若者がFBから離れていく理由

多くの若者がFBから離れていく理由。

一言で言えば、「ウザィ!」からだと思う。

女性に、親切を装って絡んでくるオヤジがウザィらしい。

メッセンジャーで裏からこそこそと・・

僕のところでは「友達認証」数が多いこともあって、

世界中からメッセを頂く。

日本語では、面識がある人も多く、連絡には便利。

英語、フランス語、スペイン語の順に多い。

僕が男であることが分っているので、絡んでくる人はめったにいない。

たまに、ゲイの人から口説きのメッセはあるけど・・

最初はずいぶんストレスになることがあった。

SNSの使い方は難しい、ストレスにならないように使うために。

批判はつきもの

目立つことをすれば批判はつきもの。

僕が写真家として海外で知られ始めたころ、7年前くらいかな・・

まぁ、陰口はいろいろと聴こえてきました。

アングルがでたらめだとか、写真の何たるかを分かってないとか、

ヌードだから、注目が集まるのだろぅとか・・

何を勘違いしたのか、あなたの編集方法には問題点が多いから、

原画を送ってくれれば、ちゃんとした写真に仕上げますよ・・

といった、メッセージも頂いたりして・・

呆れて、腹も立たなかった・・ことを覚えている。

写真、絵画、彫刻など様々なビジュアルアートに関してだけでも、

一人の人間が感知できるものは、この世のせいぜい1~3%くらいのもので、

残りの90数%のものの美しさに出会うこともなく、知らずに生き、

出会っても、見過ごしてることも多い・・

知ってるということと、その作品の感性の奥底まで感知できることは、

全く違うことです。

ネットでは何でも観れるし、聴けるし、

だから、自分の感性がこの世の芸術分野のほとんどを

網羅してると勘違いしてる人がいる。

網羅してることが本当だとしたら、

ひとりの人間のキャパを遥に超えているし、

たぶん、その人は壊れてしまいます。

芸術作品と言われるものの多くは、人知が遥に及ばないほど美しく、

底知れなく醜く、恐ろしいほどに本質を抉るものだからです。

偉い人というのは偉そうにしてないでしょ、

安易に他人に意見しないでしょ、

それは人間ができているからではなく、

自分が感知できるものは、

この世のほんの一部分でしかないことを知っているからです。

コロナは終わりました

私の中では既にコロナは終わりました。

人ごみの中ではマスクをし、家に帰れば手洗いをしっかりする・・

感染すれば周囲に迷惑が掛かるので、このことは続けていきます。

私の年齢で感染すれば10人に1人は重篤化するというデータはある。

このまま感染が広がって、(東京で)12万人の感染者が出たとしても、

千人に1人の確率で、その中で重篤化するのは十分の一とすれば、

私にとってのリスクは一万分の一・・・これは限りなく0に近い。

方や、コロナの脅威からくるストレスで体調を崩す老人はかなり増えるはず。

今年から来年にかけての老人の死亡率は例年より上がると思います。

(数年後に、そういうデータが出てくるはずです)

それもこれも、コロナが原因ではなく、

コロナの脅威からくるストレスが原因になるはずです。

例年、肺炎による死者は年に一万人。 

コロナによる死者は7月は3人でした。

女の背中

何を語る「女の背中」

ここまで筋骨隆々とした女性の背中は珍しい。

本人の弁によると「ピアノ弾いていたから・・」ということらしいが、

それだけではこうはならない。

僕にだけには何となく分かるんです、直感的にね。

逞しいが愛おしい背中、

河の流れのように「それも人生ぃ~~」。

Body Painting

人肌の上に「Body Painting」

初めてキャンバスの上に筆を走らせたときの感動を覚えてますか?

筆がちょっと柔らかく沈むような”贅沢”を覚えているでしょう。

ところが、人肌となれば別次元!

場所によって柔らかさが違う、体温を感じる、モデルの息使いも。

その上、平面ではなく立体。

二時間弱で描き終え、すぐに撮影に入る。

のせた絵の具が乾いていけば色あせてぽろぽろと落ち始める。

創作は、スタジオ内でモデルと僕の二人だけ。

筆を使ってるとはいえ、撫でるように全身を筆が走る。

最後はモデルのポージングで決まる。

モデルと僕のコラボレーション。

大切なのは、相互の信頼関係。

ちなみに、絵具は毒性のない子供用を使う。

全くのヌードの状態から描くので、”あそこ”にはバンドエイドが必要。

指にまくような小さなサイズのものでは間に合わないので、

大き目のサイズのものを用意しました。

帰りにモデルさんから一言言われた・・

あれでは大きすぎます! ドキッ! ~。~

ヌードを撮っていると、差別とまではいかなくとも、

様々な偏見に晒されることになる。

フランスのサロンで展示する際にも、

レストランでもあるから、露出度の少ない写真をセレクトしよう・・

と、ギャラリー・オーナー(兼ディレクター)から提案された。

良識というか自主規制は働いているのでしょうね・・私も納得している。

ただし、ヌードに関する法規範や社会規範というものは存在しないようだ。

表現の自由はしっかり守られているのだろう。

偏見とか差別がなぜ生まれてくるか?というと・・

人にはそれぞれ「常識という枠」がある。 

その「枠」を鎧(よろい)のようにして我が身を守りながら生きている。

「常識という枠」の外側で起こる事態に遭遇すると、

”非常識だ!”と言って、嫌悪感を抱き、時として攻撃するに至る。

そもそも、「枠」という「くくり」に問題があると言ってよい。

くくって良いのは数学の因数分解だけ・・。

国家、人種、宗教、地域などでくくれていることから、

ほとんどの争いごとが起こっている。

困ったことに、知性レベルが低く単細胞な人ほど、

くくれることによって、より行動的になり、熱狂的にもなりうる。

「お国のため・・」という「くくり」で多くの人命が失われたことは

75年前とはいえ、そんなに昔のことではない。

21世紀になり、明らかに時代は逆行している。

人々は「新たなくくり」を求めるようになってきた。

一国主義、ポピュリズムなどの台頭を止められないようなのだ。

(20世紀後半から始まったグローバリズムの反動もあるのだろう)

11月にはアメリカの大統領選挙がある。

トランプの圧倒的不利が予想されているが、

私はトランプが勝つと思っている(望んでないけど・・)

だからと言って、バイデンでもまずいでしょ・・

本題に戻りましょう・・

画像に限らずビデオなども含めて、

性的好奇心ばかりを煽るものがこの世には溢れているし、

コンビニ行けば、(可愛いでしょ!と媚を売る)ピンク色の雑誌が並ぶ。

造形美などを深く掘り下げた視覚的好奇心へ、また、

ストーリー性、様々な知的好奇心へ導く「作品」も少なからず存在するものの、

世の8割がたの人たちは、それらの区別がつきません。

純粋な目を持った人たちには「アート」であっても、

曇った目を持つ人たちには単に卑猥なものであり、

このように、公開して載せることに批判的なのでしょう。

例え、男性が女性ヌードを撮ろうが、

フォトグラファーにとっては、作品は常に「自画像」です。

女性ヌードをとおして、「自己表現」をしてます。

まともなフォトグラファーが、

性的好奇心ばかりを煽る「自画像」を載せるでしょうか!?

Mother

私は五人兄弟の末っ子である。

・・であるのに、既に他界したが、母への記憶がないというか、

蘇ってこない。 

母は遠くから見える存在であり、父は主観の中にいる。

墓参りにはしばしば行くが、それは父に会いに行くため・・

私は父の分身である。