
「月光がセーヌを銀色に染めていた」
その夜、パリの空は一片の雲もなく、月光がセーヌ川を銀色に染めていた。街の喧騒は次第に静まり、石畳の道には影が寄り添うように落ちていた。
モンマルトルの丘に佇む一軒の古びたアトリエ。その中で一人の若い画家、エリオットがキャンバスと向き合っていた。彼の前には描きかけの肖像画があり、その瞳には言葉にならない哀愁が宿っていた。その絵は彼が心から愛した女性、マドレーヌのものであった。彼女は薄紅のバラのように気高く、美しいが、その姿は今や彼の記憶の中にしか存在しなかった。
二年前の冬のことだった。エリオットはマドレーヌと出会った。彼女は孤児で、貧しい生活を送りながらも、本を愛し、詩を愛し、音楽を愛していた。その繊細な感性は、エリオットの粗削りな心を柔らかく包み込んだ。彼は彼女のために絵を描き、彼女は彼に詩を綴った。二人は互いに刺激を与えながら、夢を語り合った。
しかし、幸福は儚かった。マドレーヌは重い病に倒れ、短い春のように彼の前から消えた。彼女のいない日々はエリオットにとって、色を失った世界そのものであった。彼女の存在は消えても、彼の中には彼女の声や香り、そして彼女の言葉が鮮明に残っていた。
その夜、エリオットは筆を止めた。月光が窓から差し込み、彼の描きかけのキャンバスを静かに照らした。その光景はまるで、マドレーヌがそこにいるかのようだった。彼は机の引き出しから古い手紙を取り出した。それは、マドレーヌが病床で彼に書いた最後の手紙だった。
手紙にはこう書かれていた。
エリオット、
この手紙があなたの手に届くとき、私はもうこの世にはいないでしょう。でも、どうか悲しまないで。私たちが共に過ごした時間は永遠のものです。
私はあなたの中に生き続けます。あなたが描く絵に、あなたが見る風景に、あなたが聴く音楽に。私たちの愛は、どんな形にも変わって、あなたのそばに寄り添います。
あなたの絵が、誰かの心を震わせることを願っています。あなたの手には、その力がある。どうかそれを忘れないで。
愛を込めて、
マドレーヌ

涙がエリオットの頬を伝い、手紙の文字が滲んだ。しかし、彼はその瞬間、絵を完成させる決意を新たにした。彼の手は自信に満ちて動き、筆先はまるで新たな命を吹き込むように、キャンバスに色を重ねていった。
翌朝、完成した肖像画を前に、エリオットは深く息を吐いた。マドレーヌの瞳が再び彼に語りかけているように感じた。彼はその絵をアトリエの窓辺に飾り、外を行き交う人々に見せた。見る者すべてが、その絵の中に宿る繊細な美しさに息を呑んだ。
それから何年も経ち、エリオットの名はパリ中に知れ渡った。しかし、彼の心の中で最も大切な観客は、いつもマドレーヌだった。彼の筆の動きには、彼女への想いが宿り続け、その繊細さと洗練さが人々の心を掴んで離さなかった。
そして彼は生涯をかけて描き続けた。その全ての作品には、月光のように柔らかで儚い、しかし決して消えない愛が刻み込まれていた。
フォトエッセイ 「これが私なの?」鏡の前で身を晒した・・