書家:河内裕美
書家:河内裕美 撮影:小玉龍幸
・
書家としてよいのか、アーティストとすればよいのか・・河内裕美さん。
彼女の鬼気迫る姿を見事に撮影する小玉龍幸さん。
記録するという意味で、写真の威力を示したショット。
被写体と撮り手があって、成り立つ瞬間。
・
最近の彼女の(写真から見る)姿は、キレキレの域に達してる。
「書」に関しては詳しくは分からないけど、
アートとしてみれば、その凄みは十分すぎるほど感じ取れる。
凄い人を見ると、本当に嬉しくなる!
ロシアンルーレット
ロシアンルーレット Russian roulette
・
リボルバー式拳銃に一発だけ弾を込め、弾倉を回転させて弾の位置を分からなくしたのち、相互に自分の頭に向けて引き金を引く、死を賭けた遊び。
リボルバーは6発玉が込められるので、1回引き金をを引くごとに
死の確率は6分のⅠ。
もっと、確率は低いのだろうが、今回の事態は私にとって、
まさしくロシアンルーレット。
・
<コラム> Syoudou Sawaguchi
いま私たちは必ず世界史、日本史に残る劇的な状況の中で、こうして生きているわけです。 人類の歴史の中で何回かこういう大感染があったことは記録されているけれど、いま私たちはそういう過去の記録の中ではなく、現実にこうして日々生きているわけで、これって凄いことだと思うんですよね。 誰もが望んだわけではないけれど、否応なくこのような状況のただ中に放り込まれて、一人一人の事情は様々で、しかし、生まれてきたからには必ず死ぬのはこの世の定め、摂理なのですから、どんな死に方をするにせよ、必ず死ぬことに例外のある訳はなく、ただ願わくは苦しい死に方はしたくはないと思うけれど、それだってどうなるのかは誰にもわからない。
毎日、コロナによる感染者の死亡が報じられていて、でも、コロナでない死亡者も毎日たくさんいるわけで、そのことは何も報じられない。そう、ことさらマスコミを使ってまで知らせる必要のない当たり前の事実だからです。 世界史に残る劇的な状況の中で、普通に死んでいくたくさんの人たちこそが、今は願わしい一つの在り方になっている、ということが浮き彫りになってきているわけです。
これまでの世界的大感染の後には、すぐにではなくとも、それまでの常識となって、人々を規制していた大きな理念や世界観が否応なく変わっていった、と言われています。 きっと今度のこのパンデミックの後にも、そういう大転換が起きる前触れのような事柄が、私たちにも感じられれてくることでしょう。 いわば私たちは自分の意志とは関わりなく、何かある大きな力によって、この大感染に立ち会うようにと選ばれてしまった存在なのだと思います。 冷静に観察していきたいものです。
Takako Ugachi
Takako Ugachi
・
僕は、Galerie#1317に届いた作品は「実物」をすべて見ているので、
その感想を・・
・
Takako Ugachi さんの作品を観て、率直な感想を記したいと思います。
僕は、日本の写真協会の人たちがどのような人たちなのか?
また、その中でTakako Ugachi さんがどのように評価されているのか?
どのような立ち位置なのか?分からないので、見当違いなことを
言っている可能性はあります。
・
率直な感想・・・日本の写真協会の人たちのほとんどは、
彼女の凄さを分かってないんじゃない?と、危惧してしまいます。
・
理由・・・従来の写真家の多くは色彩に疎い。
カメラは、元々はメカなので、モノクロでアナログなので、
暗室でどうのこうのと・・写真家というよりも技術屋さんが多い。
いかに記録するか?ということで、アートとは縁の薄い人たちの集まり?
モノクロに拘った変にストイックな人たちとか、哲学的になっちゃう人とか、
特に年配の人たちには、”楽しんでる感”が感じられない。
・
Takako Ugachi さんは従来の写真家の範疇を超えた
(芸術家というより)アーティストなのです。
彼女は”色彩の写真家”なので、
彼女の色彩の奥行まで踏み込んで観れる写真家(評論家)は
かなり少ないと思われる。
また、彼女の狂気じみた(時には、変態的な)な美意識を
心地よく受け止める写真家(評論家)もほぼほぼいない。
その地域(日本)で抜きんでた人は、本来あるべき評価を得られない。
理解者が極端に少ない。
・
写真の世界では、日本はある地域・ローカルでしかない。
なぜなのか?という一番の理由は、
写真家を育てるという社会的(文化的)フォローがない。
メーカー主体の展示会など観に行く気がしないのは、
アートとは程遠い、カメラの性能ばかり競う展示会になっているからね。
・
海外で勝負した方が良いと思う。
Takako Ugachi さんには彼女でしか持ちえない誰とも違う感性が確実にある。
個性が際立った人でないと、海外では通用しない。
(ちなみに、パクリ上手が通用するのは、ローカルなエリアまで)
・
実物を観て、少し気になったのが、
出力を少し明るく出した方が良いように思う。
観る場所の状況によって違うので何とも言えないけど・・
・
(注)色彩の写真家と言ったのは・・・色のトーンまで整えて
作品に出来る写真家は(このエリアには)ほとんどいない。
カメラというのは、(着物を羽織った人物を撮ると)
物理的にしっかり写し込んでしまうので、色がハチャメチャになってしまう。
風景写真でも同様なことが起こってますが、
自然のままを写し込んだということで、
人はそのハチャメチャさを許してしまう。(僕は許しませんが・・笑)
(紅葉なんて、そのまま撮ったら、目が痛くなって、見てられないよ)
・
この国では、あるがままの自然も芸術としてますが、
西洋では、絵・作品にするには、
自然は無秩序なので、アーティストが秩序立てると考えます。
日本人の描く風景画と西洋の人たちが描く風景画は捉え方が違うんです。
・・一般的な話ですが。
この国では、有難い自然という考え方がベースにありますが、
西洋の人たちにとって、自然は驚異(冬には、-10℃)なので、
対峙する自然であり、無秩序な自然なのだから、
秩序立てる(奢り?だと思うが)という考え方をします。
アートというのは、人工的な人の手を加えたもの・・という意味があって、
彼らの中には「自然に生かされる人間」という概念がない。
アニメが特に西洋で受けるのは、
日本の「自然と人間の在り方」がクールだからです。
不安は尽きないけど・

不安は尽きないけど、気楽にやるかなぁ~
これからは、ニュースや報道から少し距離を置くこと。
ついつい気になっちゃう・・東京で、今日、何人感染したかな?とか。
視聴者の心配が報道に向かう、それに応えようと報道が危機感を煽る。
煽られれば視聴者の不安はつのる・・相互で危機感で炎上してるよう・・
方や、人通りのないところでジョギングなどしながら、平静を装っているのか、
クールなのか、普通を通しておられる方もいる。
・
新型コロナに関しては、薬が確立してないことがまずいことで、
ウイルス性感染者は、今年は例年になく少ないということ。
例年なら、季節性インフル感染者は1500万人、死者3000人。
今年はこれまで、インフル・コロナを含めて感染者は数十万人?
死者は、数百人?ってところじゃないかな。
感染者では二桁、死者では一桁少ない。
連休を過ぎれば、薬も出てきそうだし、
地域によって差はあるだろうが、学校に通い始めればよいし、
仕事もどんどん始めればよい。
一番深刻なのは、失業による様々な貧困、家賃が払えないとか、
ネットカフェで寝泊まりしていた人たちが泊る場所を無くしたり、
今までぎりぎりでやってきた人たちが、どうにもこうにもいかなくなること。
その人たちの衣食住を確保し、支援金が渡るようにすること、それが一番。
暴論、極論、そして正論
過って、経験したことのない・・

マスコミは騒ぎ過ぎじゃないの?
危機を煽り過ぎのように感じる(視聴率が上がるからかな・・)。
例年、僕ら高齢者にとっては、一年間に1%の危機がある(病に因る)
今回の危機も、感染によって命を落とす可能性は1%くらいある。
これから一年は、合わせて2%のリスクがあるということ。
・
僕がなぜこのように考えるかというと・・
人間にとって一番のリスクはストレスなのです。
長丁場になるからね、1年になるか2年はかかるか・・
半端ないストレスを強いられる。
僕も感染しないように、また、感染した際はうつさないように
万全をきします。
敵が見えれば対処のしようもあるが、
見えないのでは対処のしようがない。
僕は、”引き籠り”には慣れているので、それ程のストレスはありませんが、
”普通に生きてる人たち”にとっては、かなりきついことになりそぅ・・
ペンキ塗りたて・・
「力感」
「力感」
・
この画像で気に入っているのは、
バストからお腹、下腹部にかけての「力感」。
肉体の持つエネルギー、
それを狙って撮ったわけではないが。







