痩せたモデルを描くことは難しい

モデル:絵野めぐみ

モデルを職業とするプロのモデルです。

今だから言えるけれど、最初の出会った頃は、

職業としてのモデルは無理だな・・と思ってました。

(他のクリエイターからも言われていたようです)

ところが、この人は見た目以上に根性があって、

様々なクリエイターとコラボを重ねていくうちに、

”本物”になってきました。

体型は典型的なスレンダーで、

ボリューム感がないので、美術モデルは不向きなのだと思います。

(アマチュアには、痩せたモデルを描くことは難しい)

依頼された仕事を選ばないという貪欲さが功を奏したようですね。

”企画力”もあるので、将来が楽しみな一人です。

”縛り”というより”縄のアート”

体を拘束されることで、心が解放されていく

「縛り」とはなんなのだろう・・

モデルをされる方を見ている限り、

体を拘束されることで、心が解放されていくように見える。

普段の日常から、本来の自分の姿(感性)が取り戻せるのでしょう、

心地よさというか、喜びが蘇ってくるようだ。

masochism 醜態も美しく完結する

アートが分かる人は、変態的な画像であろうが、

それらも人間の一部として寛容に受け入れる。 

いかなる醜態であろうが、アートにすればすべては美しく完結できる。 

「縄の切れ目がちょっとほころびているのがいい・・」とモデルさん。 

この人は本物だ。

masochism 醜態も美しく完結する

永遠に手に入らないのが「赤」

子供の頃から、生まれながらに備わっている色が「緑」

物心がつき、何とか手に入れようとするのは「青」

最近になって、「赤」を手に入れようとしているが、

たぶん、永遠に手に入らないのが「赤」。

赤とは言っても、

僕の中で息づくのは朱色に近い、ちょっと暗めの赤。

それは「日本の赤」。

Anri & Yu : Duo 「日本の赤」

ちょっと不足かな・・くらいがちょうど良い

model : tef

夏が過ぎて、だんだん陽が短くなり、秋が来る。

こうして今年も、一年が過ぎていく・・

僕の歳はじめはいつも秋。

このモデルさんは、とてもアート好きで、僕とは話が合う・・

というか、僕がやたら「アートはこうじゃなきゃ・・」なんて話になる。

こういう時はいつも主観でなく客観で話をするようにしている。

「パーフェクトであろうとは思わない方が良いよ。

やり過ぎないようにしなきゃね、作品創りは観る人の参加する余地を残さないとね、

そこに、観る人の創造力を駆り立てる余地を残すんだよ」

撮った写真を見せながら・・

「背中のスペースはそのためなんだ。 

ちょっと不足かな・・くらいがちょうど良いのだよ」

百均で買った絶縁テープ

百均で買った絶縁テープを使ってみました。

テープは僕が全部貼りましたが、貼る場所場所ですからね・・

予め、デザイン図を何度も描き直しましたが、ほぼイメージ通りになりました。

ウクライナ軍のスナイパーがロシア兵を・・

ウクライナ軍のスナイパーがロシア兵を次から次へと一撃で倒していくシーンが続く。

これは、YouTubeなのですが、こんな映像を世界中に配信してよいのだろうか?

この映像は、実写なのでしょうが、背中を見せている兵士が打っているのであれば、スコープが上下に揺れているはず。 銃身の前方を固定した状態で射撃してますね、写真家ならそのくらいのことは分かる。 スコープ内に見える2とか4とか6というのは、200,400,600(mもしくはyd)。 90m=100ydくらいなので、ほぼ同じ。 だいたい、500m先を狙撃しているようです。 まるで、ゲーム感覚で見てしまいますが、そこで狙撃され倒れていくのは、将校クラスもいるのでしょうが、ほとんどは20代の若い兵士ばかり。

僕が6年前に南仏に展示会へ出かけたころ、そこで、ロシアの若い男の子と話したことがありますが、その彼らが、今、狙撃され倒れているのでしょうね。 戦争に対する怒りとか、悲しみとか、怖さとか・・そういうのが、自分の中で素直に浮かんでこないんですね・・日常化して麻痺していくこと、自分が血の通わない冷酷な人間に成り下がっていくようだね。

仙川クロッキー会

京王線・仙川駅より徒歩2分に位置する(初心者から上級者まで)誰でも参加しやすいクロッキー会。 指導・講評などもなし。 クリエイターの方々の出会いと情報交換の場ともなってます。 終わった後、飲食を持ち寄り、雑談もまた楽しい時間となってますよ。

ポージングするモデル

Model : Keiko 写真集

「妖艶なヌード」 model : Keiko   なんでここまで「妖艶」に撮れるのか、撮ってる私にも分かりません。 ひとえに、モデルの力量なのでしょうね。 私は撮らされているだけかもしれません。  

上の作品群のように「妖艶さ」で勝負した作品と、下の作品のように「日本画」的なアート作品としての作品群がある。 上の場合は”生身”であり、下は”伝統美”なのでしょうか。

僕は、このモデルさんとは何度も撮影しているし、色々なことが話せる”親しい友人”でもあるので、下のような絵が撮れることはごく自然なことなのですが、上のような絵になってしまうのは、正直なところ、驚きでもあり、それも、”妖艶さ、ここに極まれり”とも思え、写真家としてこの上なく嬉しいことなのですね。

上の作品群の撮影では、50cm~1mくらいの至近距離から、モデルの上にのしかかるようにレンズを向け、シャッターを切り続けます。 たとえ、至近距離からであろうが、僕が見ているのはファインダーを透してであり、そこには”非現実の女体”が横たわっているわけです。 ただ、息遣いとか体温なども感じられ、非現実とばかりは言えない空間にもいるわけです。 ”下半身の緩い人”には、こういう撮影は勧められませんね。

このモデルさんは、元々ヌードで撮ることはなかったと記憶している。 僕が「ヌードで撮ろう! 必ず、素晴らしい作品にするから・・」と言って、説得した記憶がある。 それから、僕がこの人を撮るときはほとんどがヌードとなっている。