

「正しいことを否定することの難しさ」

正確には、正しい”理念”を否定することがいかに困難であるか!  

ニコライ2世が統治していた頃のロマノフ王朝・・10%程度の貴族・王族・聖職者・経済的に恵まれたブルジョアジーなど、残りの90%はほぼ農民であり、実質的には奴隷同然であったと思われる。 その後、ロマノフ王朝は弱体化し、ロシア革命を経て、マルクス・レーニン主義を掲げるソビエト連邦が成立。 1920年、共産主義国家が生まれ、生産手段を社会化し、人から人への搾取を廃止し、富の格差をなくし、利潤追求ではなく物質的精神的な豊かさを共有する体制がスタートしたとも言える。

当時のロシアにおいては、90%以上は奴隷のごとく扱われていた農民であり、彼らにとっては”ユートピア”だったに違いない。 体制を実践していくためには、個々の自己管理を前提としていたが、それらが機能するには高度な社会的責任感が基盤とならなければならないが、そもそも、現代に至っても、人々にそれらを期待することに無理がある。 理念としては正しいが、その後の(社会が)荒廃していくことを考えれば、体制(ユートピア)を維持してくための”論理”としては間違っていたと言わざるおえない。 それだけでなく、主張を異にする者は片っ端から虐殺され、空前のジェノサイドが行われた(現在、中国のウイグル地区で行われていることと同じ)。 

– Web gallery – Shinji Ono Photography

Based on Japanese culture

Based on Japanese culture 

このブログを見ている方は海外の人も多く、ポチッと押せば、フランス語にも英語にもスペイン語にもなるように設定されてますから、私が日本語を書くときも、主語と述語、目的語、または補語を曖昧にしないような日本語を意識的に使うことを心掛けてます・・翻訳機が上手く変換するように。

ところで、上の画像についてですが・・・二人のヌード・デュオを撮る場合、私はポージングはモデル任せに、自分が撮り易いアングル撮るわけです。 すべては、偶然(自然)から生まれてくる像を捉えようと考えるのですが、大陸(主に西洋)の人たちは、ある種の概念の中に取り込もうとします。 どこまでも、作者自身のコントロール下に治めようとします。 ですから、撮影に臨むモデルの意識も異なり、作者の概念も入り込み、”結果”は根底から、過程も含めて大きく違ってくることになります。 大陸(主に西洋)の人たちは言語化することが得意であり、大抵のことは言語で置き換えられると考え、意識下に置こうと考えるようです。 

私たちは自然があるがままにあることも芸術としますが、彼らは出来れば言語化でき、自然さえも自信が描いた概念の中に秩序立てようとしているようです。 文化の原点が異なれば出来上がる”絵”も違うわけです。