公園のブランコしか居場所がなかった我

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いつしか夏と秋と冬を一緒に過ごし
気づけば春が来るみたい。
もはや奇怪なファミリーです。

あれだけ人と話したり
誰かと一緒にいるのが苦痛で
公園のブランコしか居場所がなかった我が
ここまで毎日ワクワクする日が来るなんて
未だに夢見心地です。

日を越えて
もう明日3/19らしい。ライブです。
あと人生でいちばん頑張った
刺繍作品が表に出ます。最高の形で。

努力は報われるとか
自分の信じた道を進めとか
他人に言われると
うさんくさーーーだけど
とっても最近実感してる。

現状しんどいひとも
そうじゃないひとも
全員国民栄誉賞です。

それでは良い子も悪い子も
みんな楽しみにしていてね。まんじ

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雨でぐちゃぐちゃになった桜が
やけに綺麗で
誰も居ない公園は
自分にちょうど良かった。
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春なんて大っ嫌いだ。

文:K.S.

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完成したら死のって思ってた
全部手縫いで刺し倒した虎に
もう5年も生かされて
思いもよらない経験を沢山させて貰って
なんで4000円で売っちゃったのか
それも我らしいけど。

油断すると自分の顔ばっかになる
インスタがやっぱ苦手です。
好きでもないし。

さて今日も刺します。思いっきり。
待ってるかもしれない
顔も知らない貴方のために。

文:K.S.

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お洒落に
高いも安いも関係なくて。
ブランドものだって
そうじゃなくたって良くて。
好きか?が大事で。
その日を乗り越えられるおまじないであって
周りの目がとか
どうでも良くて。

我は東京に来る前は
一時期引きこもりで
エンドレスで映画を見ながら
刺繍をして
朝昼晩お洋服と髪の毛を3回変えてました。

個性的だよねって言葉も
あんま好きではない。
だって全員にあるじゃんか。

っていう思いを込めて歌った曲が
明日配信リリースされます。
フルMVと共に。

東京サイコパスとしての曲です。

地方で浮きながら
狭い世界だなバーカって
1人で夜散歩してた自分に聞かせたいです。
そんな曲です。
ヒダカさんに感謝です。

4thシングル東京サイコパス
『Suicide Society/ロマンチスト』

文:K.S.

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駄目よ
あんまりジロジロ見ちゃ。

何だよあれ。
ハロウィンかよ。

言われ慣れ過ぎて
通行人の冷たい目とささやく声が無理で
イヤホンが無いと生きていけなかった。
馬鹿でかい音でパンクを聴いてい無いと歩けなかった。

ダリィつまんない。
こんな世界ぶっ壊れろって思ってたけど
最近は
これが生き様って言える。
イヤホンが無くても
ど真ん中を歩く。

むしろ距離感がランウェイに見えてくる。

文:K.S.

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東京にきて一人ぼっちだったのに
こうして服を通じて
大好きな東京サイコパスのみんなと
偶然スナップを撮って頂いたこと
一生忘れません。

見た目で馬鹿にされることが
多かったけれど
自分の好きなスタイルを大事にしていて良かったです。

今月号のVOGUE掲載中なので
是非手に取ってみて下さい!

文:K.S.

今日は武装解除・すっぴんでの撮影

いまは贅沢過ぎるくらいの日々

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この着物は、たくさんのモデルさんがきましたが、裏地にしてボロボロなんですね。 この人は良く似合ってますね。 

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明日で家出して3周年。

腹括って活動してきて
一時期壊れたりしましたが
いまは贅沢過ぎるくらいの日々を
過ごしてます。

限界がきたら
全部投げ出して逃げるのも
悪くないよって事を伝えたいし
応援してくれてる人が
ワクワクするような目が離せない人でありたい。

本当生きてて良かった。
感謝です。

Essay : K.S.

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公園のブランコしか居場所がなかった我

それにしても、この子はいい顔してるね

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確か、この時、眉毛は剃っててツルツルだったんだね。 そう言えば、電車の中でどこぞの伯母さんから白い目で見られるとか‥言ってましたね。 僕は、そういうことも目に入らないのです。 それにしても、この子はいい顔してるね。

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いまは贅沢過ぎるくらいの日々

「 進化の先にある”目的”が見えない 」

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このブログをいつもご覧いただいてる方から、「Monochrome image 、K.S. さん、”勝負”に入ってるね」というコメント頂きました。 モデルとフォトグラファーの関係って、それぞれ(ひとりひとり)違うわけで、”一律の関係”ではありません。 この場合の”勝負”とは、僕と Kaoasu さんの取っ組み合いみたいな関係を言ってるのでしょうが、基本的に撮影は真剣勝負なので、モデルが代われば撮影も変わるので、それぞれの関係があるわけですが、既成概念とか常識とか日常をぶち壊してやろぅ!という共通意識はありますね、僕と Kaoasu さんの場合は。 人は、知らず知らずのうちに”日常にがんじがらめ”にされていくので、クリエイターであれば、それらを壊していこうとする意識は必然なのでしょう。

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撮影の時はいつでも、”モデルと同じ時を刻んでいこう”という意識はあります。 それは、モデルにとっても私にとっても生きた証であり、この上なく大切な(共有)時間なのです。 ここでの記録は永遠に残そうと思ってます(身内には伝えてあります・・僕に何かがあった場合、このブログは遠い未来までキープするように)。 Wordpress が無くならない限り、ここでの展示物は不滅です。

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私の勝手な想像ですが・・・ K.S. にとっては”忌まわしい過去”を葬ろうとする行為であり、私にとっては、”限られた未来をどう生きるか”という覚悟表明です。 客観的に見れば、”取っ組み合い”に見えるのでしょうね・・ (自分が今まで生きてきた)過去には何度か負け戦を強いられてますが、今回は負けられません。

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「 進化の先にある”目的”が見えない 」

10年後には、GPSで制御された自動運転の車が走り回り、

運転手はもちろん、信号機もなくなるという。

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手段ばかりがどんどん進化し、

その先にある世界がイメージできないし、

そんな中で、進化の先にある”目的”も見えない。

踏み込んで言えば、

”目的”の中に自分の存在が感じられない。

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10年後に私が生きているかどうかは別として、

人(世界)は何処に向かっているのだろう・・

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それにしても、この子はいい顔してるね

不器用な人間が真っすぐに生きようとする”現場”

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このモデルと対面すると、表面的にはぐしゃぐしゃなのだが、隠された”内面の真っすぐさ”を知ることとなり、ただ写し撮るだけでなく、彼女の内面まで踏み込んだ撮影をしなければ!と思うようになる。 不器用な人間が真っすぐに生きようとする”現場”に立ち会えることは、とても感慨深いものであり、感動的なことでもある。

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「出会い」というのはとても大切で、その人に出会うことで人生の流れが変わってしまうこともある。 この人(モデル)に出会うことによって、”真っすぐ生きる”ことを知った気がした。

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「 進化の先にある”目的”が見えない 」

線を強調する編集、画質はかなり劣化

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政治の世界では、政策を打ち出せば批判・パッシングの嵐に晒されることはよくあること。 まぁ、表に出るから叩かるわけで、表に出なければ存在意義もない‥と言う意味で、「悪名は無名に勝る」という言い方があるわけです。

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このモデルとのコラボにおいても、私の編集手法においても、人によってはそれなりの批判は承知の上。 特に、私の編集方法に関しては、全国的にワークショップを展開している写真家から(嫌がらせに近い)コメントも頂いた・・「原画を送ってくれませんか?私が編集すればもっと良い作品になります」と。 Higashiは写真にとって最も大切な画質(クオリティー)をぶち壊しているので、”邪道”であると・・。

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上手く編集すれば画質は良くなるというのは勘違いで、編集すれば必ず原画に変化をきたすわけですから、画質は劣化します。 ”絶対的な美”なるものを想定する人がいるならば、(私から見れば)それは変な人(稚拙な人)なので、美の世界であっても、相対的に成り立っていると考えるの普通(心理)です。 

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他のページでも書いてますが、写真を立体的に撮ろとは思ってませんから、ライティングもその考えに沿ってやってます。 できる限り平面的に撮り、線を強調することによって、”日本画”のような画面を展開することを目指してます。

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要は、線を強調する編集をすれば、画質はかなり劣化します・・画像を拡大すれば、かなりザラザラ感のある質感が見えるはずです。 Photo in Beijing 2016 での展示作品は、全て「このような編集をした作品」ばかりでしたが、観に来ていた若者たちがかなり興奮していたようで、盛んに私に質問を浴びせてきました・・「これこそ、アートだ!」と。 そして、「どのようにすれば、このような画像になるのか?」と。 私は答えました・・Googleから無料配布されるソフトを使ってますが、残念ながら、ここ中国ではそこ(Google)にはアクセスすることが出来ませんと。

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不器用な人間が真っすぐに生きようとする”現場”

歳の差って、なんだろう・・

このモデルは、年齢は私の3分のⅠくらい。 撮影現場でコラボをしていく過程では、歳の差とかキャリアの差は全く関係なくて、ただ、私の方が経験値が高いだけ。

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この画像を見て、作品に対する理解が得られないということであれば、それは仕方のないことで、ある一定の人たちに分かればそれで良いと思っている。 ”普通の人たち”の多くは、その行為をどれくらいのお金になったか?で判断することが多い。 写真家としての私は”大赤字”で、その意味では、”普通の人たち”からの”(お金にならないという意味で)存在意義”は薄い。 

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私にはマネージャー的な役割をしてくれる人がいない・・というか、フランスに著名なキュレイターが付いていたのだが、性格的な問題で私から断ってしまった。 ギャラリーと契約するとか、事務所とのコネクションをもつとか、色々あるのだろうが、年中、フランスにいるわけでもなく、ましてや、コロナ禍でもあり、事は進まないでいる。

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撮影機材にかかる費用くらいにはなっているが、労働に対する対価は0に等しい。

線を強調する編集、画質はかなり劣化

モデルのふり幅は想像以上に大きい

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これは普通に思うことだが・・モデルの心意気に応えているだろうか?と思うことはある。 モデルにしてみれば、私の撮影に対するコンセプトに応えているかどうか?と考えることと同じことかもしれない。 

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このモデルとは、3か月に一度くらいのペースで撮影を続けていく約束をしている。 私は年齢からして、それほど変わりようはないが、モデルのふり幅は想像以上に大きい。 そんな変わっていく姿に立ち会え、それを記録できることは写真家としてはとても恵まれているのかもしれない。

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歳の差って、なんだろう・・

タツゥー 、自分に対するケジメ

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撮影現場は真剣勝負の場であり、ほとんど”戦場”です。

以前にも書いたが、ここのモデルは眼から血が吹く出しているようなメイクで家からスタジオまでやって来た。 家を出る前に、その顔を創りあげてきたことになる。 そして、帰りもそのメイクのまま帰って行った。 

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最初に撮影した時は、タツゥーはなかったが、二回目、三回目の撮影の過程で、腕、胸元へと広がっていった。  タツゥー というのは、ことが変わっていく過程においての自分に対するケジメなのでしょう。

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モデルの気迫と心意気は見ての通りだが、写真家の”美に対するこだわり”も同時に見えるだろうか。 肉体の外側だけでなく、”内臓”まで撮りに行ってるような気がする。 ここに見るような”異常な体験”は、このモデルとは共有出来ててるような気がする。

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モデルのふり幅は想像以上に大きい

普段は見せない”人間の機微に触れる”作品

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隠し撮りでもしてるなら、その画像はリアルかもしれないが、こうして「作品撮り」してる限りは「フィクション」なので、よりリアルに”高度”な画像に仕上げる必要がある。

・・このようなことは、映画でも言えることで、”作り物”だからこそ、本物以上の”本物”に見せる必要がある。 作品撮りのモデルに関しても、人以上の”人”になってもらいたい。 ドキュメンタリーなら、在りのままでよいが、フィクションなればこそ、普段は見せない”人間の機微に触れる”作品にしなければならない。

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タツゥー 、自分に対するケジメ