「手業」への信仰と芸術観の違い

「手業」への信仰と芸術観の違い

日本において「芸術=時間と手間をかけて作られたもの」という価値観が根強いことも、写真と絵画の分離を促す一因になっている。絵画は、画家が筆を持ち、構想し、時間をかけてキャンバスに表現する行為であるのに対し、写真は「カメラのシャッターを切るだけ」という印象を持たれやすい。

もちろん、実際の写真制作は、構図、光、被写体、ポストプロセスなど多くの判断と技術が必要であり、単なる「一瞬の記録」ではない。しかし、その創作過程が視覚的にわかりづらく、また「機械によって生まれるもの」として誤解されやすいため、日本においては「労力が見えにくい=芸術性が低い」という無意識の評価がつきまとう。

これに対し、ヨーロッパでは近代以降の芸術思想において、「手業の有無」よりも「コンセプト」や「表現の新しさ」が重視されるようになった。マルセル・デュシャンが便器をアートにしたように、「何を表現するか」「それが時代や社会とどう対峙しているか」が重要視される。こうした思想は現代アートの根底にあり、写真もその文脈の中で当然のように「芸術」として受け入れられる。

この「芸術の基準」の違いが、写真の扱われ方に大きく影響している。

写真と絵画──日本と欧州における「アート観」の違いについて 

日本において、写真と絵画はしばしば「別のジャンル」として明確に区別されている。美術展においても、「油絵・日本画」「写真展」といったように展示そのものがジャンルごとに分けられ、また教育や批評の場面でもそれらは異なる系統として扱われがちである。対して、欧州──特にアート市場や美術館文化の根付いたEU諸国では、写真と絵画を「別のジャンル」としてのみならず、共に「アート」として並列に捉え、同じ美術的価値の土俵に置く傾向がある。

こうした違いは、単なる文化の差異というよりも、それぞれの地域における美術史・教育・社会的価値観の蓄積に起因するものだと考えられる。本稿では、その背景を歴史的・文化的な視点から考察し、なぜ日本では写真と絵画が明確に区別されやすく、欧州ではより統合的なアートとして認識されるのかを論じていきたい。 

「お尻に目が行くとき」

「お尻に目が行くとき」

西洋美術史の中でも、女性の背面像は繰り返し描かれてきた。ティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』、ルーベンスの豊満な裸婦たち、近代ではエゴン・シーレの挑発的な後ろ姿。そこにあるのはエロティシズムだけではなく、生命感と存在のリアルが混じり合った「人間のフォルム」だ。

日常の視線でも似たような瞬間がある。例えば、街中で偶然すれ違った人の後ろ姿に、何か惹かれて振り返りそうになることがある。別にいやらしさを求めているわけではない。けれど、形、リズム、重心、そのすべてに「人間らしさ」が凝縮されているとき、視線は抗えない。

そして私は、自分が見ているのが「お尻そのもの」ではなく、その奥にある「フォルムと存在の魅力」だということに気づく。女性の身体に対する敬意、美しさへの素直な感動。芸術がそれを許すのなら、日常の中でも私たちはもっと素直に、人間の形を愛していいのかもしれない。

もちろん、視線には責任が伴う。無自覚なまなざしは暴力にもなり得る。しかし、見つめるという行為が、理解や感動の入り口であるのもまた事実だ。芸術に学ぶなら、「見ること」はもっと誠実であっていい。

お尻に目が行くとき、それは「美しさに出会った瞬間」なのかもしれない。そしてその視線が、単なる欲望で終わらず、理解と感謝へつながっていくのなら――私たちは、もっと自由に、もっと深く、「見る」ことができるのではないだろうか。

終末のイメージと向き合う

終末のイメージと向き合う

「このような悲惨な終末的なイメージを受け入れることができる人は、達観した精神を持ち合わせる人か、心底、楽観的な人かもしれない……」と、ふと思った。

しかし、そう考えた次の瞬間、むしろこう思わずにはいられなかった。
本当は、そういう人たちは、すでに何かを諦めてしまっているのではないかと。

凱旋門賞 イングランド生まれのディープインパクトの孫娘

10月5日(日)、フランスで開催される凱旋門賞について

私は、スピードシンボリが現役だった頃からの競馬ファンです。
日本馬が凱旋門賞に挑戦し続けて、もう50年近くになりますが、いまだに勝利を手にしていません。

ですが、今年こそチャンスかもしれません。

有力な3歳馬が出走予定で、斤量面で大きなアドバンテージがあります。
加えて、好天が続いており、馬場状態も良好。
時計が出やすいコンディションになりそうです。

私の記憶では、日本馬のこれまでの最高成績は2着が3回、3着が1回。
やはり大きな壁となっているのが、開催地ロンシャン競馬場の馬場状態です。

日本の芝コースと比べると、ロンシャンの馬場は非常にソフトで、力のいるタフなコンディション。
しかも高低差があり、時計のかかる展開になりがちです。

日本の芝はというと、気候の影響もあって芝の根が浅く、馬場は全体的に硬めでスピード決着になりやすい。
一方、ロンシャンのようなヨーロッパの馬場は、緯度が高く寒いため芝の根が深く、地面は柔らかく長めの芝が特徴です。
パリの公園を歩くと、足元からその違いがよく分かります。

今年はイングランド生まれ、ディープインパクトの孫娘も出走予定とのこと。
どんな走りを見せてくれるのか、今から楽しみでなりません。