「日本には、我々が認める写真家はいない」

「日本には、我々の認める写真家はいない」と言ったのは、ヨーロッパでも名のあるキュレイター。私がフランスのアルルの写真祭に参加した時のこと。「いない・・」と言ったのは言い過ぎで、彼らも認める写真家は数名いるらしい。

なぜそのような言い方をするのか?私の推測では、世界中のプロと言われる写真家のほとんどは日本製のカメラを使っているのに、その素晴らしいカメラを製造する国で、素晴らしい写真家がほとんどいないのはなぜなのか?・・・ということらしい。

今や、世界中の5割以上の人たちがスマホで(日本も含めて)世界中の写真を見ている。この国では名の知られている写真家の写真でも、彼らはほとんど興味を示さない(・・・実のところ、名の知られない写真家にいい写真家はいるのだが)。

その理由を推測してみる・・・この国には「写真」という特別なジャンルがある。絵画や彫刻、書などとは「芸術」として認知されているが、写真は記録する道具(機械)であるという認識が先にある。芸術ではなく、職人芸と言った方が良いかもしれない。したがって、技量(技術)が優先されることであって、アートとして問われる「本質」は二の次になる。日本〇〇協会などを牛耳っている人たちの多くは、芸術家ではなく技術屋さんなのである(彼ら自身もそのことを認識してるように・・)。

では、芸術家と技術屋さんとは何が違うか? 例えば、富士山の写真を撮って、その素晴らしさ(美しさや雄大さ)を上手に伝えれる写真を撮れる人は技術屋さんである。その写真を観た人は、実際にその富士山を見に行きたいと思うに違いない。その写真に感動しているわけではなく、実際にその富士山を観ればどれほど感動的か!と思ってる。芸術(アート作品)であれば、そこに何が写っていようが関係なく、その画像そのものが感動的なのである。

だからと言って、写真屋さんを軽んじているわけではない。「真実」を伝えるという意味では、その技量の確かさが真に問われいることでもあるから。

他にもいろいろな理由がある・・・写真をアートとして楽しむ文化が根ざしていない。グラビアやアイドル写真は溢れている(「かわいいでしょ!とか、セクシーでしょ?」というような媚びの入ったものばかり)。「アート」と対極にあるのは「媚の入ったもの・・」。

それと、世界が認知するような「写真の展示会」がこの国にはない。フランスには(商業的な色合いが濃いが)パリフォト、作品展としてはアルル。イタリアのトリノ、イギリスではロンドン、アメリカはマイアミのアートバーゼル・・・このあたりが世界のメジャーな展示会である。なぜ、そのような展示会が東京にはないのか?いや、むしろ、京都あたりで開催されればよいように思うのだが・・。

 

 

 

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