幻影のように・・

幻影のごとく

あの人の姿もまた

胸の内に現れては消える。


話すことも

触れることも

もう叶わない。


けれど

その面影にそっと語りかけるように

今日も私は歩き続ける。

Artist model : Un Ballo in Maschera

彼女は静かに、けれど確かに輝いている

やわらかな朝の光のように
彼女は静かに、けれど確かに輝いている

鏡が映すのは ただの輪郭ではない
内に燃ゆる ひそやかな炎
優しさ、凛とした意志、
涙を知ってなお笑う強さ

薔薇の香りのように
語らずとも伝わる品格が
彼女の歩みに宿っている

飾ることより 咲かせること
外の光に頼らずとも
心に澄む泉が その瞳を潤す

彼女は静かに、けれど確かに輝いている

「廃棄」から免れた「私の作品」

仙川駅から1分に位置するPOSTO(アートスペース)がありまして、その出入り口に野ざらし状態で(廃棄同然に)積み上げられた額や画材の中から、奇跡的に”救出”された私の作品が出てきて・・額装してくださった「むとうしょうへい」氏、そして、展示させていただいたPOSTOのオーナーでもある田中東朗氏にも心より感謝!

サイズ:100センチ×60センチ 木炭画 2002年作

「モノとは向き合えても、人とは向き合えない」

塾長歴50年

これまで、いろいろな生徒と向き合ってきました。

最近特に気になる”テーマ”として、

「モノとは向き合えても、人とは向き合えない」

そんな子が増えてきてます。

スマホを与えられてる子供に限られますが、

ゲーム、SNS、さまざまなインテーネットの普及から

不登校など、現実の人間関係をキャンセルした子供でも

”外の世界”とのコンタクトをとり続けることは可能です。

スマホのない時代ならば、

ひとり引き籠り、病んでしまう事態に陥りますが、

それらを避けることができます。

・・・これまでなら、深く病んでしまい、精神科へ入院せざるおえない状況へ追い込まれた子供たちを多く見てきましたが、スマホの普及とともに、”外の世界とのコンタクト”を維持することができ、孤独を回避できるため、最悪の事態(入院)には至らないですむケースが増えてきたように感じてます。

・・ですから、”危ないな・・”と見える子には、(親に)スマホを買ってあげてください・・と助言するようにしてきました。

っで、何が起こるか?と言えば、

その子は引き籠りは続けますが、病むところまでは行かないですむんです。

ゲームにハマる男の子であれば、(ゲームは競技なので)会ったことのない年上の人たちと出会えることになります。そこでは、当然、ライン上とはいえコミュが成り立つわけで、孤独に陥ることを回避できることになります。

でも、よく考えてみれば、

ミクシーやFBで知り合った人とあたかも旧友とのように待ち合わせ、

その後も、友人になるような経験をしてきてます。

ですから、ゲームで知り合った人と(これまで引き籠っていた子が)外で待ち合せる‥なんてこともあるそうですから、何がきっかけとなって、(引き籠っていた子が)改善に向かって行くのか・・予想だにしなかったことも起こります。

出会い系アプリで交際が始まるケースも同様なのでしょう。

モノ(デジタル媒体)の助けをかりて人との出会いがあれば、(仕事仲間などの)周りに気遣うこともなく、より深いコミュを見つけていけるのでしょう。 

「モノとは向き合えても、人とは向き合えない」

「生きること・・」

Artist model : Lilith

「晩年を迎えた私が伝えたいこと・・」

あと十数年もすれば、私はこの世界から姿を消している。
どんなに大切に思った人も、どんなに頑張って築いたものも、時の流れと共に、やがて静かに風化していく。 そして世界は、何事もなかったかのように、今日も変わらず回り続けるのだ。

そんなことをふと思ったとき、「じゃあ、今って何なのだろう」と自分に問いかけたくなる。 けれど、だからこそ思う。 この一瞬が、私たちにとってどれほどかけがえのないものか。 「いま」をどう生きるか。

自分の心に、もっと正直に生きていい。
「私なんて……」と、自分を小さく扱わなくていい。
あなたがそこにいたことで、救われた誰かがいて、光を受け取った人がきっといる。
存在してくれたこと自体が、もうすでに誰かにとっての希望だった。

これからは、「こうありたい」「こう生きたい」という、あなた自身の想いを大切にしてほしい。誰かの期待や評価に縛られるよりも、自分が本当に望む時間を選んで生きよう。
もう諦めたと思っていた夢や、置き去りにしてしまった情熱だって、今からでも取り戻せる。過去はもう変えられないけれど、これからの時間は、あなたの手の中にある。

心が喜ぶことを選び、魂が導く方向へ歩いていこう。
それが、「生きる」ことなのだと思う。