トランスジェンダーとは・・

「トランスジェンダー」という言葉は、正しく理解されているようでいて誤解も多いテーマです。シンプルに整理すると、次のような考え方が基本です。

■ トランスジェンダーとは

「トランスジェンダー」は、生まれたときに割り当てられた性別(戸籍上の性など)と、自分自身が感じている性別(性自認)が一致しない人を指します。

■ よくある誤解と正しい理解

①「特別な人」ではない
トランスジェンダーは珍しい存在ではありますが、「異常」ではありません。人の多様性の一つです。

②「見た目」や「手術の有無」で決まらない
外見や服装、また手術をしているかどうかは本質ではありません。
あくまで重要なのは「本人の性自認」です。

③「性的指向」とは別の概念
トランスジェンダーは「性別の認識」の話であり、
誰を好きになるか(異性愛・同性愛など)とは別です。

■ 関連する考え方

  • 性自認(Gender Identity):自分がどの性別だと感じるか
  • 性的指向(Sexual Orientation):どんな相手に恋愛感情を持つか

これらはそれぞれ独立した要素です。

■ 社会的なポイント

  • 本人が望む名前や代名詞を尊重することが大切
  • 決めつけや詮索(「本当にそうなの?」など)は避ける
  • 理解しようとする姿勢が重要

ヨーロッパでのコレクター(顧客)向け販売

:

今までも、ヨーロッパでの写真販売はしてきましたが

コレクター(顧客)向けの販売で

展示会をして販売するのとはちょっと違います。

表には出てこない”販売網”みたいなルートはあって、

再度、そのルートに乗せることになりました。

販売対象になった作品のモデルをされた方々には

その都度お知らせするようになります。

the Transgender Artmodel

model : すきら Skhilla

X : @Skhilla_the_TA

:

トランスジェンダーの人を撮影するって・・

初めてのことで・

駅で待ち合せる時点で緊張が始まりました。

写り込み方が今までにないことだったので

気合は入りましたね。

ここのブログの貴重なジャンルが出来そうです。

“見てはいけないものを、見てしまっている”

「見てはいけないものを、見てしまっている」

シャッターを切るという行為は、単なる記録ではない。むしろそれは、世界の表面を一枚めくり、その裏側に触れてしまうことに近い。写真家という存在は、日常のなかに溶け込んでいる“違和”や“裂け目”を、無意識のうちに見つけてしまう。そして一度それを見てしまえば、もう元の世界には戻れない。

たとえば、ありふれた街角。誰もが何気なく通り過ぎるその場所に、ほんのわずかな歪みがある。光の差し方が不自然だったり、影の長さが時間と合っていなかったり、あるいは人の表情が一瞬だけ“空白”になる瞬間。普通の人は気づかない。いや、気づいても無視する。しかし写真家は違う。その違和を拾い上げ、フレームの中に閉じ込めてしまう。

問題は、その瞬間に「見てはいけないもの」を見てしまうことだ。

それは心霊や怪異といった大げさなものではない。もっと静かで、もっと現実的なものだ。たとえば、人がふと見せる“本当の顔”。笑顔の奥に沈んでいる疲労や諦め、あるいは言葉にされない孤独。カメラはそれを容赦なく写し取る。そして写真家は、その事実から目を逸らすことができない。

レンズは嘘をつかない、とよく言われる。だが正確には、レンズは「隠されていたものを暴く」。そして暴かれたものの中には、本来なら見ないほうがよかったものも含まれている。

だからこそ、写真家は時にためらう。シャッターを押すべきか、見なかったことにするべきか。その一瞬の逡巡のなかで、自分が何を選ぶのかを問われる。記録するということは、暴露することでもあるからだ。

それでも、多くの写真家は結局シャッターを切る。

なぜなら、「見てしまった」という事実からは逃げられないからだ。一度認識してしまった違和や真実は、もう消えない。ならば、それを形にするしかない。写真として残すことでしか、その重さに耐えられないのかもしれない。

そして出来上がった一枚の写真は、見る者に問いを投げかける。

「あなたは、これを見てもいいのか」と。

写真とは優しい記憶装置ではない。それはむしろ、世界の深部に触れてしまった者の証言であり、時に小さな告発でもある。静止した一瞬の中に、時間も感情も矛盾もすべて封じ込められている。

写真家だけが知る世界。それは特別な場所ではない。どこにでもある日常の中に潜んでいる。ただし、それを“見てしまう目”を持ってしまった者にだけ、その姿を現す。

そして一度でもその世界を覗いてしまえば、もう二度と、ただの風景には戻らないのだ。

写真家だけが知る「こちらの視線を“許している”」

その枠の中に収まった瞬間、
さっきまで空間に溶けていたはずの“気配”が、急に輪郭を持ち始める。

フレームは境界であると同時に、
触れてはいけない距離を決める線でもある。

けれど──

チルトした画面の中で見ている彼女は、
現実の位置関係とは少しずれていて、
まるでこちらの視線を“許している”ように見えてくる。

真正面ではない。
目線も、立ち位置も、呼吸のリズムさえもずれているのに、
そのズレがむしろ無防備さを強調していく。

シャッターを切るたびに、
彼女の中の何かがほどけていく。

ポーズではない動き、
意図していない仕草、
ふとした瞬間に緩む身体の線。

それを、
自分の目ではなく、
少し離れた位置にある画面越しに覗き込んでいる。

まるで、

“見てはいけないものを、見てしまっている”

モデルの期待に応えること

:

このモデルはしっかり仕上げてくる

私との撮影のために

そこに応える自分がどこまでやれるか?

撮影って、格闘技と同じで”勝負”がかかってます。