落合陽一氏の(オブジェ)作品

落合陽一氏の(オブジェ)作品

落合陽一氏に関してはあらためて説明することはないと思うので、

どのような人なのかは省きます。

このオブジェはもちろん、オブジェを撮影されたのも落合氏自身と思われます。

この画像に関する印象は・・

一見すると肝心なオブジェが薄暗くて見えにくいな・・と思いましたが、

自然と作品との(在り方)関連性を如実に物語っているようで興味深い。

普通の写真家なら、対象となるオブジェの写り込みを優先し、

背景となる自然は白飛びするような画像になるでしょう。

背景となる自然の存在を損なうことなく、

作品を見せている氏の哲学(美学)に共感を覚えます。

Koray Erkaya 氏の作品

作品:Koray Erkaya

これ程までに衝撃的で美しい「作品」を観たことはありませんでした。

この作品に出合ったのは2015年に参加した International photo expo 2015 。

ここに何が写っているか?ということよりも、

見た瞬間、その美しさに圧倒されることになります。

処理水137万㎥ 1辺が110mの立方体の器に収まる量

福島第一原子力発電所で発生した汚染水を多核種除去設備(ALPS)等で浄化した処理水および未処理水は137万㎥と言われてます。 137万㎥という量がどれくらいか?というと、(私の計算では)1辺が110mの立方体の器に収まる量です。 地中にその大きさの器を造って処理水を(とりあえず)保存しておけばよいと思うのですが・・素人考えですが。

「ヌードこそ、埋もれた言語」

「ヌードは埋もれた言語」

これからの時代を生きていくには、日本語は当然として、英語、プログラム言語、会計学が必須だと言われる。 ところで、ヌードこそが埋もれてしまった言語であり、普段は認識することはないが、普遍性を伴い、誰もが無意識のうちに磨き上げてきた言語ではないでしょうか。 このブログをご覧になる方々が、どれくらい磨き上げてこられたか?が問われるような撮影になっていると良いですね・・・

Nude Art Duo

昨日は・・

駅の上に位置するショッピングセンターがあって、

そこの屋上は、草木を植えこんだ小さな公園仕立てになっていて、

日が沈んだころ、ユーチューブを聴きながら、ベンチに座っていたのですが。

そこに女子高校生らしき二人がやってきて、

斜め向こうに位置するベンチに二人が仲良さそうに寄り添って・・

そうこうしているうちに、けっこう激しく抱き合いだして。

昨日は曇りで月の光もなく、ほとんど見えない状況でしたが、

「ほ~、そうなんだ」と妙に納得しながら、見て見ないふりしてたのですが。

これが、男の子同士なら、僕からはどんな風に見えちゃうんだろぅ・・ね。

世界は”場外乱闘”の様相と化し・・

ウクライナへの”無駄?な支援”

「ウクライナへの支援」

これまで、懸命に支援してきたポーランドは”拒否”しましたね・・

この件の背景は知られていなようなので、私の記憶してる範囲で記しておきます。

20年くらい前でしょうか、

日本からウクライナへODA(無償支援)として100億円以上のお金を入れたわけですが、そのお金がその後どのように生かされたかを調査したわけですが、ほとんど使われた(生かされた)形跡はなく、追及したところ、政府関係者の袖の下に入っていたことが分かったのですが・・ウクライナという国はそういうお国柄なのです。

ですから、「西欧諸国から支援疲れ・・」が伝えられてますが、支援しても戦費として生かされるお金は限られており、無駄な支援はやめよぅ!ということになり始めてます・・これが実体です。

時空の旅へ

このモデルには家族があり、”現実”はあるのだろうが、

心はそこにあらず・・

その旅の途中に偶然立ち寄ったのが僕のスタジオなのだろぅ

大義ばかりが先行して、実体が付いてこない・・

僕はそれほど上手な写真家ではないので、偉そうなことは言えませんが・・

これから写真家になろうと思う方がいたら、ちょっとしたヒントみたいなものはあります。 芸術分野においては、”大義”みたいなものを掲げたがりますが、結果として”実体”のないものになってしまいがちです。 大儀って、何を何のためにどのような過程を経て得られるか?みたいなことですが、わけの分からない得体のしれないものに振り回され、空中分解して終わってしまうというか、結果として無駄な時間を費やしたことにしかならないと思うんです。

人物でヌードを撮りたいなら、ヌードを見たいから‥という程度の”動機”があれば十分で、夢中になってひっしゃ気になって撮り続け編集し続ければ、少しづつ実体に迫ってくるかもしれません。 運が良ければ世間に認知されるような写真家になれるかもしれません。 

そこそこ、成功?してる写真家があれこれ言いますが、実体にありついた人たちの後付けなので、それらを真に受けて参考にしようなどとは考えない方が良いです。 ”芸事”は我が道を行くんだ!というような開き直りもありだと思ってます。 また、自分の作品の在りようが時代にマッチしてるかどうか・・という意味で、運はつきものです。

”大義”ばかりが先行して”実体”が付いてこない・・

ヌードでの撮影 向き不向き

ヌードでの撮影には向き不向きがあります。

これは経験的に普段から感じてることですが・・

女性らしい女性をとることは非常に難しい。

自分がどのように写り込んでいるのか?をとても気にします。

・・ということは、写真家任せにしてくれないのです。

展示作品のセレクトも自分がチェックしないと許可しないとか・・

いろいろと”合意”できずに、撮った写真がすべてボツになるとか。

根が男っぽい女性はとても撮りやすい。。というか、

撮影現場を共有しやすいです。

すべてを写真家任せにしてもらえるので、撮影中もセレクトもしやすいです。

妖艶さを極めているモデルとか、繊細さを見事に創り出すモデルとか、

彼女らほとんどが、男っぽく、さっぱりした性格してます。

僕が単にさっぱりした性格の女性と相性が良いのかもしれませんが。

上に載せてる画像のモデルは、(例外的に)女性っぽい感じのモデルですかね・・

ヌード 写り込み ”女性をやってるキャリア”

”女性をやってるキャリア”というものがあって、

それって、年齢じゃないんです。

三十歳を超えても二十歳くらいの人もいれば、

既に、百年以上女性やってるんじゃない?と思われるモデルもいます。

女性であるという意識の程度の違いもあるのでしょうが、

”密度の差”みたいなものを感じます。