武藤昌平

武藤昌平 作品

多摩川沿いを散歩した
時系列は不鮮明だが
朧な記憶を反芻しては
とぼとぼと歩いた
北風が強かった
黒い小型犬を三匹連れた婦人が
烏の群れを罵っていた
へら鮒釣りに恋い焦がれ
足繁く通った砂利穴が
工事用ネットで囲まれていた
鵜と白鷺と鴨が風に揺れ
波立つ水面で寄り添っていた
川岸は風化し無色無言だった
三万歩あるいて部屋に戻った
こんなに歩いたのに
一歩も過去へは戻れなかった

   ・・・ (文)武藤昌平

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私は以前からこのお方(武藤昌平)のファンである

作品が、心地よく美しいからだ。

私は今、世田谷区に住んでいるが、

以前は神奈川県中野島に10年ほど住んでいた

休日の午後には、多摩川の稲城辺りの神奈川県側をよく散歩した

住む場所も散歩するエリアもよく似ている

年のころは、僕の方が少し年上かもしれないと思っている

ここに私は、アーティストのあるべき姿を見る

彼の存在は、何よりも励みになる。

私は、小説を読まない・・


私は小説を読まない

物語が好きでないのではなく、

それよりも興味深いものが沢山あったからだと思う

音から発せられるもの、ビジュアルから見えるもの

それらが優先されたからだと思っている

したがって、感覚ばかりが先行し、

言語による具現化された「他人の人生」を知らないまま生きてきたように思う

要は、人生のスタートで、他人の経験を疑似体験していない

これらのことから、

安易な人生を送ってしまったのかもしれないとか、

しないで済む失敗もしたかもしれないとか、

言葉で伝えればよいところを、それが出来なかったことによる誤解とか、

もう少しましな人生になっていたかもしれないとか、

いろいろと考えてしまう

とは言っても、

もう一度やり直せたら・・などという未練がましいのは性に合わない

人生は一度で十分だし、そう長生きしたいとも思ってない

過去を振り返るつもりはないし、後悔することもない

ただ、”自分が犯した罪(道義的責任)”から逃れるつもりもない。

Jorg Van Daele

Jorg Van Daele 

この作品は、彼のギャラリーの庭で撮影されたもの

僕が撮った画像ではないが、作品が伝わりやすいように少し編集してある

Jorg の代表作品の1つではないかと思っている

僕のお気に入りの一品。

彼と6日間、生活を共にして思ったこと、知ったことを記しておきます・・

この作品は、1本の岩からグラインダーやヤスリがけをして、削り出したもの

なぜ、このような色の違いや質感を出すのか?詳しいことは聞きませんでした

私は、写真や絵画など、2次元に還元することばかりしてるので、

本来、3次元の世界で生活しているにもかかわらず、

作品をどのように把握してよいのか、難しい

私が知る限りでは、

彼のライフワークは、世界中のあちこちで現地調達した岩を

「作品」にしていくこと

東欧の地域であったり南米であったり、今頃はインドのムンバイあたり・・

岩を現地調達することから、都会での制作はなさそうです

「Kiss Peace」 というタイトルを見たこともあり、

人種、宗教、国境、地域、富の格差などを超えたところに

彼の作品は存続していくのでしょう

岩が何億年の歳月をかけて岩になるように、

彼の作品も、永遠の存在感を放つのでしょう。