ギャラリーで撮影

ギャラリーで撮影

連休が明けても、土曜、日曜、祭日はギャラリーは開けてます。

14:00~18:00

ギャラリーを閉めた後のワンショット。

既に2度も来ていただいた方、

僕のファンだと言って、自転車で来られた方、

告知を知って尋ねて来られた方、

それから、近所を通りがかったからという方々。

散歩に出ても行く当てのない方々に寄ってもらったら?

との思いで、近所に住む方々のためもあって、再開した展示会。

まぁ、本当のところは、いつまでも受け身であっては仕方ないから・・

という考えから。

皆がマスクして、何かに怯えながら・・という日々は

今年いっぱいは続くのでしょうか。

マスコミがいくら危機感を煽ろうが、

50歳以下の人たちにとっては、

季節性インフルと同じかそれ以下の脅威にしかならないことは周知の事実。

不謹慎を承知で言えば、生産性のないお年寄りのために

いつまで経済活動を犠牲にしなければならないか?

人の命が何よりも大切と言うなら、

倒産、破産、失業による自殺者の命も取り返しがつかない。

命の尊さを生産性のあるなし、

余命の差で測るのは”乱暴”なことであるのは分かっているが、

どちらを選択するか?は、

既に多くの人たちは”暗黙の了解”として決めているのだろう。

ある種の”麻痺”も蔓延してくるのだろう。

数年先に、「あの時は仕方なかったから・・」という言い訳を

用意しているのだろうか。

日本という国は誇れるところもたくさんあるが、

誠実でないことも平気でする悪癖・悪習もある。

見て見ないふりもするしね。

長い物には巻かれろ・・的思考、

既成事実が先行すれば、その結果がどうであれ、追従する。

○○委員会なるものが、首相の緊急事態宣言をサポートしているなら、

その委員会には、数値を示しながら、客観性のある説明責任はあるはず。

外出制限をするなら、それは基本的人権にかかわること。

なぜ、納得できる説明をしないのだろう?出来ないのだろう?

SU CONG

Su Cong works

彼の作品の多くは、2枚で一つの作品にしていることが多い。

成都を流れる長江の河面を撮っているのだろう、

多少濁った感じもするが、元々こんな水質なのかもしれない。

あるいは、淀んでいるところからみて、湖面かもしれない。

世界中から作品を集めて展示会をする面白さは、

地域が違い、民族が違い、

慣習も違うと美意識のDNAも違うのかな?

と、思ったりする。

フランス人の写真家は、

伝統をベースに哲学的に踏み込んでる感がある。

イタリア人には壮大なロマンが有りそうだし、

岸壁を背景にしても、作品は温かい。

中国の作家に関しては・・・

毛沢東が立国して以来、イデオロギー的抑圧が今も続いているので、

それらが、アート作品にも投影されているのか?

( Photo in Beijing 2016 に参加した時も、開会式では、

紅衛兵活躍の映像がかなり長く流されていた。

彼らの多くにはダブルスタンダード的な在り方が当然なのか?

抑圧と自由への想いと・・)

肌を露わにした画像は絶対NGなので、

僕が中国に生まれていたら、俯いて、湖面を見ているしかないのかもしれない。

Su Cong

Su Cong works

紹介するのは、中国の写真家。

長江の流れる大陸中部に位置する、多分この画像は成都?じゃないか・・

画面が曇って見えるのは、逆光だからなのか、大気汚染の影響か、

中国では、都市部では晴れの日でも曇って見えることがある。

FBで作品を知り、メッセンジャーで展示会参加をオファーしたところ、

快く受けてくださった。 

日本からいきなりコンタクトがあるなんて、最初は半信半疑だったのでしょう、

なんだか、やり取りがぎこちなかった。

オファーを出したのが、武漢がパンデミックな時でもあり、

作品が送れない・・とのこと。

届き次第、展示会へ加えるつもり。

いつも思うことは・・

写真が綺麗なのではなくて、

そこに眼が行く、写真家の眼差しが綺麗なんだと・・。

書家:河内裕美

書家:河内裕美  撮影:小玉龍幸

書家としてよいのか、アーティストとすればよいのか・・河内裕美さん。

彼女の鬼気迫る姿を見事に撮影する小玉龍幸さん。

記録するという意味で、写真の威力を示したショット。

被写体と撮り手があって、成り立つ瞬間。

最近の彼女の(写真から見る)姿は、キレキレの域に達してる。

「書」に関しては詳しくは分からないけど、

アートとしてみれば、その凄みは十分すぎるほど感じ取れる。

凄い人を見ると、本当に嬉しくなる!

ロシアンルーレット

ロシアンルーレット Russian roulette

リボルバー式拳銃に一発だけ弾を込め、弾倉を回転させて弾の位置を分からなくしたのち、相互に自分の頭に向けて引き金を引く、死を賭けた遊び。

リボルバーは6発玉が込められるので、1回引き金をを引くごとに

死の確率は6分のⅠ。

もっと、確率は低いのだろうが、今回の事態は私にとって、

まさしくロシアンルーレット。

<コラム> Syoudou Sawaguchi

いま私たちは必ず世界史、日本史に残る劇的な状況の中で、こうして生きているわけです。 人類の歴史の中で何回かこういう大感染があったことは記録されているけれど、いま私たちはそういう過去の記録の中ではなく、現実にこうして日々生きているわけで、これって凄いことだと思うんですよね。 誰もが望んだわけではないけれど、否応なくこのような状況のただ中に放り込まれて、一人一人の事情は様々で、しかし、生まれてきたからには必ず死ぬのはこの世の定め、摂理なのですから、どんな死に方をするにせよ、必ず死ぬことに例外のある訳はなく、ただ願わくは苦しい死に方はしたくはないと思うけれど、それだってどうなるのかは誰にもわからない。 

毎日、コロナによる感染者の死亡が報じられていて、でも、コロナでない死亡者も毎日たくさんいるわけで、そのことは何も報じられない。そう、ことさらマスコミを使ってまで知らせる必要のない当たり前の事実だからです。 世界史に残る劇的な状況の中で、普通に死んでいくたくさんの人たちこそが、今は願わしい一つの在り方になっている、ということが浮き彫りになってきているわけです。 

これまでの世界的大感染の後には、すぐにではなくとも、それまでの常識となって、人々を規制していた大きな理念や世界観が否応なく変わっていった、と言われています。 きっと今度のこのパンデミックの後にも、そういう大転換が起きる前触れのような事柄が、私たちにも感じられれてくることでしょう。 いわば私たちは自分の意志とは関わりなく、何かある大きな力によって、この大感染に立ち会うようにと選ばれてしまった存在なのだと思います。 冷静に観察していきたいものです。