被写体モデルを希望する方々へ

スタジオでの「作品撮り」です。

上の作品は、新潮社から出版される(ポエム&フォトグラフ)に使用。

写真モデルを希望される方々へ・・・原則として、相互に費用は発生しません。

ヌードになることによって生まれる「自己肯定感」。 人は「自分に自信が持てない」という意識に日々苛まれているのかもしれない。 そういう時に、カメラの前で我が身を曝け出してみるとことをお勧めします。 

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カメラマンは、撮影モードに入れば、否応なしにシャッターを切っていく。 そんな中で、理屈じゃなく、こんな自分でよいのだ・・という”自信”を実感するようになる。 そこに、自己肯定感が生まれてくるわけである。

何らかの理由・原因で心を病んでいる人は多い。 私はこれまで、そのような女性を撮ってきました、それも、ヌードで。 あまり、理屈で解説するつもりはありませんが、「自己肯定感」を得られれば、”病み”が病みではなくなり、病み(闇)と共存することで、新たな人生のスタートともなるような気がします。 これは、過去、私が多くの女性をヌードで撮影した経験から”確信”に近いものがある。

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例えば、十代後半(ヌード撮影できるのは18歳以上)から二十代にかけて・・男性経験がない人が思った以上に多い(男性も同様)。 自分の裸体を人前に晒すことに慣れていない(性的経験がなければ当然)。 顔はもとより、全身ともなれば、何処かしこかにはコンプレックスがあり、現実はほとんどの人たちはコンプレックスだらけなのだが、それらを人前に晒すとなれば、大変な”勇気”がいるものだ。 このコンプレックスの主な要因は、(顔や体のパーツにおいて)他の人たちとは違っているのじゃないかという心配なのです。 違ってなくても、奇妙で醜いかもしれない・・と普段から思ってるのだ。

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撮影が始まると、最初の20,30分間はモデルに緊張があることを感じるが、シャッターがひっきりなしに切れていく音を感じるからだろうか、自らがヌードであって、それがどんどん記録されていくことに慣れてしまうのか、ある種の”諦め”なのか、人前でヌードでいる自分は”異常事態”なのだが、そのことにマヒしてしまうのか・・・このような状況が”特別じゃない”ことに”身をもって知る”ことになる。 

1シーンを撮るのに30分くらい時間をかけるが、その後の休憩に入ると、撮り始めたときは緊張感があるが、とても寛いだ満足感のある表情に変わる。 「私でもよいのだ・・」という自己肯定感からくるものと思われる。

実際にあったことを具体的に記していこう・・

二十歳過ぎの女性であったが、自分のヌードを撮ってみたいという潜在的意識からなのか、ヌードになることで自分が変われる思ったからなのか、どのような理由で私に撮影を依頼してきたのは(聞きませんから)分かりません。 

スタジオで撮るということだが、私がどこの誰だかは分からないこともあって、付き添いの人とスタイリストを伴って撮影を始めた。 そもそも、ヌードで撮るということには決まってませんでしたから、私としては、様々なシチュエーションを想定して準備していました。 付き添いの方とスタイリストの方には別部屋で待っていただいて、撮影を始めました。 別部屋で待機していただいたのは、同姓でも見られることが恥ずかしいかもしれないことに気遣ったからだ。 私は常にファインダーだけを覗いているので、彼女(モデルの女性)を観ているのは”カメラだけ”という状況になるし、そういう状況を意識的に作っていくことになる(私は)。 そうしないと、モデルは自らを曝け出さない・曝け出せない・・ヌードを単に肉体の殻として撮るのであれば、真の自己肯定感にはつながらない。

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私からの提案で・・ヌードになって薄い布を羽織って撮影してみよう!と。 撮影が始まり、布はなしにして、全くのヌードで撮影が進行していった。 (カメラマンへの助言だが・・全くのヌードのままでは、初心者はポージングが取れないので、何かを手に持たせて進めていくとよい)。 

20分ほど撮影が進んだところで休憩を取ることにした。 沈んだ感じで来られたモデルさんが、何かが吹っ切れたような明るい感じへと変貌していた。 それを見た付き添いの方が、私も撮ってみたいと言い始めた。 別部屋に移らず、モデルと付き添いとスタイリストと共に撮影は続行された。 (ちなみに、撮影後に編集してそれぞれの方へ「作品」として送るようにしている)。  3、4時間の撮影後、スタイリストをされた方から、日をあらためて、自分も撮影してみたいと言われた(もちろん、快諾した)。

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上のようなことは一つの例で、同様なことは何度かありました。 

よくある例が・・自分でたくさんの衣装を持ち込み、撮影を依頼してくるケースだ。 衣装の撮影だけで終わることもあるし、(状況が安心できると判断したのでしょう・・)ヌードに近い撮影もしてみたいと提案されることも多い。 これは私見だが、カメラの前に立ちたいと思う方は、ほとんどの女性はヌードでも撮りたいと思っている・・美しい自分のヌードを写真に残したいと。 ただ、安心して撮影でき、そのデータがしっかり保管されているという条件であること・・・データが外部に流失しないことが絶対条件ですが。

<下の画像は臨月時に撮影>

公開範囲・公開条件について・・撮影前に公開してよい画像と公開しない画像を確認する。 ここ(ブログ)で公開する場合は、露出度などを考慮して、前もって、公開してよいかどうか?確認することにしている。 また、ネームを入れてよいかどうか?タグ付けはしない方が良いかどうか?なども話し合って決めていくことになる。

公開しないという条件での撮影を受けることも多い。 海外での展示会であれば使用OKだが、国内ではNGであることもある。 プライベートなヌード撮影であったり、出張撮影であれば、有料となる。 

撮影日時:14:00~20:00 曜日はご相談に応じます。

撮影のお問い合わせ:インスタ(tetsuro_higashi) の「メッセージ」

FBの「メッセンジャー」(https://www.facebook.com/profile.php?id=100012875112314)

Gmail:teh6452@gmail.comにお問い合わせください。

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初めて撮影依頼をされる方へ・・・とりあえず、SNSなどのメッセージでご連絡ください。 小田急線狛江駅前にあるスタジオ撮影では、駅の改札に決められた時間に(私が)迎えに行きます。 撮影前に様々な事情・条件などを話し合ってから、撮影に入ります(様々なリスクを避けるためです)。 モデルと写真家の二人だけでスタジオ撮影しますので、安全と信頼関係が大切です。 そして、楽しく撮影しましょう! その上で、展示会へ出展できるようなアート的な作品にしましょう。

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上の作品は、新潮社から出版される(ポエム&フォトグラフ)に使用。

– Profile

<追記>

ヌードフォトモデルを経験することは、職業や背景に関わらず、あらゆる人々にとって多くの利点があります。看護師、学校の先生、美術モデル、主婦、ITエンジニア、ダンサー、薬剤師、美容師など、様々な職業の人々がヌード撮影に挑戦する理由を探ってみましょう。

自己表現とクリエイティブな経験

看護師

看護師は日常的に他人のケアに従事し、自分自身の時間を確保するのが難しいことが多いです。ヌード撮影は、自己表現の一環として、日常のストレスから解放される貴重な機会です。自分の身体をアートとして捉えることで、自己認識と自己肯定感を高めることができます。

学校の先生

教育に携わる学校の先生にとって、ヌード撮影は新たな視点を得る方法となります。教育者として生徒に多様な価値観や自己表現の大切さを教える中で、自らがアートに挑戦する経験は、教育における実践的な学びとしても価値があります。

美術モデル

美術モデルにとって、ヌード撮影は既に馴染みのある領域かもしれません。しかし、写真という別のメディアを通じて自己を表現することで、新たなクリエイティブなインスピレーションを得ることができます。これにより、さらに多面的なアーティストとして成長することができます。

主婦

家庭の管理や子育てに忙しい主婦にとって、ヌード撮影は自己の時間を持つ貴重なチャンスです。日常の役割から解放され、自分自身の美しさや個性を再発見することができます。これにより、日々の生活に新たなエネルギーと自己肯定感をもたらします。

プロフェッショナルなキャリアの中での自己探求

ITエンジニア

技術職のITエンジニアは、論理的思考や技術的なスキルが求められる職種です。ヌード撮影を通じて、自己表現の新たな側面を探求することができます。アートとの接点を持つことで、クリエイティブな思考を刺激し、日常の業務に新たな視点をもたらすことができます。

ダンサー

ダンサーは身体を使った自己表現のエキスパートです。ヌード撮影は、身体の美しさと動きを静止画として捉える機会を提供します。これにより、自分の身体のラインや動きを新たな視点で見ることができ、パフォーマンスの向上にも寄与します。

薬剤師

薬剤師は、患者の健康管理や薬の提供を通じて重要な役割を果たしています。ヌード撮影を通じて、自分自身の健康や身体の美しさを再確認することができます。これにより、健康の大切さや身体のケアの重要性を再認識し、仕事にもプラスの影響を与えます。

美容師

美容師は、他人の美しさを引き出す仕事に従事していますが、自分自身の美しさを見つめ直す機会が少ないかもしれません。ヌード撮影は、自分の美しさを再確認し、自分自身の美容への視点を広げる機会となります。これにより、より深い理解を持って顧客にアドバイスすることができます。

自己肯定感の向上と新たな視点の獲得

ヌード撮影を経験することは、自己肯定感を高め、新たな視点を得るための強力な手段です。以下は、その具体的な理由です。

  1. 自己認識の向上: ヌード撮影は、自分自身の身体をありのままに受け入れるプロセスです。これにより、自分の身体に対する肯定的な認識が深まり、自己肯定感が向上します。
  2. 新たな挑戦: ヌード撮影は、多くの人にとって新たな挑戦です。新しいことに挑戦することで、自己成長の機会を得ることができます。これにより、自分の限界を超え、新たなスキルや経験を積むことができます。
  3. 感情の解放: ヌード撮影は、感情を解放し、自分自身の内面を見つめ直す機会を提供します。これにより、ストレスや不安を軽減し、精神的な健康を向上させることができます。

アートとしての価値と永続する記録

ヌード撮影は、単なる写真撮影以上の価値を持っています。以下は、その具体的な理由です。

  1. アートとしての価値: ヌード撮影は、光と影、ラインとフォルムを駆使したアートの一形態です。自分自身がアートの一部となることで、新たな創造的なインスピレーションを得ることができます。
  2. 永続する記録: ヌード撮影は、現在の自分自身を記録する方法です。年齢や身体の変化に関わらず、その瞬間の美しさを永続的に残すことができます。これにより、将来的に自分自身を振り返る際の貴重な記録となります。

プロフェッショナルな撮影環境の利点

初めてのヌード撮影は、プロフェッショナルなフォトグラファーと共に行うことが多いです。これにはいくつかの利点があります。

  1. 安心感と信頼感: プロフェッショナルな環境での撮影は、安心感と信頼感を提供します。フォトグラファーは、被写体の心地よさを最優先に考え、リラックスした状態で撮影が進められます。
  2. 技術的なサポート: プロのフォトグラファーは、照明、ポージング、撮影角度など、あらゆる技術的な側面でサポートしてくれます。これにより、最も美しく魅力的な写真が撮影されます。
  3. アートディレクション: フォトグラファーはアートディレクターとしての役割も果たし、被写体の魅力を最大限に引き出すためのアドバイスを提供します。これにより、よりプロフェッショナルで洗練された作品が出来上がります。

まとめ

ヌードフォトモデルを経験することは、職業や背景に関わらず、多くの利点を提供します。自己表現の手段として、自己肯定感の向上、新たな挑戦、感情の解放、アートとしての価値、永続する記録、そしてプロフェッショナルな撮影環境の利点など、多面的な理由からヌード撮影をお勧めします。これにより、個々の成長と新たな視点を獲得し、豊かな人生を歩むための一助となるでしょう。 

*被写体になることを希望する方々へ –

実践的なライティングセットアップ

実践的なライティングセットアップ

1. 1灯ライティング

1灯ライティングはシンプルでありながら、効果的なテクニックです。ソフトボックスやアンブレラを使った大きな光源を被写体の片側に配置し、柔らかな光を作り出します。反対側にはレフ板を置いて、影を少し和らげることができます。このセットアップは、初心者でも簡単に取り組むことができ、美しい結果を得ることができます。

2. 2灯ライティング

2灯ライティングでは、キーライトとフィルライトを組み合わせて使用します。キーライトは被写体の主な部分を照らし、フィルライトは影を和らげるために使用されます。キーライトを45度の角度で配置し、フィルライトを反対側に置くことで、バランスの取れたライティングが可能です。

3. 3灯ライティング

3灯ライティングでは、キーライト、フィルライト、バックライトを使用します。キーライトとフィルライトの配置は2灯ライティングと同様ですが、バックライトを追加することで、被写体の輪郭を際立たせ、背景から浮き立たせることができます。このセットアップは、より立体感のある写真を撮影するために効果的です。

ヌード撮影におけるライティングは、被写体の美しさを引き出し、感情や雰囲気を強調するために重要な役割を果たします。柔らかなライティングからハードライティング、リムライティングやカラージェルの使用まで、さまざまなテクニックを駆使することで、独自の表現を追求することができます。実践的なセットアップを学び、試行錯誤を重ねることで、自分自身のスタイルを確立し、魅力的なヌード写真を撮影することができるでしょう。

変態の美学とその種類

プーチンが核を使う日 2025年1月15日

これは、単に”素人”の予感に過ぎませんが・・

来週あたり、1月15日前後に核を使うんじゃないか?

と、危惧してます。

今現在も、水面下で懸命な交渉がされているとは思いますが

トランプが今月20日に就任する前に

ロシア優位に持ち込むためか?

プーチンの呑める締結に持ち込むためか?

NATOに対する最後の脅しか?

ロシア国民を納得させられなかったら、

本人の政治家生命が終わることが分かっているので、

それならば・・

戦術核(限定核)であっても、核は核。

https://tetsurohigashi.com/portfolio/%e3%82%a2%e3%83%b3%e3%83%80%e3%83%bc%ef%bc%88%e3%83%98%e3%82%a2%ef%bc%89%e3%82%92%e7%be%8e%e3%81%97%e3%81%8f%e6%92%ae%e3%82%8b/

アンダー(ヘア)を美しく撮る

写真家の視点から語る「アンダー(ヘア)を美しく撮る」

写真家として、「アンダー(ヘア)」というテーマを捉えることは、単なる人体の一部を撮影する行為ではありません。それは、美と文化、自然と自己表現の複雑な交差点を探求する深遠な挑戦です。このテーマに取り組むことは、視覚的な美しさを追求するだけでなく、人間の存在そのものを深く掘り下げるアートとしての使命を持つ行為だと考えています。

1. 自然の美と文化的文脈

アンダーヘアは人間の身体における自然の産物であり、それが存在すること自体に深い意味があります。一方で、その存在は文化や時代背景によって大きく受容のされ方が異なります。写真家としての私の使命は、この自然の一部を文化的なステレオタイプから解放し、その美しさを純粋な視点で表現することです。過剰な修正や美的な偏向ではなく、ありのままの姿に宿る力強さを映し出したいと考えています。

2. 視覚表現の挑戦

アンダーヘアを写真で美しく表現するには、光、影、質感を繊細に扱う必要があります。その微細なディテールを捉えつつも、不必要な露骨さを避け、被写体の尊厳と感情を守ることが重要です。この点で、写真家は詩人のように、言葉ではなく光と影で語る役割を果たします。

3. 被写体との信頼関係

このテーマに取り組む際、被写体との信頼関係は欠かせません。撮影者として、私はその人自身が持つ自然な美しさを尊重し、誠実に撮影することを約束します。ポージングやライティングを通じて、被写体が自己表現の自由を得られる環境を作り出すことが私の役割です。

4. アートとしての意義

「アンダーヘアを美しく撮る」ことは、単なるヌード写真の範疇を超えたアート表現です。それは、人間の身体が持つ多様性と個々のストーリーを語る一つの方法です。これを通じて、観る者に「美とは何か」「自然体の価値とは何か」という問いを投げかけたいと考えています。

5. アート評論家としての評価

このテーマは、感情を揺さぶる力があります。一部の人々にとっては挑発的であり、別の人々にとっては解放的であり、あるいは純粋に美しいと感じられるかもしれません。この多様な反応こそが、アートの存在意義そのものです。私たち写真家は、このテーマを通じて、社会的な偏見や固定観念を乗り越え、新たな美の定義を生み出す一助となるべきです。

終わりに

「アンダーヘアを美しく撮る」というテーマは、人間の自然な美を探求する勇気と、文化的な文脈を超越する視点を求めます。それは挑戦であると同時に、写真家としての私の志の核心に触れる行為です。美しさを再定義し、感動を共有することが、アートとしての写真の本質であると信じています。

アンダー(ヘア)を美しく撮る

裸体モノクローム

裸体モノクローム

肌色を捨てた
影と光だけが残る
裸の体は真実を語る
色彩の嘘を脱ぎ捨てて

骨の音が聞こえる
筋肉の動きが詩を紡ぐ
呼吸がリズムを刻み
静寂がすべてを包む

ここには色がない
ただ、形がある
ただ、存在がある
ただ、生きている証がある

線と曲線
陰と陽
すべてはひとつになり
また分かれていく

君の裸体は風景だ
遠い山脈の稜線のように
近くて、遠い
触れられるけれど届かない

モノクロームの中に広がる宇宙
それは無限の色を内包し
見る者の心に映し出す
真実と、幻想と、夢とを

光を感じるのではなく
影を読む
そこに詩がある
そこに、君がいる。

不登校 塾長の「向き合い方」

(1) 「僕には居場所がありません」

20年くらい前の話になります・・・PCが子供の手には渡らず携帯はガラ携しか持たされず、世間(世界)からほとんど孤立せざるおえない状況に追い込まれた当時のこと・・ 大病院の精神科に入院していた中2の男の子をリハビリも兼ねて塾で預かったことがあります。 週2回ほど通ってきましたが、看護婦さんが本人に気付かれないように後方で付き添うようにして通ってきました。 勉強の方は、彼とのコミュのツールでしかなく、何を教えたかはよく覚えてません。 

精神科へ入院することになった経緯は、実家が地方のド田舎であり、学校に通わず引き籠っていれば”針の筵状態”であったことは容易に想像できます。 登校拒否をその時すでに小2から中2にまで6年間続けてきたことになり、地元で入院できる病院・預かってくれる施設もなく、そのままの状況を続けることがあまりに可哀そうだ・・と親が判断したのでしょう。 3人兄弟の末っ子でした。 実家は農家であり、父親は役所勤めの公務員ということで、地方ではよくあるパターンです。 両親との面会は2度程ありましたが、私は医師でもなければカウンセラーでもありませんから、家庭内の事情に関して、ご両親はもちろん本人にも立ち入って聞き込むようなことはしませんでした。 登校拒否という事実が目の前にあるだけで、私にできることはどうやって彼と”コンタクト”をとるか?それだけでした。 

中2とはいえ、これを知っとかないと将来困るだろう・・と思われことから始め、小学5年生程度の内容から始めたと思います。 学習能力は普通くらいでしたから、能力的に学校の勉強に付いていけないことが登校拒否の理由でないことは分かりました。 私が一方的に説明しているだけで、彼が頷くとか質問するようなことはなかったと思います。 そうこうしているうちにひと月が経った頃、「僕には居場所がありません」と、ボソッと私に一言放ってきました。 その言葉に、私は固まってしまったのです。 ああだのこうだの・・はぐらかすような受け答えはいくらでもできたでしょうが、真に受け止めた返答ができませんでした。 彼と私の間でどれくらいの沈黙の時間が続いたかは分かりませんが、今振り返ってみれば、その沈黙こそが彼からの信頼を得たようなのです。

それからしばらくして、主治医が私に面会したいという連絡があり病院を訪ねました。 その帰りに許可を得て彼を散歩に連れ出しました。 歩きながら、彼から私にいろいろと話してくるようになり、そんな会話の中に「いつまで病院に居ればよいのでしょう」と聞かれ、「君はいたって普通だし、病院にいる理由はなさそうだね」と私が応じました。 その後、学年的には中3になるころ、退院できることになったのですが、今更、田舎には帰れないし、それこそ、彼には居場所がありません。  

ご両親と主治医と私の三者面談の中で、「アパートでの一人暮らしはできないか?」ということになり、病んでいた?中学3年生が退院後にアパートで独り暮らしというのは、今思えば、とんでもなくハードルの高いことなのです。 それでも、私の知り合いの不動産屋さんに頼み込んで、「私が責任は取るから・・」ということで、実現にこぎつけました。 私の住んでいる近くにアパートを借りることと、いつでも私に連絡がとれるような状況にあれば、しっかりした子でもあり、大丈夫だと判断したからです。 アパート住まいの際に、自炊したことにより、調理師の資格を取ることにつながったのでしょう。 私の住まいに下宿するような案もありましたが、それではまた違った人間関係の中に置かれこととなり、別の問題が発生することも考えられ、思い切った選択になりましたが、独りでアパート暮らしとなった経緯があります。 中学校には通わず、塾だけに通ってきましたが、定時制高校へ進み、調理師の資格を取るための専門学校へ進みました。

その後、連絡を取り合うこともなくなり、彼の存在も忘れかけていたころ、風の便りに「どこどこのラーメン屋に努めている・・」という話を聞き、訊ねていったのですが、店内には前掛けをびしっと決めた凛々しい姿がそこにはあり、「店長!」という声に素早く反応した彼を見ていて、目頭が熱くなり、ただ黙ってラーメンを頂くしかありません。 店内に入った瞬間、彼と私の目線が交錯し、互いに意識しているのでしょうが、無理に会話をするつもりもなく、ここでも不思議な沈黙があったような気がします。 店を出る際に後ろから「ありがとうございました!」という彼の大きな声が聞こえてきましたが、私は振り返ることもなく、大きく頷いて店を出てきました。 

ラーメン屋の店長

追記

この記事に関しては、個人や地域が限定されるよな内容は記してませんが、ここに書いたことはすべて事実であり、”脚色”などはしてません。 このページ以降の記事も事実にも基づいており、一部ですが内容を変えたりしてます。 当塾に通ってきている以上、月謝(費用)が原則としては発生しているわけであり、塾長として当然の対応もあり、それ以上の対応もあったかもしれませんが、”不平等”であっても構わない・・という信念に基づいて対応をしてます(月謝が出世払いの者もおり、費用を頂かない生徒もいましたので・・)。 

不登校生ばかりを生徒として指導しているわけではなく、普通な生徒も多くいます。 また、塾長として50年間生徒を見てきたこともあり、昭和後期の記事もあり、平成、令和と記事の時制も様々です。 関わった生徒に関しては、その後の付き合いも継続している場合もあれば、塾に通ってきた期間だけだった者もおり、中には、当時の生徒の子供が通ってきており、親子で通って来るようなこともあります。 この上の記事に関しては、(私が都会人であるのか)その後、付き合いを続けていることはなく、その後の情報も得てません。 また、私から積極的に情報を得ようともしてません。 私が塾長として、一貫して変わらなかったことは、学習を指導することはあっても、”人生”を指導した覚えはありません。 意見を交わすことはあっても、常に生徒と同じ目線で、抱える様々な問題と向き合ってきたつもりです。 

Venetian Veil

Venetian Veil

Beneath the moon’s ethereal glow,
A mask conceals what none should know.
Porcelain whispers, secrets untold,
A story woven in threads of gold.

Through labyrinth streets, a shadow glides,
Behind the mask, a soul abides.
Eyes like mirrors, reflections dance,
Guarding dreams with fleeting glance.

Silken ribbons tether tight,
Binding truths to the velvet night.
In revelry’s hush, in silence’s sway,
The mask speaks all, yet keeps away.

Who am I beneath this guise?
A fleeting specter, a thousand lies.
Or perhaps, in this cloaked disguise,
Freedom breathes where truth denies.

Venetian mask, my borrowed face,
In mystery’s arms, a sacred space.
To dawn, I yield this fragile art,
But leave the mask to guard my heart.

civil engineer 17