フォトエッセイ「晩年を迎えた私が伝えたいこと・・」

Artist model : Lilith

「晩年を迎えた私が伝えたいこと・・」

あと十数年もすれば、私はこの世界から姿を消している。
どんなに大切に思った人も、どんなに頑張って築いたものも、時の流れと共に、やがて静かに風化していく。 そして世界は、何事もなかったかのように、今日も変わらず回り続ける。

そんなことをふと思ったとき、「じゃあ、今って何なのだろう」と自分に問いかけたくなる。 けれど、だからこそ思う。 この一瞬が、私たちにとってどれほどかけがえのないものか。 「いま」をどう生きるか。

自分の心に、もっと正直に生きていい。
「私なんて……」と、自分を小さく扱わなくていい。
あなたがそこにいたことで、救われた誰かがいて、光を受け取った人がきっといる。
存在してくれたこと自体が、もうすでに誰かにとっての希望だった。

これからは、「こうありたい」「こう生きたい」という、あなた自身の想いを大切にしてほしい。誰かの期待や評価に縛られるよりも、自分が本当に望む時間を選んで生きよう。
もう諦めたと思っていた夢や、置き去りにしてしまった情熱だって、今からでも取り戻せる。過去はもう変えられないけれど、これからの時間は、あなたの手の中にある。

心が喜ぶことを選び、魂が導く方向へ歩いていこう。
それが、「生きる」ことなのだと思う。

「生きること・・」

Artist model : Lilith

「晩年を迎えた私が伝えたいこと・・」

あと十数年もすれば、私はこの世界から姿を消している。
どんなに大切に思った人も、どんなに頑張って築いたものも、時の流れと共に、やがて静かに風化していく。 そして世界は、何事もなかったかのように、今日も変わらず回り続けるのだ。

そんなことをふと思ったとき、「じゃあ、今って何なのだろう」と自分に問いかけたくなる。 けれど、だからこそ思う。 この一瞬が、私たちにとってどれほどかけがえのないものか。 「いま」をどう生きるか。

自分の心に、もっと正直に生きていい。
「私なんて……」と、自分を小さく扱わなくていい。
あなたがそこにいたことで、救われた誰かがいて、光を受け取った人がきっといる。
存在してくれたこと自体が、もうすでに誰かにとっての希望だった。

これからは、「こうありたい」「こう生きたい」という、あなた自身の想いを大切にしてほしい。誰かの期待や評価に縛られるよりも、自分が本当に望む時間を選んで生きよう。
もう諦めたと思っていた夢や、置き去りにしてしまった情熱だって、今からでも取り戻せる。過去はもう変えられないけれど、これからの時間は、あなたの手の中にある。

心が喜ぶことを選び、魂が導く方向へ歩いていこう。
それが、「生きる」ことなのだと思う。

Un Ballo in Maschera 「終わらない問い」

「終わらない問い」

僕の中の声が
呼びかけるたびに
胸の奥で崩れる何かがある

それは
かつて握りしめた希望の欠片なのか
あるいは
大人になり損ねた僕の子供の部分なのか

振り返れば
遠くに見える灯りたち
それは家族の温もりだったのだろうか
それとも
ただの幻影だったのかもしれない

沈む夕日の赤は
あの日の涙の色
あの人の背中は
もう触れることのない安らぎ

時間はただ進むだけ
僕を待つことなく
一秒一秒
誰かの幸せをかすめ取るように

それでも
僕の中の声は
囁き続ける
「立ち止まってもいい」と

だけど僕は
立ち止まる勇気もなく
また今日も
知らない街の角を曲がる

歩いても歩いても
どこにも辿り着かないこの人生の路地裏で
ただ、声を聞いている
僕の声
そして、君の声

終わらない問い

Un Ballo in Maschera 恍惚への序曲

恍惚への序曲

夜の闇はまだ柔らかい
窓を叩く風は
どこから来たのか答えないまま
わたしの肌をすり抜けていく

目を閉じれば
重なる記憶の波が
音もなく襞を作り
過去と未来を編み込む

ひとつの星が輝く
それは誰もが持つ小さな願い
でも、今はまだ遠く
触れることもできない

聞こえるかい?
胸の奥で奏でる音が
それは心臓の鼓動ではなく
言葉にもならない
ただの存在のざわめき

わたしは歩き続ける
足元には形のない道
行き先を問わず
ただ歩くことで満ちていく

恍惚、それは始まり
終わりでもあり
その狭間でわたしたちは揺れる
けれど、その瞬間だけが
本当の今なのだと
星たちが静かにささやく

そしてわたしは
その光を受け止める
手を伸ばし
言葉にならない歌を歌いながら。

「悲しみの器を持つ者は、それだけ深く喜びを注げる」

「悲しみの器を持つ者は、それだけ深く喜びを注げる」

当時はその意味が分からなかった。ただの綺麗ごとに聞こえた。でも今なら、ほんの少しだけ、その言葉の重みを理解できるような気がする。悲しみや不安を知っているからこそ、喜びや安心がどれほど貴いかを感じることができる。欠けているからこそ、満たされることの温かさが際立つ。

思えばこの数年、私は多くのものを失った。友人との距離、信じていた価値観、未来への確信。何かを失うたびに心は痛み、空洞が広がっていった。そのたびに私は、「強くならなければ」と言い聞かせていた。でも、強さとは何だろう。何も感じないことが強さなのだろうか。心を閉ざすことが、自分を守る術だったのだろうか。

今の私は、むしろ逆だ。脆くても、感情に流されても、ただそこに立ち止まって自分の声を聞くこと。そうすることでしか、自分という存在を取り戻せなかった。心がざわめくままに、自分の影と向き合うこと。逃げずに、怖れずに、そのままの私で在ること。それが、静かに私を満たしてくれるのだ。

もちろん、完全な安らぎではない。不安は常にあるし、明日のことを考えると胸が重くなるときもある。でもそれでもいいと思える自分が、確かにここにいる。完璧じゃなくても、足りなくても、私は私のままで存在していい。そう思えた瞬間、心のどこかに柔らかな光が差し込んだようだった。

私は紅茶を飲み干し、空になったカップを眺めながら、静かに微笑んだ。満たされたという感覚は、何かが“ある”からではなく、“あるがままを受け入れた”ときに訪れるのかもしれない。どんなに手を伸ばしても届かないものがあることを知っているからこそ、今ここにあるささやかな温もりに気づける。

秋の風が再び窓を揺らし、葉が一枚、音もなく落ちていった。
その光景の中に、私は自分自身を見ていた。

憂いの中にいる私。
けれど、それでも確かに満たされている私。

この矛盾のような静けさの中で、私は今日も、生きている。