フェミニズムおよび「見る視線」への批判

ワンピースからランジェリーまで・・

ラカン的鏡像論:ラカンは幼児が鏡像を通じて自分自身を認識する「鏡像段階 (stadium du miroir)」を論じました。鏡像は自己の統一的なイメージを提供する一方で、いわば幻想でもあり、その背後にはズレや不統一性があります。この観点から、鏡を用いたヌード撮影においても、被写体は鏡像を介して自己認識を引き寄せつつ、同時にそのズレに向き合うことになります。

撮影が進むにつれ、アンリは奇妙な感覚に襲われ始めた。カメラに映るイザベルの姿が、撮影のたびに微妙に変わっているのだ。顔の輪郭、髪の流れ、瞳の輝き――そのすべてが、撮影のたびにより美しく、より妖しく変化しているように見えた。

「これはどういうことだ?」とアンリが問いかけると、イザベルは微笑を浮かべ、曖昧な答えを返すだけだった。

「美とは、観る者の心を映す鏡よ。あなたの心が私を創り上げているの。」

アンリはその言葉に困惑しながらも撮影を続けた。だが、撮影が進むほどに、彼女の姿が現実離れしていくように感じられた。

フェミニズムおよび「見る視線」への批判:フェミニスト批評は、ヌード表現を「男性視線 (male gaze)」の制度的産物として位置づけ、女性被写体は常に他者の視線対象と化すという観点を強調してきました。鏡を介在させた撮影は、この視線関係をさらに複雑化させ得ます。鏡で自己を見る視線と、撮影者・鑑賞者の視線が交錯するなかで、女性被写体は単なる他者の視線対象ではなく、視線を引き受けつつ反転・操作する能動性を獲得できる可能性もあるからです。

鏡像とジャンルの脱構築:鏡を媒介化する構図は、写真的ジャンルの枠(肖像、ヌード、風景など)を揺らがせます。鏡で反射された像が実像と重なり、あるいはズレを呈することで、写真的リアリズムやナチュラルさの幻想を疑わせます。こうした手法は、現代美術/写真の脱ジャンル志向と合奏します。

ページの下に位置するURLをクリックすると、カテゴリーを一巡することが出来ます。

きつい顔もいいね!

フランスの写真家サラ・ムーンの幻想的な光の操作

フランスの写真家サラ・ムーンの幻想的な光の操作

サラ・ムーン(Sarah Moon)は、1941年にフランスで生まれ、モデルとしての活動を経たのち、1970年代より写真家として本格的にキャリアを築いた女性アーティストである。彼女はファッション写真を出発点としながらも、その枠を大きく超えて、詩的で幻想的な視覚表現を追求してきた。その作風はしばしば「夢のよう」「時間の儚さ」「ノスタルジック」といった言葉で語られるが、その核心にあるのが、彼女特有の「光の操作」である。本稿では、ムーンの写真における光の使い方に焦点を当て、その幻想性を読み解いていく。

光と影のあわいにある世界

サラ・ムーンの写真における最大の特徴の一つは、明確な輪郭を拒む「曖昧さ」である。彼女の作品には、シャープなラインや高コントラストの明暗はほとんど見られない。代わりに、霧がかったような柔らかい光、どこからともなく滲み出るような輝きが画面全体を包む。この光の質感こそが、彼女の作品に「夢」と「現実」の境界を溶かすような幻想性を与えている。

ムーンは自然光やソフトフォーカスのレンズを用いて、被写体の輪郭をぼかし、背景との境界を曖昧にする。これにより、被写体は単なる「物体」から解き放たれ、見る者の内面に入り込む「記憶」や「感情」として立ち上がってくる。特に逆光や斜光を巧みに使い、被写体のシルエットを浮かび上がらせる手法は、彼女独自の「光による詩作」とも言える。

Traveler of Time Naked Truth

Think of her feelings, Tamaki

2016年から現在に至るまで、7年間の記録を載せている。 記録というより、私の中の記憶が蘇るような、並びの展示になっている。 model : Tamaki は主にフォトモデルとして、時には女優として、様々な分野で活躍されている。 私は、彼女を撮影する中で、多くのことを学ばせていただいたこともあり、年齢的には私よりずっと若いが、”先輩”としてリスペクトしている。

西洋の中世の絵画のような・・

クロッキー

model : Yu

・・

ここからはmodel : tef

model : tef

これまで、アートに関しては習ったこともないので、上手いか下手かは分からないし、自分の感覚で治まっていれば、それで十分と思っている。 目が覚えたように描いているだけ・・

:

Tetsuro Higashi Photograph presence

撮影のほとんどはスタジオ内ですが、6畳程度の狭い空間で撮ることもあります。 狭ければ、必然的に臨場感は生まれます。 このモデルさんとは5度目くらいの撮影になりますが、友情以上の信頼関係があるようです。 えてして、「作品創り」とは”戦いの場”ともなりうるのですが、この人とは”運命共同体”的な和やかな雰囲気の中で進められます。

Tetsuro Higashi Photograph silence

Tetsuro Higashi Photograph Nude Body

Nude Body 撮影 model:Anri Mone

このような作品が「作品撮り」としては、理想の形の一つなのだろう。 浮き上がる骨格と肉体の持つボリューム感が絶妙なのかもしれない。 

全裸MERMAID 楪カレン

楪カレン

150円

Tetsuro Higashi Photograph collaboration

”Gifted” 天から授かった能力を持つ子供たち

Tetsuro Higashi Photograph digital

僕にとっては、とっても感慨深い作品群なのですが・・・僕が初めて撮ったヌードじゃないかと記憶してます。 こうして見ていると、夢中で撮っていることが分ります。 こんな機会はめったになかったわけですから、それこそ貴重な”体験”だったわけですね。 これを撮った奴、なかなかいいアングル出しているじゃん・・みたいな感じがあって、今よりもむしろ、上手いじゃんか!みたいな・・ デジカメで撮ってる。

若さゆえ・・「初めてのヌード撮影」

*Risako : モデルは女優

日本の女優 : Risako 。 発展途上であるとは思いますが、いつか、名の知られた役者になるとことでしょう。

若さだけではなく、ピュアーな印象があります。 役者の卵だけあって、「花魁」を役作りしてますね。 江戸時代では、こんな感じだったかもしれません。 そんな印象を持たせる「花魁」です。 この画像を見ても分かる通り、目の輝きが写り込んでます。それって、少ないのですよ、ここで特集してるモデルの中ではこのRisakoさんだけです。

この女優さんはヘアーをなくしてます。 「ヘアー、hair 」に関しては別のページでも書いてますが・・ 今の若い女性の30%位は”ヘアーなし”ですね。 これまで多くの女性ヌードを撮ってきた経験から言ってます。 ある程度の処理をしている人(処理しなくとも、その必要性がない人も含む)が40%位、全く手つかずの人が30%位でしょうか。 ヘアーに関しては様々で・・私はヌードの女性を50人位は撮っているかもしれませんが、最初からない人がいましたし、あってもかなり少ない人いました。 3、4人に1人はかなり濃い人もいます(私の頭の毛に譲ってもらいたいくらいの人も・・)。 私個人の希望としては、自然のまま、手入れをしないままが好きですね、濃かろうが薄かろうが。 ヘアーにも、それぞれの個性があって良いと思いますから。

ヘアーをなくしてしまうと、アングルによっては性器が写ってしまうので、撮影が難しくなることもあります(が、そのまま写ってしまって構わない場合も全然あります)。 また、デッサン会やクロッキー会でのモデルは出来ないでしょう(性器が見えるという理由で)。  

このような画像というのは、狙って出来るというよりも、偶然性によるところが大きく、300枚撮って1枚あれば、ラッキーというところ。

モノクロにするにも、何色を基準色にするか?で画像のニュアンスはかわってくる。 編集ソフトは使いようによっては無限な編集ができるのであるが、その編集ばかりに頼っていると、嘘っぽい画像ばかりになってしまう。 インスタなんかでも、”流行”の編集画像が溢れてますが、消費文化と同じで、過ぎればただの写真になってしまいます。

上の一枚目の作品は”僕の代表作”の一枚になってます。 日本人にとっての「能面」は”一つの顔の中に様々な表情を持つ”顔という意味で、不思議でかつ不気味な印象もあります。 それでは、西洋の方々の受ける印象は?というと、仮面舞踏会の延長のような捉え方なのかな・・と思われます。 去年の末、僕の作品を扱うフランスのアートディレクターへ能面をお土産にもって行ったのですが、ピンと来てなかったようです。 

スライドショー内にも載せてますが、僕が特にお気に入りの画像をここに載せます。 この画像位になると、グローバルに通用すると思ってる。 何が違うか?というと、偶然の賜物とも言えるのだけれど、顔の表情、肌の色、着物柄などが見事に怪しく輝いてます。 映り込みにきわどさはありますが、理屈抜きに魅了するものがあります・・自分の作品を褒めるのは変かもしれませんが、点数を付ければ105点位かな。

やっぱり、品性と知性がそのまま画像に写り込んでます。 編集(レタッチ)すれば、画像はどうにでもなると考える人もいそうですが、この「品性」と「知性」だけは、編集ではどうにもなりません。 また、カメラワークでどうにかなると考えそうですが、少なくとも、僕の”腕”では、どうにもなりません。

モデルは女優

花魁ヌードアーカイブ

花魁ヌード素材 アーカイブ ヘアーの奥間

花魁ヌード素材 アーカイブ 妖艶

花魁ヌード素材 アーカイブ 京都ロケ

花魁ヌード素材 アーカイブ 熟女

花魁ヌード素材 アーカイブ 古典文化

花魁ヌード素材 アーカイブ開脚

花魁ヌード素材 アーカイブ和傘

花魁ヌード素材 アーカイブS字のポーズ

花魁ヌード素材 アーカイブ大胆なポーズ

花魁ヌード素材 アーカイブ朱色の和

花魁ヌード素材 アーカイブ道中

*アクリルボードを使った撮影

Beyond the acrylic board タイトル通り、アクリル板を透して撮ってます。 僕は、とにかくエレガントでないと作品とはしたくないし、ここに載せません。 ただ、アート的に主張が強いものがあったり、ほとんどぼんやりとしてたり、その振れ幅は広いのですが。

Beyond the acrylic board

裸婦 作品モデル

*画像編集・エッジを立てる線描写

この画像は、トリミングと色彩調整しあるが、それ以上の編集はしてません。

この部分を切り取り拡大した画像を二枚載せている。 

展示会で使う画像の場合は、フォトショでペンタブを使って線描写してます。 すべてのエッジを立てるのではなく、ある部分は濃い線にし、ある部分は線を消してしまう場合もあります。

上は「原画」であり、下は「エッジを立てる線描写を試みた画像」。

下は、仕上がりの画像。

このような編集の場合、必ずしも”良い画像”になっているとは言えません。 この編集の欠点は、エッジを立てることによって、画質が落ちること。 画像としてはクリアな印象はあるが、画面にザラザラ感が出てくること。 私個人としては、ツルツル感は好みでないので、こちらを良しする。

別の画像で試みてみよう。

上は、「原画」であり、下は「編集した画像」

上は「原画」下は「線描写を試みた画像」。

原画と編集後は顕著な差が見える。

原画とエッジを立てた画像とは、ボリューム感が全く異なる。 より絵画的な印象もある。 

これは、少しエッジを立てた編集してますから、少しですが、画質が劣化してます。 それ以外は原画のままで、トリミングはしてません。 トリミングというのは、上手い下手があるのではなく、美意識、嗜好、哲学?などによって、どうにでも変わるものだ・・と思っていた方が良いでしょう。 何をフォーカスしたいか?を基準にして、我がままに、好きなように、独裁者になった如く、他人がどう見るか?などは一切気にせず、思いっきり”切る”ことです。 原画は10MBくらいありますから、どう切っても、PC上で観るには、画質に影響することはないと思います。 ・・・ちなみに、写真を上手に撮りたいと思う人には、全く参考にはなりませんので・・ 

下の二枚は普通の感覚で切ってますから、”平凡な画像”になってます。

 

ここから下2枚の画像は、顔の表情は写ってませんから、”人格”にはフォーカスしてません。 体の見たい部分を見たいように切り取ってます。 上は,微妙に唇が写り込んでいるのでエロティックさはありますが、何となく中途半端な印象もあります。 下の画像の方が面白そうですし、纏まっている分、集中して見れます。

下の画像は、右側にスペースがあります。 人はスペースがあれば、本能的に自分の何かで埋めようとします。 そこに創造力が働くわけです。 そして、ストリーが生まれてきます。 遠い昔の記憶や想い入れなどが入ってくるわけです。 トリミングからやり直して、画像の傾きを変えてやればもっと面白いことになりそうです。 

このモデルさんは、肢体も指使いなども全て美しいので、どう切っても絵になります。 さりげなく、流れるようなシンプルなポージングも絶妙ですね。 下の2枚のように切っても面白そうです。 プロのフォトモデルというのは、隙だらけのようで全く隙がありません。 その隙がないことが必ずしも「作品撮り」に良いこととは限りません。 初心者の方で、撮り慣れてなく、ぎこちないポージングの中にも、「作品撮り」として、魅了する画像はいくらでも生まれてきます。 

画像をいかにシンプルにエレガントに見せるか!ということは、とても大切で難易度が高いことで、非常に複雑な思考と卓越したセンスが要求されます。 単に上手いことは技術の問題ですが、真に魅了する画像にするには、とてつもなく高いハードルを越えていかなくてはなりません。