
Artist Model Yu for works
白い粉をまとった女性の裸体を前にすると、まず最初に胸を打つのは、その存在がひとつの“物語”そのものであるという事実だ。輪郭は柔らかく、肌は粉の静謐な膜に覆われ、影は淡く拡散し、現実の身体でありながら、現実から一段すべり落ちた“別の世界の人”のように見える。
白という色は、強い。
それは無垢であり、虚無であり、祝福であり、死をも象徴する。多義的であるがゆえに、見る者の心はそれぞれ別の意味を拾い上げ、勝手に語り出す。その曖昧で自由な余白こそ、芸術がもっとも豊かになる場所でもある。
身体とは、本来、血の通う温度を持つ。
だが白い粉は、その生命の熱をいったん曖昧にし、造形そのものの純度を際立たせる。筋肉の線は彫塑のように強調され、皮膚の柔らかな起伏は光を吸い、淡く返す。人間らしさも、神話の像のような静けさも、矛盾する質感が一つの画面に共存する。
白の「沈黙」は、不思議なことに、見る者の内側を饒舌にする。
その姿は、単なる“裸の身体”ではない。
表面に付着した粉は、時間の層のようでもあり、記憶の堆積のようでもあり、あるいは、これから新たに生まれ落ちようとする前段階の象徴のようでもある。まるで人が人生の節目に立ち、ふと立ち止まって息を吸い直す瞬間のような、静かな緊張が漂うのだ。
そして、そこには一種の“決意”がある。
飾りを脱ぎ捨て、しかしそのままではなく、白い粉という「もうひとつの衣」を身にまとうことで、身体は再構築され、人格はひとたびリセットされる。裸であるのに、どこか清澄で、どこか厳粛で、どこか神聖。矛盾しているのに整っている――ここに、美が極まる。
美とは何か。
それはおそらく、完全な理解や説明を拒み、ただ“そこにある”だけで人の心を揺さぶるものを指すのだろう。
白い粉をまとうことで、女性のヌードは生身の身体という制約を超え、象徴や詩の領域へと歩み出す。
白は色ではなく、光そのものだという。
その光を纏う身体は、もはや単なる被写体ではなく、観る者の奥底に眠る何かを照らす存在になる。それは人間の根源的な美意識――形・光・静寂・余白――そのすべてを一度に呼び覚ます。
美しさ、ここに極まれり。
そう思わせるのは、その姿が“完全だから”ではない。むしろ、言葉にしきれない曖昧さと、触れれば崩れ落ちてしまいそうな儚さを抱えているからだ。
白い粉をまとった女性ヌードは、美を語るのではない。
美そのものが、静かにそこに立っているのだ。

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