覗き見る、という距離感
撮影をしているとき、ふと、自分が「覗き見ている」ような感覚になることがある。
それは盗み見のような後ろめたさではなく、むしろ、誰かの繊細な時間にそっと触れようとする遠慮に近い。たとえば、ふすまの隙間から、光の漏れる静かな部屋をそっと覗くような——そんな距離感。近づきすぎれば壊れてしまいそうな空気。声をかける代わりに、シャッター音だけがそっと響く。
写真家としての視点には、時に「見せてもらっている」という感覚がある。
表情も、仕草も、何かを演じているようで、ふとした瞬間に素がこぼれる。その一瞬を狙っている自分がいて、でも、それを「撮っていいのか」とためらう自分もいる。だからこそ、カメラを通すことで、ほんのわずかな距離を置いて、そっと覗くようにフレームを切る。それは撮影というより、感情の輪郭をなぞる行為に近い。
表現には、前に出て掴みにいく強さも必要だけれど、僕が惹かれるのは、その逆のような写真だ。
すべてを明るみに出さず、余白を残し、語らずに漂うもの。見えそうで見えない、聞こえそうで聞こえない。そうした曖昧さの中にこそ、人の本質や温度が宿るように思えてならない。そして、それを捉えるには、レンズをただの道具としてではなく、「そっと覗くための窓」として使うしかない。
だから僕は、今日も少し離れたところから、静かにシャッターを切る。
ふすまの隙間から覗くように、誰かの心の風景をそっと覗き込む。その一瞬を記憶に変えるために。
model : kuroneko-koyomi instagram : kuro.neko216
photographer : syuppo
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