fragrant flowers

古代ギリシャのような時代がやってくると考えている。

全人口の3分の1は(労働力としての)奴隷が社会・経済を支え、

聖職者、貴族、市民、兵士は直接民主政治に参加していた。

(高度経済成長期にあった)いかにして生きるか?ではなく、

何のために生きるか?が問われる時代がすぐそこまで来ているように思う。

 

労働のほとんどはロボット・AIが担い、人は人生をいかに生きるか?

余暇をどのように過ごすか?により多くの時間を持てるようになる。

ロボット・AIが雇用を奪うのではなく、新たなサービス業に人の雇用があてられる。

「勝ち組・負け組」という構図は、1980~2010年位までで、

2020年以降はこれまでの「勝ち組」と言われる人たちはいなくなる。

なぜなら、企業の中枢を担う勝ち組と言われる人たちの仕事が

AIに取って替わると思われるから。

 

ところで、この画像について・・・

自分の中の新たな美意識の結晶を垣間見ることが出来たように思える。

大きな節目となる「作品」になっていると良いのですが・・

 

 

What’s a photograph for me ?

写真って何なんだろう? という、疑問の前に、

この写真がどのようにして撮られたか?を説明します。

 

画面の周囲にはぼやけた大き目の点のようなものが写り込んでます。

被写体とカメラの間に模様を描いた薄いアクリル板を起き

そのアクリル板を透して撮影してます。

被写体とカメラの間のどのあたりにアクリル板を置くか?

によって、また、レンズを何ミリにするかによって、

写り込み方はかなり色々です。

 

どのように写り込むか?は観てのとおりですが、

欠点は、アクリルというかなり透明度の良くない、

ともすれば、画像が歪むこともあり得ます。

反射光が写り込まないような限定的な照明になります。

 

それと、これは編集過程における問題ですが、

かなり荒っぽい手法を用いてますから、

大きめの画像に出力した場合の画質に問題が生じそうです。

 

” What’s a photograph for me ? ”

だいたい、このような疑問を持つときはスランプなんだろうと思う。

写真を始めたのが、2012年くらいから・・

2014~2016年位までは夢中でやれたので調子が良く、

その後は、ずっとスランプが続いているように思う。

「作品にしなければならない・・」というプレッシャーなのか、

撮影自体を楽しめてない。

ネット上では、世界中に強者の写真家を多く見るが、

彼ら彼女らと競うつもりもなければ、参考にしようとも思わない。

(自己表現である限り、他者と比較しても意味がない。

それでも、作品の素晴らしさにある種の嫉妬を覚えることはよくある)

ただ、ひたすら、「自分に見えている写真」を撮りたいだけなのに、

それが実現しないし、形にならない。

 

” 自分が思い描く写真 ”  が実現できれば、必ず評価は得られると信じている。

試行錯誤を限りなく繰り返す・・

” 僕の描く世界 ” は、このまま” 迷宮入り” してしまうのだろうか。