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“これが私なの?”
クラリスは目を覚ましたとき、すでに朝の光は彼女の部屋を満たしていた。昨夜はどんな夢を見たのか覚えていない。ただ、体に染みつくような疲労感だけが現実を引き裂いていた。
彼女はベッドから起き上がり、バスルームの鏡の前に立った。鏡の中の自分を見つめる時間が長くなったのはいつからだろうか。顔は確かに彼女自身のものだった。しかし、その表情には何かが欠けているように思えた。40代の初めに差し掛かった肌は、かつての輝きを失い、細かなシワが現れていた。それでも化粧を施せばそれなりに整った顔にはなる。だが、その作業にどれほどの意味があるのか、最近では考えないようにしている。
クラリスは頬に触れた。冷たい感触が彼女の指に伝わる。その瞬間、胸の奥にぽっかりと空いた空洞が広がるのを感じた。それは一種の虚無感だった。鏡の中の自分の姿を見つめれば見つめるほど、自分が誰なのかわからなくなっていく。この顔、この体、この存在。それは本当に彼女自身なのだろうか。

“これが私なの?”
その問いが頭をよぎった。声に出すことはなかったが、鏡の中の彼女はまるで答えを探すかのように彼女を見返してきた。朝の光に照らされた目元は、どこか空虚で、何も語りかけてこない。
クラリスは手を洗うふりをして、その場を離れようとした。しかし、視線はどうしても鏡に引き寄せられる。彼女は理解していた。そこに映るのは、彼女の人生そのものだということを。子供の頃の無邪気な笑顔、20代の頃に抱いた野心、30代で味わった小さな成功と、それ以上に大きかった失望。それらすべてが、この顔に刻まれている。
しかし、彼女の人生に意味があったのだろうか。
若い頃、クラリスは文学を愛していた。フローベール、プルースト、そしてカミュ。それらの作家たちは人生の美しさと無意味さを鋭く描き出していた。彼女は彼らの作品に感動し、自分もまた何かを創造したいという衝動に駆られた。だが、日々の生活に追われ、その夢は次第に遠のいていった。
今の彼女は、平凡な会社員であり、一人暮らしをしている。恋愛はとっくに遠ざかり、友人たちとの交流も減った。休日はネットで買い物をするか、古い映画を観るくらいだ。それ以上のことをする気力も湧かない。
クラリスは再び鏡を見た。そこに映るのは、すべての希望を失った顔だった。目の下のクマは隠しようがなく、口元には不安定な感情が微かに漂っている。だが、それを直視することができない彼女は、ついに鏡から目をそらした。
その日もクラリスは特に何も起こらない一日を過ごした。仕事を終え、帰宅し、ソファに座ってテレビをつけた。心が空っぽであることを紛らわせるために画面の向こうの物語に没頭しようとした。しかし、それも長続きしない。
夜になり、彼女は再びバスルームの鏡の前に立った。朝と同じ顔がそこにあった。ただ、彼女はその顔に微笑みを浮かべた。無理に作った笑顔だったが、それを崩さずに見つめ続けた。
“これでいい。これでいいのよ。”
彼女は小声で自分にそう言い聞かせた。だが、その言葉は鏡に反射し、すぐに消えていった。
その夜、クラリスは眠りにつきながら考えた。明日もまた同じ日がやってくるのだろう。鏡の中の彼女は変わらないだろう。だが、どこかで何かが変わるかもしれない。その希望がわずかに残っているうちは、まだ生きていられる。
クラリスは目を閉じた。そして、鏡の中の自分と向き合うことを明日まで先延ばしにした。
