
泉龍寺にて・・




「傑作」が生まれるとき、それは必ずしも完璧な構図や美しい光の中にあるとは限らない。むしろ、思いがけない表情、ふとした動き、計算外のタイミングの中にこそ、本物の「生」が写り込む。人間の本質、自然の厳しさ、都市の鼓動――その一端を切り取れたとき、写真はただの記録から「作品」へと変わる。

この世は分からないことばかり・・
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差別とかいうけど、
なぜ、差別するのか分からない
誰かが得をするからだろうか
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僕はずっと女性の方が偉いと思ってきた
でも、最近は考え方が変わって来た
男もそこそこやるからね
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僕は駅の目の前の3階に住んでいる
早朝ともなれば、誰もが駅に向かって急ぎ足に歩いていく
駅に向かってはいるのだろうが、
実のところ、何処に向かっているのだろう
昔、「ゾンビ」という映画を観たが、その図に似ている
怖いよ
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批判することが好きな人がいるね
歴史問題では、やたら反省の弁が多い
そのことが、知的で良心的であると信じている
そんなことはないよ・・
第一、皆が選んだ政治家が行政してるんでしょ
文句ばかり言わないで、少しは応援してやればいいのに
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いつからなのかな、
リベラルであることが怪しく危険なことのように思える
バイデンが勝つと、きっと戦争するよ
というより、戦争するはめになる
強面のトランプだと平和が続きそうだ
どうしてなのか、分からないけど・・
何となく、そんな気がする。

原宿 明治通り



Body Painting
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人肌の上に「Body Painting」
初めてキャンバスの上に筆を走らせたときの感動を覚えてますか?
筆がちょっと柔らかく沈むような”贅沢”を覚えているでしょう。
ところが、人肌となれば別次元!
場所によって柔らかさが違う、体温を感じる、モデルの息使いも。
その上、平面ではなく立体。
二時間弱で描き終え、すぐに撮影に入る。
のせた絵の具が乾いていけば色あせてぽろぽろと落ち始める。
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創作は、スタジオ内でモデルと僕の二人だけ。
筆を使ってるとはいえ、撫でるように全身を筆が走る。
最後はモデルのポージングで決まる。
モデルと僕のコラボレーション。
大切なのは、相互の信頼関係。
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ちなみに、絵具は毒性のない子供用を使う。
全くのヌードの状態から描くので、”あそこ”にはバンドエイドが必要。
指にまくような小さなサイズのものでは間に合わないので、
大き目のサイズのものを用意しました。
帰りにモデルさんから一言言われた・・
あれでは大きすぎます! ドキッ! ~。~

ヌードを撮っていると、差別とまではいかなくとも、
様々な偏見に晒されることになる。
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偏見とか差別がなぜ生まれてくるか?というと・・
人にはそれぞれ「常識という枠」がある。
その「枠」を鎧(よろい)のようにして我が身を守りながら生きている。
「常識という枠」の外側で起こる事態に遭遇すると、
”非常識だ!”と言って、嫌悪感を抱き、時として攻撃するに至る。
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そもそも、「枠」という「くくり」に問題があると言ってよい。
くくって良いのは数学の因数分解だけ・・。
国家、人種、宗教、地域などでくくれていることから、
ほとんどの争いごとが起こっている。
困ったことに、知性レベルが低く単細胞な人ほど、
くくれることによって、より行動的になり、熱狂的にもなりうる。
「お国のため・・」という「くくり」で多くの人命が失われたことは
75年前とはいえ、そんなに昔のことではない。
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21世紀になり、明らかに時代は逆行している。
人々は「新たなくくり」を求めるようになってきた。
一国主義、ポピュリズムなどの台頭を止められないようなのだ。
(20世紀後半から始まったグローバリズムの反動もあるのだろう)
11月にはアメリカの大統領選挙がある。
トランプの圧倒的不利が予想されているが、
私はトランプが勝つと思っている(望んでないけど・・)
だからと言って、バイデンでもまずいでしょ・・
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本題に戻りましょう・・
画像に限らずビデオなども含めて、
性的好奇心ばかりを煽るものがこの世には溢れているし、
コンビニ行けば、(可愛いでしょ!と媚を売る)ピンク色の雑誌が並ぶ。
造形美などを深く掘り下げた視覚的好奇心へ、また、
ストーリー性、様々な知的好奇心へ導く「作品」も少なからず存在するものの、
世の8割がたの人たちは、それらの区別がつきません。
純粋な目を持った人たちには「アート」であっても、
曇った目を持つ人たちには単に卑猥なものであり、
このように、公開して載せることに批判的なのでしょう。
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例え、男性が女性ヌードを撮ろうが、
フォトグラファーにとっては、作品は常に「自画像」です。
女性ヌードをとおして、「自己表現」をしてます。
まともなフォトグラファーが、
性的好奇心ばかりを煽る「自画像」を載せるでしょうか!?